1999
数日間、東北を旅行してきた。東北は久し振りだった。バイクに乗り始めて最初のソロツーリング先が東北だったが、それももうかなり前のことだ。列車で雪の時期に一人旅したのはもっと前のことで、ハタチぐらいのときだ。その頃のことの詳細はもうあまり覚えていないのだが、貧乏旅行だったから確か新幹線には乗っていなかったと思う。
今回の旅では、ごく当り前のように新幹線を利用した。私も大人になったものだ。しかし、行き先の北限は花巻だったものの、途中の駅にも寄りたいところがあった。そこで、初めて「周遊きっぷ」なるものを利用した。数駅間を行き来するなら、そのほうがおトクとのことだった。ところが行きの時点で、私は大きな間違いをおかしていた。古川で在来線に乗り換えるべきところを、もう少し先の一ノ関行までは新幹線だと勘違いしていたのだ。同行の友人が古川で降りるべきだと気付き寸前で降りたものの、乗り換え時間を把握していなかった。しかも、下調べが甘く、古川から東北本線一本で一ノ関まで行けると思っていたのだが、途中までは別の路線に乗らなければいけなかったのだった。都合3回乗り換え、それぞれの待ち時間は30分から1時間。というわけで、新幹線なら20分のところを2時間かかってしまった。
思わぬ時間をくってしまったが、沿線に咲く桜を車窓から眺め列車の揺れに身をまかせていると、のんびりとした気持ちになってくる。行きは平日だったため、車内は空いていた。一ノ関が近くなるとだんだん車内は混んできて学生や主婦風の女性、農家のおじさん風の人達で座席は埋ってきた。その頃、友人が「ねえねえ」と私に囁いた。何事かと思ったら、「隣にいたおじさんが、降りるとき缶をごみ箱に捨てたよ」と言う。東北本線には一車両ごとにごみ箱が設置されていた。「東京だと考えられないよね」と彼女は続ける。確かに……。よく、都心の電車では誰かが置いていった缶がカラカラと車中を転げ回っていたりする。最近ではテロ対策のため、あえてごみ箱をなくしてしまったという路線もあるのだろうが……。
その後、今度は男子高校生がごみ箱にごみを捨てて降りた。
私と友人は、「ごみを捨てる」という単純な行為が当然のように地元の人々の間に浸透しているさまを見て、心がほのぼのしてきた。
ごみが電車内やホームに当り前のように散らばっている都心の光景を見慣れていた私たちにとっては、ほんと、心が洗われるような事、と言っても過言ではない。
東北本線は昔のように向かい合ったボックス席がすっかり姿を消し、都心の電車のような2列対向の席がほとんどだった。車両は昔より新しくなっているし、車内で携帯電話を使っているサラリーマンもいたりと、目に見える光景では都心とさほど変わらないのだが、人々の「公共心」という点では差があるのは明らかな気がする。一方、帰りの新幹線の中では、こんな光景を目にした。福島あたりから乗車してきて、私たちの数列前の席を占めた団体の一行にはおじさんが多かった。車中宴会が始まってうるさくなるのでは……と懸念していたとおり、1時間もするとべろべろに酔っぱらって、声がでかくなっているおやじがいた(あえておやじと呼ぶ)。それぐらいであればまだ許そう。しかし他人事ながら気になっていたのは、そのおやじの隣の席の女性添乗員さんのことだった。べったり至近距離で話しかけられている様子が見える。そのおやじが右側、そして左側にも酒を飲んでるおやじ。酔っ払いのはさみうち。仕事の一環とはいえかわいそうに、と添乗員さんに同情。
そのうち、来るべきときがきた。酔っ払ったのんべえおやじが、ビールを座席にこぼしたらしかった。立ち上がって座席を拭いている添乗員さんの顔、ひきつりまくっている。怒ってる、怒ってるぞ。ビールをこぼした張本人のおやじ、あやまったりしていたもののバツが悪いらしくウロウロ。そのうち別のおじさんに連れられてトイレ方面へ。少しは酔いを覚ましてこいってものだ。添乗員さんは座席を拭きおえると、仁王のような顔のままビールの空き缶およそ10数本の入ったビニール袋を手に、私たちの横を通りすぎて捨てに行った。その後、20分ぐらいは戻ってこなかった。おそらく売店にでも行ってコーヒーでも飲んできたのであろう。あれじゃあ、煙草の5本も吸ってきたくなるだろうな。戻ってきたときはなんとか笑顔。えらいなあ……。
あの添乗員さんを代弁して声を大にして言うぞ。おやじよ! 酒を飲むなとは言わない。手元があぶなくなるまで酔うのはみっともないと心得よう。そして酒はこぼすな。缶ぐらい自分で捨てろ。以上。考えてみると、数日の旅のあれこれを振り返った印象では、東北のほうが駅前とか町なか、観光地でもごみが少なかった。人口密度の関係もあるかもしれないが……。関東方面の人々って、なんだか公共心が著しく低いのかもしれない。私も気をつけねばね。
