睦月(January)

1999 


●「X-files ザ・ムービー」を観て思うこと

●夜明け前

●サボテン夫婦のその後


「X-files ザ・ムービー」を観て思うこと/映画と現実の狭間
(1/15 at 新宿文化シネマ)

 「X-ファイル」マニアではないが、はまっているとはいえるかもしれない。現在レンタルビデオ店に出ている“第5シーズン”最新版まではすべて観た。でも、“第1シーズン”を観始めた頃は、テーマソングが流れると怖かったものである。実をいうと本来私は、怖さを予感させる音楽を聴くとゾクゾク寒気がする体質だったし、怖い映画(ビデオ)は大の苦手だったのだ。このシリーズもときどきグロっぽい映像があるが、それでも私が恐怖に耐えながらこのシリーズを観続けた訳は、やはり“面白さ”にある。マンネリに陥らず、次々と起こる怪事件。それらがまたあまりにもぶっ飛んでいて、そのくせ現代アメリカの病巣や人間の性(さが)などをさりげなく皮肉ってたりして、とにかく心憎いのである。しかもシリーズの主要テーマである異星人ネタが間に差し挟まれ、ついつい次の巻を借り続けてしまう。それに、主人公のスカリーとモルダーがお手軽な恋愛関係にならないところも、好きだったりする。物語からキャラクターまで徹底的に現実離れしていて、しかも大問題はいつまでも解決しないまま、というところが楽しめる。
 このシリーズが“好き”な心理を何かに例えて言うとすれば、かつて東スポに掲載された「宇宙人写真」を、「嘘つけー」と思いつつ、ついつい面白がって買ってしまう心理といおうか(実際、私は買ってしまった)。まあ、東スポほど「だまされた」という感覚はないが、いかにも眉唾ものの話を、大真面目にシリアスに描くことで、微妙なバランスが保たれているのだ。
 さて映画編であるが、私のような“一応ビデオは全部観たファン”や熱心なファンをはじめ、映画で初めて「X -ファイル」を観る人も楽しめるものだろう。これまでの事件や人間関係に“一応の”オチをつけ、満足させてくれるのである。しかもラスト方面の場面は、映画館の大画面で観てこそのお楽しみシーンだ。
 個人的には、この映画版もビデオ同様に純粋に楽しんだ。先ほど“眉唾ものの話をシリアスに描く”と表現したが、実はビデオシリーズにも映画編にも、“現実にありえる恐怖”はちらちらと盛り込まれている。映画の場合は未知のウィルスによるバイオハザードの恐怖である。だが、「X-ファイル」はそうしたリアルな要素を持っていても、他のどの映画とはいわないが「一見リアルな世界を大真面目に描いたトンデモ映画」とは異なるといえる。その理由のひとつは、何度もいうが“観る者を面白がらせる制作姿勢”にあるといえるだろう。

 思えば、純粋に「楽しませてもらった」と感じられる映画はそれほど多くない。観るときの自分の心理状態や年齢などにもよるかもしれないが……。古いところではE.T、コクーン、スターウォーズ、アビスあたりだろうか(別な意味で楽しませてもらったのは「ムトゥ踊るマハラジャ」が一番)。この間ビデオで観た、スターシップトゥルーパーズも面白かった。もちろん、“面白い”という意味づけ以外に、“感動”で括られる楽しみ方というのもあるが。それでいうなら、ベイブ、グースなどを個人的にはそのジャンルに含めよう。そうした括りに収まらない好きな作品もあるけれどきりがないので……。

 最近、面白い映画が少ないと感じているのは私だけではないはずだ。その理由のひとつには、映画が現実に近づこうとし過ぎていることがあるのではないだろうか。いかにも現実にありえそうな話を、現実に近いSFXで、現実的なシチュエーションや道具立てで表す。そういう作品が多いと思える。いや、実際あったことを題材にしてもそれはそれでいいのだけれど、あくまでも表現の質は「映画」であって欲しいと思うのだ。映画が現実を表現するのではなく、映画で現実を超えて欲しいのだ。個人的な好みかもしれないが、これまで純粋に楽しんだ映画というのは、決して“現実的な”ものではない。逆にいえば、現実ではありえないことだから楽しめたのかもしれない(「グース」は実話だそうだが)。昔の映画やテレビ番組だって、特撮技術がうそっぽくても楽しめるものは楽しめたではありませんか。いち映画ファンとして、映画界にお願い。嘘でもいいの、夢を見させて。って、演歌の歌詞みたいだけど。

