◎見仏そぞろ歩き・善光寺御開帳&松代
長野県/善光寺〜松代
(1997.5/18〜19)
INDEX
●序
●善光寺に金ピカ仏あり
●渋い仏が勢揃い・松代
●序
いとう氏&みうら氏参加の見仏ツアーのわずか一ヵ月後に再び仏像を見にいくつもりは、その時まで全くなかった。
しかし友人(FDIメンバー・ぶひ)から届いた一通のメールが私の旅心を刺激した。彼女は、その日の夜行で一人で新潟へ行くと告げた。しかも「帰ってこなかったら北朝鮮に拉致されてる可能性あり。捜索してね」などという無責任な内容のメールを残して……まったく。夜行かあ、私もどこか行こうかなあと思ったのだった。
次の朝、新聞を見ていた私は国内ツアー広告に目を留めた。「善光寺7年に一度の御開帳ツアー」。それを見て私は、果たせなかったある約束を思い出した。正確にいえば約束ではないのだが……。
私の父は長野県出身だったが、家族は誰も父の実家を訪れたことはなかった。長野に実家はもうないということだったからだ。私はあの日、「善光寺が御開帳だって。たまには私と行かない? 長野ってあんまり行ったことないから、案内してよ」と、父に言った。しかし父の返事はつれなかった。他の用件で頭が一杯だし、わざわざ連休の混んでる時に行かなくてもいつでも行けるということだった。それからまもなくして、父は帰らぬ人となった。
そして今年は7回忌。御開帳も7年に一度。7という数字に不思議なものを感じ、私は行くことを決めた。別に御開帳とかどうでもよくて、なんだか忘れかけてた約束を果たしたかったのだと思う。
前回、京都見仏ツアーに同行したヒロを誘おうかと思ったが、何ぶん突然のことだったので一人で行くことにした。5月18日、日曜夜の長野行き夜行席を予約。152席空席と聞いて笑った。日曜の夜行に乗る人はそうそういないのだ。
当日、23時50分新宿発のアルプス号に乗る。夜行に乗るのなんて何年ぶりだろう。ハタチぐらいの時、どこかへ行くとき乗った気がするが……。とにかく久し振りだ。かなりドキドキしながら発車を待つ。日付が変わる少し前、列車はホームを離れ走り出した。午前4時過ぎの松本乗り換えまではそのままだ。
その頃の私は昼夜逆転した生活になっていたため夜行の中ですっかり目が冴えており、いとう氏著の「秘見仏記」をずっと読んでいた。冒頭の方で、いとう氏とみうら氏の仏友コンビがホモ疑惑を晴らそうと奮闘するあたりを、前夜読んでおいてよかったと思った。もしここでそれを読んでいたら、笑ってしまっていたに違いない。前夜に読んだとき、爆笑してしまったからだ。しんとした車内で笑いをこらえるのは辛い。深夜になっても夜行の車内は暗くならなかった。それでますます読書に身が入ってしまう。乗り換えも気になり、結局一睡もできなかった。
松本で篠ノ井線に乗り換える。先ほどよりは大勢の人が座席で眠りこけている。女の人もけっこういて、少しほっとする。
夜明け前の空は黒というよりは青かった。私はしばしその空を車窓から眺めた。ふと、海の底を走っているような錯覚におちいる。過ぎ行く木々の黒ぐろとしたシルエットは、海草みたいだ。遠くにうっすらと浮かぶ山のシルエットは、珊瑚かな。そんな空想にふけった。
ここ数年来、信州は何度もバイクで訪れてきた。バイクだと景色ばかり見ていては事故りかねないが、今日は心配ない。しばらくすると長いトンネルに入った。そしてトンネルを抜けたとき、もう空は白み始めていた。行く手の山の向こうには、うっすらと薄紅の朝焼けが広がっている。夜明けへ向けて走る列車。いいぞいいぞ、となんだか私はワクワクしてきた。
●善光寺に金ピカ仏あり
長野駅には、朝の6時前に着いてしまった。以前来たときの駅は茅葺き屋根を模した風情あるつくりだったのだが、98年の長野オリンピックを控え、すっかりモダンに様変りしてしまっていた。時は移っているのだなあ、としみじみ思う。まだバスも走ってない時間なので、歩いて善光寺へと向かった。人も車もほとんどいなくて、なんだか気分がいい。てくてくと歩き、参道入口にたどり着く。説明書きを読んでみると、そこから続く石畳は7777枚あるのだという。つくづく7に縁があるなあ。
5時30分から拝観可能だそうだが、6時の時点でもかなりの賑わいだった。お遍路さん姿(いとう氏流に言えばオヘンローラー)の人は列車にもいたが、ここにはかなりいらっしゃる。
