文月(July)

1998


“Be動詞現在形”主義
映画「ディープ・インパクト」を観て/ヒーロー不在の映画 
●ホームページといふもの/見えない読者
●燃える花、けいとう


●“Be動詞現在形”主義 (7/9up dated)

 世間は参議院選挙の話題でもちきりだが、学生の頭は試験でいっぱいのようである。「そういえば今ごろは試験の時期だったのだなあ」と気付いたのは、先日近所のマクドナルドで勉強している女子高生らしき子たちを見たからだった。

 友達同士らしき4人が、席を3つほど占領しノートや筆記用具を広げ、勉強をしていた。そのような光景は最近めったに見かけたことがなかったから、なかなか感心……などと思いながら、その隣で私は本を読んでいた。
 そのうち彼女達のことなど忘れて読書に熱中していたのだが、ふいに聞こえてきた会話が面白くてついつい盗み聞きしてしまった。彼女たちは英語について、語り合っていた。

 「だから、これは主語がIだから1人称。heとかsheが出てきたら3人称なのよ。それで、1人称の時はbe動詞。3人称のときは一般動詞を使うの」
と、しっかりした雰囲気の子がもう一人の子にてきぱきと説明していた。
 「でもさー、これはー? YouとIが一緒にでてくるじゃない」
ちょっと間延びした感じで喋る相手の子は、ちょっと茶髪で大柄な体型。
 「これはね、それぞれが1人称なの!」
 「えーなにそれーーーなんでーわかんなーい」

 さらにこの後いろいろなやりとりが続き、動詞の種類から現在形と過去形の使い分けについてのレクチャーに移っていった。しっかり者の子は相変わらず面倒見がよく、茶髪の子に問題を出しながら覚えさせようとしている。なかなか教え方がうまい。将来は先生にでもなれるのではないのだろうかと思いながら私は聞いていた。そしてひととおり説明のあと、茶髪の子に問題を出す。しかし解答、不正解。
 「違うでしょー! さっき言ったでしょ、これは一般動詞の過去形でしょ〜!」
 しっかり者、キレる。
 対する茶髪の子、開き直る。
 「わかんないよー、過去形なんてー。わたし、Be動詞の現在形だけでやっていけるよー」
 「もうー、しばらく私これ覚えるから話しかけないでね」
 と、しっかり者は暗記の態勢に入る。
 茶髪娘、「●●ちゃんってさー、絶対大人になったら教育ママになるよねー。こーんなメガネとかかけて目釣り上げて人のこと叱りそーだよねー」
などと、実際に自分の目尻を指で釣り上げながらあとの二人に話しかける。

 ううむ、これだけタイプが異なる二人がけっこう仲が良さそうなのがなんだか不思議。しかし、制服からすると高校生だと思ってたけど、もしかしてこの子たち中学生だったのだろうか? このあたりの学習内容って、たしか中学生のものだったような……。
 それにしても、「Be動詞の現在形だけでやっていける」という言葉が、茶髪の子のひょうひょうとしたキャラクターとそのポリシーをズバリ言い表しているような気がして可笑しかった。現在と自分を大事にする主義。過去なんて知らないも〜ん、という生き方。

 “Be動詞現在形”主義の彼女は、大人になったら選挙に行くのだろうか。


映画「ディープ・インパクト」を観て/ヒーロー不在の映画/at 上野東急(7/6)

 私が映画館で観たいと思う映画は、およそ3種類に分けられる。ひとつは、内容はさておき大画面のスクリーンで観ることに価値があると思えるもの。次に、内容に対する関心が強く、ビデオになるより早く観たいと思うもの。もうひとつは、「少し前に見逃してしまったのだけど2本だてでお得になっているから観ようかな」というもの。最後のパターンは、この頃はいい取り合わせの映画があんまりなくなったし、映画料金が高くなったからあまりメリットないかなあ。以前はオールナイト3本だてとかけっこう行ってたんだけどねえ。尚、これらのパターンに当てはまらない映画は、「ビデオになってからでいいかー」という分類となる。

 「ディープ・インパクト」はというと、当然というか何というか、ひとつめの種類である。「インデペンデンス・ディ」や「ロスト・ワールド」と同じく、ストーリーの価値はおいといて、どうせ観るならビデオより大画面でしょう、という感じだったわけで。正直いってこの手のSFX超大作の内容にはここのところあまり期待していないので、まあ今回もそれほど期待せずにのぞんだ次第。

 その日の夕方に御徒町で友人たちと会う予定があった私は、上野東急で観ることにした。しかし、初めて行った映画館だったので迷ってしまい、開演時間に遅れたため冒頭の15分ぐらいを見逃してしまった。
 やがていろいろなエピソードが展開していき、中盤になると舞台は宇宙へ。CG技術などに感心する間もなく、このあたりはかなりワクワクドキドキものだった。見せ場といわれている津波のシーンより、私はこちらのほうがいいと思うけどね。宇宙飛行士たちの間で繰り広げられる心理的な葛藤も、昔の“いい映画”によくあったような雰囲気出してた気がする。