(1/27 up dated) 

※若い頃は、アクション盛りだくさんの映画が好みでした。「ランボー」とか「キャノンボール」とか。ヨーロッパ映画なんて、退屈で退屈で。思えばあの頃は、映画でストレス発散してたのかもしれません。最近はその手のものには食傷気味。年が経つごとに好みも変わり、人間ってやっぱり変わるのねと感じるのでした。シチューやハンバーグが好きだった子どもが、「やっぱりお味噌汁に焼き魚よね」っていう大人になるみたいなもんでしょうか。


●夜明け前

 この頃、月に1回ほど朝帰りをするようになった。明け方近くまでかかる仕事があるためなのだが、ちょっときつくはあるものの、ここ数年朝帰りなんてしてなかったので新鮮だったりする。ハタチ前後の頃は、朝まで飲んでいたり、徹夜で勉強や仕事もしょっちゅうだったが、この頃はめっきりそういう機会が減っていた。まあ、なるべくやらないように決めたというか、体力的にできなくなったというか。仕事先や自宅で徹夜をすることはあるが、そのあと一段落するとそこで寝てしまうので、朝帰りするということからは遠ざかっていた。
 この月1徹夜の仕事に携わるようになったのは去年の夏頃だ。仕事が終わる夜中3時とか4時にタクシーで帰ってもいいのだが、始発まではあと少しだしということで、一緒に仕事をしているAさんと24時間営業のモスバーガーで始発までお茶をして過ごすようになった。
 そして久し振りに始発の地下鉄に乗ったときは驚いた。けっこう人が乗っているのだ。どうやら遠距離通勤のサラリーマンばかりでもないようだ。若い人もいれば、おばあちゃんもいる。どんな人たちが、どこへ何をしに行こうと5時台の電車に乗っているのか、アンケートを取ってみたくなるほどだった。世の中にはいろんな種類の仕事があるから、早朝から行かなければならない仕事もあるのだろう。私たちが夜明けに仕事を終えるように。
 秋になり、冬になっても相変わらず夜明けの電車はけっこうな数の人々を乗せて走っていた。その路線とは都営三田線なのだが、高島平方面から数駅目ですでにかなりの人が乗っている。座れない人がいるほど混んではいないが、席はけっこう埋っているのだ。季節が変わってもその傾向に大きな変化が見られないことからすると、多くの人々はたぶん仕事に行くため乗っているのだろう。証券会社とか、市場とか? あとはどんな仕事があるだろう。 

 途中で乗り換え、下りの電車に乗る。電車の窓からは、これから仕事に向かうために上りの電車を待つ人達が立つホームが見える。ラッシュ前の静かな時間、6時前後。夏は夜明けが早いのでこの時間にはもう街は明るくなっていたが、冬はまだ暗い。そして家に向かって歩いている頃には、濃紺だった空がだんだん明るくなり、東のほうからスミレ色になってくる。空気が澄んでいるぶん、冬の夜明けは透明感があって奇麗だ。
 通りには車も人もほとんどいない。動き始める前の街はひっそりとしていて気持ちがいい。24時間営業のコンビニに寄ると、夜勤の店員が立ち働いている。
 夜明け前の街を歩くのはここ何年かのうち、ほんとうに久し振りだ。
 夜明けの風景は、夜更けの記憶より鮮明に残っていることが多い。19歳の頃は、友達たちとオールナイトの3本立て映画を観たあとの夜明け、多摩川の河原でしばらくごろ寝をした。あとで友人たちにそのことを話すと、「女のすることじゃない」と言われたなあ。また、朝帰りではないが、早朝暗いうちに出発するバイクツーリングでは、素晴しい朝焼けを何度も見た。
 太陽が昇る瞬間は、何度見ても気持ちがいい。だから、この月に1度の朝帰りも、体と頭は疲れているはずなのに帰ってくると妙に心地よかったりする。たまには朝帰りのときじゃなくて、早起きして夜明け前の街を歩いてみようかな。
(2/4up)