善光寺を訪れるのは二度目だったが、前は「仏像に目を向ける」という意識がまったくといっていいほど無かったので、なんだか違うところに来たような気がする。仁王門に目をやれば、デビルマンを連想させる、ボディビルダーのようなムキムキ仁王が出迎えてくれていた。門をくぐり抜けて反対側から見ると、こちらには別の像があった。こんなところまで目が行き届くようになるとは、私も見仏人らしく(?)なってきたものだ。
仲見世と宿坊が続く参道をきょろきょろしながら通り、本堂へ。中は……みうら氏流にいえば、大はやり。広い堂内に、ぎっしりと人が集まり読経を聴いている。ふえー、と私は一瞬ひいてしまった。はるか遠くに御開帳中の本尊が見えるが、遠いためか、ものすごく小さい。そして、御本尊を安置してる内陣の上の壁(何と呼ぶのか分からないが)に、ものすごい数の仏像がちりばめられているのだ。きらきらと金色に輝いて。うーん、これは、みうら氏的表現で言うなら「武道館ライブにおける大物スターと、仏像ダンサーズ」とでもなるだろうか。さしずめ内陣はアリーナ席だ。ありがたいライブなのかもしれないが、あまりにも遠すぎて肝心のスターは豆つぶぐらいにしか見えない。私はコンサートにおける業界人のように、壁際で腕組みしながら遠巻きにライブを眺めていた。何かこれといった願いがあって来たわけではなかったので、これで帰ろうかとも思った。そもそも私は善光寺の一光三尊のファンクラブに入ってるわけではないので、アリーナに入るのは気がひけた。
でも。たぶんもう御開帳にわざわざ来ることはない気がしたので、せっかくだからと、参拝券を買って内陣まで入った。そして、「戒壇めぐり」というのを体験するために列の後ろにつく。よく訳が分からないままに来てしまったが、お堂の下の暗いトンネルのような所をくぐり、手探りで極楽の錠前に触れるというものであるらしい。中は本当に真っ暗で、階段を降りるのが怖かった。足元が平らになってもまだ階段がある気がして、こわごわ歩く。しかも混雑。お年寄りが多いので大変だ。のろのろ進み、無事に極楽に触れ、現実に戻ってきた。なんだか子どもの頃の探検ごっこを思い出したなあ。
暗い地下から上に戻り、これまたせっかくだから最前列に座りしばらく仏像を観察。私の隣の一眼レフカメラを持った夫婦も、拝むというよりは観察している人達だった。彼等も見仏人だろうか? といぶかしみながらも、おかげで私もじっくり見ることができた。元祖見仏人のように仏像を表現することはできないのでそのへんは本家本元にゆずるが、ひとことでいえば私は心を揺さぶられなかった。間近で見た小さな本尊も、左右の大きな仏像にも。なぜだろう、と思った。そして、「何もかも派手すぎるからかもしれない」という気がした。売れている業界にありがちな、鼻につく感じが見受けられる気がするのだ。隣接するお寺、大勧進もひととおり回ってみたが、やはりその感覚は抜け切らなかった。
まだまだ時間はあるのだからと思って、パンフレットを見ながら手辺り次第に寺を覗いていく。一本裏道にある釈迦堂にふらりと入ると、そこにはさっき見てきた本尊とそっくりのものがあった。あれほど金ピカではないが……。「これ、本堂のと似てますね」と聞くと、おばさまが「一緒なんですよ」と答える。写しだそうだが、そんなに幾つもあるのでは有難みがない気がするのだが……。でもまあ、こうやって手の届く距離で見れるほうが親近感があるか。そしてすぐ隣に、全長166cmの釈迦涅槃像。6枚の布団の上に横たわっている。その人間的な大きさのため、なんだかとても親しみが湧く。表情もすっきりしている。越後の浜で漁師の網にかかって見つかったといわれているそうだが、そんな言い伝えも信じられそうな気がしてくる。
仲見世で長野名物おやきを食べ、時計を見るとまだ9時過ぎだった。当初の目的は果たしたが、わざわざ長野まで来たからにはせめて蕎麦でも食べて帰りたかった。かといって昼食には早すぎる……。とりあえず徹夜ボケの頭を覚まそうと、喫茶店に入ってコーヒーを飲む。そうしているうち、自分の今日の行為が空しいものに思えてきた。仕事でもなく、旅行でもなく、日帰りで仏像を見に来る女。まあ、当初の目的は果たしたわけであるが。友人のヒロとでも来ていれば、また違った感覚で見仏できたかもしれないが……。やっぱり見仏には仏友が欠かせないなあと痛感した。得るもののない気持ちのまま帰るのは寂しい。どこか別の所に足を延ばそうかなあ……と頭の中で策を練りながら、蕎麦屋へ。しかし食べ終わってもまだ午前中であった。うーん、どうしたものか。