(4/27)※東北にはいい人が多いと感じた旅でしたが、悪い人もいるようです。まあ、無くしてもともとという感じではあったのですが。
2日目に雨が降り、相棒がビニール傘を買ったのですがあとで折り畳み傘を発見し買いました。そこでビニール傘を私にくれたのですが、その日は晴れていたので私にとってもジャマに。コインロッカーに荷物を預けたとき、無くなってもともと、とロッカーに掛けておきました。その後歩いているとざあざあ雨が降ってきたのですが、パーカーがあったのでなんとかしのぎました。駅に帰ってくると、ロッカーに掛けていた傘はなくなっていました。
その後、電車の乗り継ぎが悪かったため、旅館の迎えのバスまで1時間の空きができてしまいました。花巻空港駅でだらだら待っている間、そこへパーカーを置き忘れてしまったようです。気付いたのは夜で、翌朝に一応駅へ電話してみましたが、そういう忘れ物はなかったとのこと。まあ、置き忘れた私が悪いのですが。安物だったし。別にいいんですけど。
この両方が、もしあとでそのままそこに残されていたとしたら、私はもっと東北の人達を好きになれそうだった気がします。でも、ごみ事件では断然、東北人のほうが好印象。旅行者が持っていったのかもしれないし、関東でも遺失届けをしてくれる人は大勢いるしね。ちなみに私がもっているある財布は、何度落としても(3〜4回)誰かが届けてくれて私の手元に戻ってきました。もうかなりボロボロですがその悪運強い財布は、旅のときには必ず持参しています。そのおかげかどうか、旅先で財布をなくしたことは一度もありません。(4/27)
ここのところの天候は、暑いぐらいのときもあるかと思えば次の日には涼しくなり雨が降ったりという調子で、「春が来たのかまだなのかはっきりしてくれい!」と言いたくなるものであった。わが家の鉢植えたちも同感だったらしく、少し前に芽を出したフリージアやユリは、まだまだつぼみすらつけず、花が咲くのはもう少し先という感じだった。しかし、世話をしなくてもこぼれ種で毎年勝手に芽を出すカモマイルだけはけっこう成長著しく、日に日に背丈を伸ばしていた。ほかには花の時期を終えたスズラン、ツルハナシノブ、サクラ草、そして夏に向けて体力回復中のハイビスカスなど、この頃の鉢植えラインナップには花が少なく、寂しかった。唯一、オレンジ色のキンセンカ(下方に写真あり)だけが、太陽のように明るい花を次々と開花させている。
春に向けてほかにも種を蒔いたり球根を植えたりしていたのだが、3月には家にいる時間が少なかったので、すっかり放任状態になっていた。一応、朝に水はやっていたものの、天候の変化ごとに屋内に取り込んだりと、世話してやる機会が少なかった。ヒヤシンスとチューリップは苗で買ってきたのに、開花せぬうちに駄目になってしまった。スィートピー、ラベンダー、アネモネはわずかに芽を出したりはしていたものの、その後しなびてしまった。ときどき降った雨のおしめりが成長を促すのではないかという思惑ははずれ、外で雨風を受けているうちに根腐れしてしまったものが多いようだ。淘汰された者たちだけが生き残っている。
植物たちにとって、水は生命力の源である。だがそれは多すぎても少なすぎても駄目だ。地面に根を張って生きている植物と違って、鉢植えの場合は水の加減がずいぶん成長に影響する。なんだか愛情みたいだ。多すぎても、少なすぎても……難しいねえ。今年の春は花が少なくて寂しいかな……と思っていたら、4月の下旬あたりから急に植物たちがつぼみをつけはじめた。奴らは奴らなりに時期を狙っていたのである。そういえば、昨年も鉢植えたちが一斉に花を咲かせはじめたのはそのくらいだった。10日間のドゥバイ海外旅行から戻ってきたら、満開の花たちが出迎えてくれたものだった。
新顔のフリージアには豆粒のようなつぼみが数粒。数ヵ月前に2鉢に株分けして以来、その後の健康状態が心配だったベルフラワーにも、ようやく無数の小さなつぼみが。ぼうぼうのまま伸び放題でほったらかしのセージのつぼみは、ふっくらとした1センチほどのもの。カモマイルも相変わらず勝手にすくすく育ち、もうすぐ野菊のような花を咲かせそうである。植物はときに奇蹟的な復活劇を見せつけてくれるので、枯れかけた鉢でも「また回復するのでは」となかなか捨てられない。そんな私の鉢植えラインナップはここのところ殺伐としていたが、ようやく華やかな時期がやってきそうだ。春の響宴は、もうすぐそこまで来ている予感がする。(5/3up dated)