サボテン夫婦のその後

 昨年末、たくさんの養子を引き連れてわが家にやってきた新入りサボテンとともに、古参のサボテン夫婦は元気である。いや、本当のところをいうと、現在は元気だが、元気じゃないときもあるにはあったのだが。
 以前書き忘れたが、近所の友人から子サボテンをもらったとき、大きくてふとっちょのサボテンも株分けしてもらった。それらの新入りサボテンが仲間入りした頃、サボテン夫婦のうち妻のほうが、文字どおり倒れる寸前だった。昨年の夏頃からその兆候はあったのだが、やや持ち直した時期はあったものの、その後、腰のあたりがか細くなりふらふらとしていた。根元から体長の半分ぐらいまでにかけて、しなびた感じになってきていた。

 件の友人のところで、サボテンの接ぎ木の仕方がイラスト入りで載っている園芸書を見たことを私は思い出した。違う種類のサボテンを接ぎ木のように合体させることができるらしい。そのためには切断面同士をくっつける接着剤のような役目をする、なんとかというものが必要らしかったが、私はそれなしでサボテンの手術を大胆にも試みることにした。何しろ、その頃のサボテン妻の様子は見るに見かねるものがあったのだ。キュウリのようにすらりとした体ではあるものの、下半身はしわしわにしなびている。でも、上半身はつややかな緑色でイキイキとしているのであった。私の手術の目的は、このイキイキ上半身を残し、胴体切断。そののち、組織はすでに瀕死状態の下半身を根元近くで切断、上半身とくっつけるというものだった。
 「もしこれがうまくいかなかったら、5年ほど育ててきた彼女の命はこれで終わり……」そう考えると、彼女の胴体にカッターの刃を入れるのがためらわれる。だが。このままいかにも病弱な姿を見続けていくのも忍びない。
 思いきってざっくりと胴体と根元を切り離した。さらに、枯れつつある部分をカットする。根元の切り口の上に、イキイキ胴体を重ねた。そしてギブスをはめるような感じで、その継ぎ目にセロテープを巻き、支えにワリバシを立てた。あとはうまく患部がくっついてくれることを祈った。
 しなびていたほうの切り離された下半身は、それから数日の間、テーブルの上に置いておいた。すると、ほんの1日でもっとカラカラになって、小さく縮んでしまった。
 片や、手術後のほうの体は元気そうである。数日が過ぎ、根元の切り口と患部は果たしてくっついたのだろうかと心配になり、私はそーっと、継ぎ目を触ってみた。そうすると、動くではないか。くっついてはいないのだが、載せておくだけで根元から水分をもらっているようなのだ。サボテンの生命力恐るべし。

 それが昨年暮れのことだった。
 それからさらに1週間ほど経った。私はふと思い立った。もしかしたら、この妻サボテンは、根元の茎に載せていなくてもやっていけるのではないかと。そこで、継ぎ目に巻いていたセロテープを取り、彼女を独立させて土の上に立たせた。数日たっても、体調が悪化する気配はなかった。これなら大丈夫だろう。私はようやく安心した。かなり自己流の荒療治をしてしまったので、どうなることか自信が持てなかったのだ。

 さて、そんなわけで、ずんぐりした夫よりも背が高かった妻は、夫とほぼ同じくらいの背となり、仲良く並んで鉢に収まっている。二人の前には、養子に来た子サボテンのうち、一番大きかったやつがちょこんと立っている。あとのチビサボテンたちは、ひとつの砂場に集まってワイワイと顔を見合わせている。新入りのくせに一番大きくてデブのサボテンは、でーんと構え彼等の様子を見守っている。なんだか、ゴッドファーザーのファミリーのようになってきたなあ。新入りのデブサボテンは、「ドン」とでも呼ぼうかな。
 窓辺で冬の淡い日差しを浴びながら、サボテン一家は暖かい季節を待っている。
(2/4up)


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