ガイドブックを全然持ってきてなかったので、交通手段がよく分からなかった。駅まで戻り、観光案内所で行き先を物色する。いろいろ資料を見てるうち、松代はどうかなと思った。真田氏ゆかりの地であり、武家屋敷なども残っている町だ。何年か前にバイクで行ったことがあるが、寺院は全然見ていない。土地勘はあったが、帰りの交通機関をよく確認しておかないとその日のうちに帰れなくなる恐れがある。案内所の人に訊くと、行きのバスはあと10分後ぐらいのがあるという。ええい、ままよ。帰りはなんとかなるさと投げやりなままにバス停へ。もしバスに間に合わなかったら帰ろう、っていう心積りだった。駅からかなり離れたバス停に着くと、予定時刻はとうに過ぎていた。しかし。バスは遅れてやってきた。ならば行くしかあるまい、と私はバスに飛び乗った。
●渋い仏が勢揃い・松代
松代に着いたはいいが、帰りに篠ノ井線に戻れるかどうかを確かめる間もなく来てしまった。距離的には近いので、たぶんバスが通っているに違いないと予想していたのだが、まずは確認しておかねば。真田宝物館の売店のおばさまに尋ねると、私の予想どおりのバスはあるという。私の読みも捨てたものではない。たまに読み間違う時もあるが……。とりあえず帰りのバス時間を確認しにいく。バスと電車の最終リミットまでは、3時間弱ぐらいあった。曇ってた空も、だんだん日が差してきたし、散歩にはもってこいの天気だ。
月曜の昼過ぎの町は静かだった。観光客はほとんどいない。いや、地元の人もほとんど歩いていなかった。そんな道を、私はてくてくと歩いた。観光案内でもらった「真田十万石の城下町・松代マップ」を参考に、適当に行き先を決める。
最初に訪れたのは、大英寺だった。案内板によれば、真田初代藩主の妻の菩提寺だという。と、門の陰の私の気配に気付いた犬が、庭でワンワンと吠えまくる。「何も怪しいものじゃないから吠えないでくれー」と心の中で思うが、犬には通じない。これでは入りづらいではないか……と躊躇してると、御住職が「何鳴いてるんだ」と庭先に出てきてしまった。門の陰にいる私に気付き、「そんなに吠えなくていいんだぞ」と犬の頭をなでて、また家に戻ってしまった。善光寺と比べると、かなり家庭的な雰囲気のお寺だ。境内には犬が3匹もいて、私をじーっと見ている。
おそるおそる門をくぐり、本堂を覗き込む。そこには、小さいながらもいい感じを醸し出している仏像が数体あった。御住職に説明を求めなかったし、看板にも詳しいことは紹介されてなかったので仏像についての詳細は不明だが、私はそれらに心安らぐものを感じた。みうら氏流に言えば、「うらぶれたライブハウスで渋い奴らを見つけたぜ!」って感じだろうか。堀出し物のミュージシャンたちを見つけたスカウトマンの気分になる私であった。本堂の脇のこれまた古い御堂を見やると、埃にまみれた浄瑠璃如来がひっそりと佇んでいた。善光寺は黙ってても修復や保全のための資金が集まるであろうに、ここには気前のいいスポンサーはあまり訪れないようだった。ここはひとつ私が気前のいいところを見せたかったが、あいにくと財布には一万円札と10円玉が数枚しかなかった。ここで気前よく一万円を進呈しては、帰ることができなくなってしまう。心の中で仏像たちに「気持ちだけで御免なさい」と言い訳をしながら、10円を賽銭箱に投げ入れた。帰ろうと門をくぐる私に、さっきの犬がしっぽを振って再び吠えた。今度のはきっと「また来てね」という吠え方だったのだろうと勝手に解釈する。
さて、次はどこにしよう……と地図を見ながら歩く。道すがらのお寺を次々と覗き込むが、ほとんどお堂が閉まっている。シャチホコを屋根の左右に配した建築様式のお寺が数件続く。そしてたどり着いた長国寺もまたシャチホコ寺だった。そこはこれまで見たお寺の中で最も広かった。見れば、御堂も開いている。ずんずんと境内を歩いていくと、庭仕事をしていた奥さんが声をかけてきた。
「拝観の方? 拝観料は300円よ」
むむ、ここは拝観料をとるのか。
