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師走(December)

1999


映画「永遠と一日」「ライフ・イズ・ビューティフル」を観て


映画「永遠と一日」「ライフ・イズ・ビューティフル」を観て/生きることは素敵なこと

(早稲田松竹 12/11)

 時間の空いた間隙をぬって、またもや映画を観に。わたしゃあ、忙しいときほどいい映画が観とうなるもんでございます。映画のない人生なんざ、真っ暗やみじゃございませんか……。というわけで、名画座にて2本立て続けで観ました。

◎「永遠と一日」

 以前、飯田橋ギンレイホールでやっていたときにも観ようと思っていて、観そびれていた。カンヌ映画祭のパルムドール大賞受賞作であることや、主演が『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツであることなどはあとで知ったことだが、“詩情あふれる映像美”というようなチラシの予告が頭に残っていて、なんとなく心惹かれていた映画だった。

 自分の余命が永くないことを悟っている、作家であり詩人の主人公アレクサンドレが、偶然出会ったアルバニア難民の少年と過ごす一日。夢想と現実、過去と現在が交差しながら描かれる。未来のない男と家族を失った少年が、慰めあうでもなく、自分たちの過去と改めて対面しながらさまよっていく話だ。現実の映像には常に重い霧がたれこめ、一方でアレクサンドレの死んだ妻、アンナや親戚達と過ごした海辺の家での夏の回想シーンは光に満ちている。

 何度も何度も現実と過去のあいだを行き来し、そのたびにいつもアレクサンドレは現実に引き戻される。

 暗いといえば暗く、重い映画だ。お涙ちょうだい的な感動シーンがあるわけでもなく淡々とした展開なのに、私は中盤あたりから幾度も泣いてしまっていた。感極まるといった泣き方ではなく、とりわけ悲しい感情を誘うシーンでなくてもとにかく涙が流れて止まらない、という静かな泣き方だった。なぜあんなに涙が出たのだろうとふと考える。たぶん、“自分が死ぬ”ということに覚悟を決めたはずなのに、過去の思い出を前に足踏みしているアレクサンドレの気持ちに、未来の自分の気持ちを重ねていたのだろうと思う。でもそれは“センチメンタル”とは違う。人は誰でも死ぬし、私もいつかいなくなる。そんな当たり前のことを時々考えるが、止めることはできないのだと受け止めるしかない。でも多くの人はいざ死を目の前にするとジタバタする。まだ死にたくないと思う。やり残したことがあるのにと、もっと会いたかったり話したかった人がいたのにと、思う。私はそう思いたくないから、できるだけ会いたい人には会っておきたいし、やりたいことはやっておきたい。でもそれがこれからもずっと続けられることかは分からない。自分もいつか誰かともう永遠に会えなくなったときに「もっと会っておけばよかった」と思うのかもしれない。そんな予感がするゆえの涙だったという気がする。

 この映画が死というテーマを描くなかで見せる希望は、言葉のもつ力だ。アレクサンドレは、“自分の知らない故郷の言葉を、人々から買った”詩人ソロモスの話を少年にする。少年は言葉を探し、アレクサンドレに言葉を与える遊びをする。人をなぐさめたり記憶を引きだす鍵になる、言葉の力。そんな気付きに、個人的には少し感動してしまったのだった。

 最後にアレクサンドレが得たかすかな希望と素敵な言葉にも、私は静かな感動を覚えてしまった。

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◎「ライフ・イズ・ビューティフル」

 この映画はご覧になった方は多いでしょうし、ストーリーなど説明するのも野暮なので、とりあえず私が言いたいのは「ユーモアは人を救う力がある」ということ! 駄洒落ではだめ、あくまでもユーモアです。この映画をあとで観てよかったと思いました。前作『永遠と一日』をあとで観てしまったら、ちょっとばかりアンニュイな気分のまま家路についたことでしょう。とにかく前半笑いっぱなし。主人公、グイドがユーモアで憧れの女性を射止め家庭を築くまでは、コメディ映画のような展開。しかし後半、この一家に訪れた運命……。ああやっぱりこれ以上は書けません。家族のためにつく大それた笑える嘘、そしてユーモアを忘れなかったグイドの役柄に、笑わされつつもちょっぴりまた涙してしまいました。
 子ども役のジョルジオ・カンタリーニ君の愛らしさも、際立っていました。

(1/4/2000Up dated)

※えー、ひとまずこれから出かけますゆえ、この続きはまたのちほどに。


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