「あのー、一万円しか無いんですけど……」おずおずと言うと、
「それじゃ後でいいから、あの門を開けて奥に行って。もう一組お客さんが来てて、今お父さんが説明始めたところだから」
と奥さんは答える。まあ、拝観料を払うからには説明ぐらいは聞きたいものだ。私は何が何だかわからないままに、「は、はいっ」と木戸をくぐった。
門の向こうにいたのは、30〜40代の御夫婦らしき客と、作業着姿のおじさ……いや、もしかして御住職? だった。私は歴史にうとい上、事前情報を何も仕入れてなかったので話はチンプンカンプンだったのだが、御住職が自慢気に語るだけあり、そこが重要文化財であることがようやく分かった。真田信之(初代藩主)の御霊屋の天井画・壁画は、狩野探幽の筆だという。「二条城のと同じ狩野さんなんだよ」と御住職は自慢し、建築様式と真田家の歴史を延々と語り続ける。「中を見たいかい?」と御住職が私たちに聞く。「普段は見せないんだけどね、さっき掃除をしてたところだから」と開けてくれた。ふうむ、確かに鮮やかで優美ではあるが……。
続けて奥の墓所へと連れていかれた。話のつなぎのつもりでうっかり私が「真田家の血筋って今もいらっしゃるんですか?」と尋ねたら、そんなことも知らんのかとばかりに、真田一族の話を初代から延々と聞かされる羽目になってしまった。御夫婦を待たせて悪いなー、私もバスの時間が……、早く終わらないかなー、などと気にしてたので話はぜんぜん頭に入らなかった。御住職が真田家14代の家臣の家系であるということと、当主の末裔は東京世田谷に住んでて一度もここへは来たことがないという話だけが印象に残った。樹齢300年はたっているという桜のことや、「なぜお寺に玉砂利が敷かれてるか知ってる?」という問いと答え(泥棒の足音がわかるためだとか)のやりとりの後、御住職の話はだいたい終わったようだった。
そのとき私は気付いたのだが、仏像についての説明はなんにもなかった。しかし下手に質問をするとまた延々と話が始まりそうだったので、お礼を言って木戸を出た。そして本堂へ行き、そこの仏像を覗き込んだ。どうやらここでは、仏様より歴代の真田氏の方が強いらしい。さぞ仏様も肩身が狭かろうと、思わず手を合わせた。
さて、御住職の長話で一本バスに乗り遅れたので、もうひとつ、梅翁院に寄ることにした。長国寺の手前にあった、看板のコピーが気になっていたのだ。「真田十万石松代藩、初代信之公側室、玉川右京の局開基寺、菩薩に逢える歴史とロマンの寺」。うーん、心ひかれるコピーだ。どんな観音なのか、わくわくしながら寺へ向かう。ここも休日以外はほとんど訪れる人がいないのだろう、たくさん並ぶノボリが寂しさを強調していた。何々……説明書きを読むと、本尊の「魚濫観音」は鯉の上に乗っている珍しい姿であるという。ガラス戸の奥にいらっしゃる観音を、へばりつくようにして覗き込む。おお、これは! 私は一人で唸った。その艶かしいほどの腰のひねり具合。それは観音にあるまじきセクシーな姿だった。ガラスに光が反射してはっきりは見えないのだが、鯉の化身、いや、人魚とも見える下半身。全体の大きさは70cmぐらいだろうか。ああそうか、これは鯉を思わせる大きさなのかな、などと勝手に想像した。
これは、元祖見仏人のみうら氏&いとう氏が好みそうな仏であると私は思った。ご関心がありましたら、ぜひ見仏しに行っていただきたいものである。
梅翁院を出たあたりで、列車に間に合うためのリミットタイムだったので、バス停に向かうことにした。あとで気付いたのだが、私がその日見仏した寺は、期せずしてどれも松代初代藩主・真田信之ゆかりの寺だったのだ。まず妻、ご本人、そして側室の菩提寺。別に調べもしてなかったのにである。なんだか不思議な縁を感じてしまった。そういえば、嘘か本当かは分からないが、「うちの祖先は真田家の厩番らしい」と父が言っていた、ということをふと思い出す。もしそれが本当なら、真田さんも今日は喜んでくれただろうと勝手に納得する。まてよ、そうするとあの寺のご住職と私の親戚は遠い昔に会ってたかも……などと、ご住職の長話のために一本乗り遅れてしまったバスを待ちながら、私は城下町の昔日に思いを馳せるのだった。
《お帰りはこちら》
▲HOME ▲F-FILE ▲sesami's travel ▲カメライダー ▲すれすれ草 ▲レッツ・リンク