 あまり期待はしていなかったけれど、これまでのように観終わってから「けっきょく映像だけが売りなのね」という印象ではなかった。それは終わり方が単純なハッピーエンドでなかったということもある。これまでのエンターテインメント映画では、主人公はどんなことがあっても助かって、非主人公の人達はどんどん死んでいき、その人生の描き方もヒーローやヒロインの引き立て役、というものがほとんどだった。そのため、ストーリーがとてつもなくつまらないものになってしまう。それを中途半端にシリアスにやられると、白けてしまうのだ。いっそのことギャグにしてしまえばいいと思うのだが。
 しかしこの映画ではどの人も主人公ではなく、また、どの人も主人公でもあるといえた。特定の人物に対して絞り込んでカメラを回してはいない。誰かの個性が突出しているということもない。視点が極めてニュートラルなのだ。ひとりのキャラクターやひとつのシチュエーションだけでなく、いろんな人や家族の心の動きを多方面から見つめていた視点は、ある種、ドキュメンタリー風であったかもしれない。この冷静な視点が個人的には好み。ヒーローやヒロインが活躍する映画はもうたくさん、という気がする。
 ここ数年のSFX話題作のなかでは(あくまでもこのジャンル内で)、ワタクシ的にはそこそこの点数の映画といえましょう。

※ちょっとツッコミたいのは、ノアの箱舟計画で地下シェルターにこれから入ろうというシーンのこと。おいおい、ゾウを2匹入れるより人間を10人増やせよっ! てな風に思ったのは私だけ? それと、核を“地球を救うミサイル”的に扱うのはやめてもらいたいと思う。
(7/9 up)

余談:その夜、友人ふたりと久々に御徒町のバーで会う。ひとりはリンクページに登場しているEiko。もうひとりは、Tさん。その彼女が三軒茶屋からチャリで来たと聞いてぶっ飛ぶ。しかもママチャリである。途中、六本木の交差点をチャリで流してきたらしい。元気だ……。


●ホームページといふもの/見えない読者(7/18 up dated)

 アクセス数はそれほど重要ではないと思っていた。だからカウンターもいらない、とつけなかった。本当をいうと設置の仕方がよく分からなかったということもある。だが、そんなふうに思ってたくせに結構ひねくれてて、プロバイダの記録に残るヒット数はチェックしてたりする私である。それによると、開設のお知らせを友人知人にした直後は、「見たよ〜」というお知らせをもらい、おかげさまでアクセス数は春一番のように吹き荒れた。鳴かず飛ばずの日もあった。その後、まあ平均して身内が見てくれてるな、という程度の数に落ち着いていたのである。

 しかし、いやあ、なんというか。私のホームページには今、小さな台風が来襲しているようなのである。というのは先週、検索エンジン“yahoo!”に登録されてから、アクセス数が一気に上昇した。見てくれる人が多いのはもちろん嬉しいが、「へえー、やっぱり“yahoo!”を見てる人って多いんだなあ」ぐらいな感じの印象だった。おそらくそれは“瞬間最大風速●m”のように、一過性の突風だと私は思っていた。しかし数日間、依然としてこれまでよりはるかに多い数字をキープ。そして数日後、私のホームページをリンクしてくださったページがあった。以来、今週ずっと高視読率(私の基準では)をキープしているようなのだ。そしてたぶん、急増したその視読者の多くは、私の友人以外の見知らぬ人なのではと思う。更に数字がここのところほぼ一定ライン(これまでまれにみる高水準で)をキープしているので、ひょっとすると何度か来てくれてるのではないかと思われるのだった。コンテンツ総ヒット数しか分からないから全ては想像の範疇であるが。

 実をいうと私は少なからずびっくりしている。自分のページを作ったとき、「あーあー、こんなにたくさん文字を詰め込んでしまったけど、読む人いるかなあ」などと我ながら思ったからだ。私のように読むことが好きな人間ばかりではないだろう。特にコンピュータ画面の文字を読むというのは疲れる。でも自分が作りたくて作ったのだから、お蔵入りにするのもなんなのでwebデビューしてしまった。このような文字だらけのページにアクセスして、読んでくれる人がいるということは、私にとってちょっとした驚きだ。少なくともビジュアル的な作りでないのは確かなのだから。
 ちなみに私のホームページ内にはどれだけクリックする場所があるのかざっと数えてみた。およそ100はあった。物理的にはできるかもしれないが、まさかこれを1日でクリックして読んでしまう人はいないだろう。見るページにもよるが、活字好きの私でもパソコン画面は10ページも読むとそろそろ嫌になってくる。1日400ヒットあったとして、1人平均10〜20クリックだとすると、20〜40人の読者がいるという仮説がたてられる。1人でいっぺんに100クリックした人が4人、もしくは1クリック400人ということもありうるが。どちらにしても、誰が見てくれているのかは分からないが、少なくとも何人かは読んでくれているということのようである。まあ、来てみて読まずに帰る人もいるでしょう。でも、何度か来てくれてる人がいるとしたら、なぜなのか? 私は最近それが気になる。また、どのコーナーが目的で来てるのか? どんな感想を持ってくれてるのか?
 いっそのこと各ページにカウンターを付ければ分かることなのでしょうが、そんなことはする気はございません。問題は数ではないから。また、好評不評によって制作方針を変えるというつもりもあまりないし。雑誌と違って、ホームページってそれぞれ個人がやりたいようにやってるところが醍醐味だと思うし。なんとなく同人誌やインディーズレーベルのようなノリだし。それに、クリックして画面が変わるところが“飛び出す絵本”的な感覚でいいなあ、と思う。

 過日、本の雑誌社の目黒孝二氏が講演で語っていたときのことをふと思い出す。出席者の一人の「部数を伸ばしてきた秘訣は」というような質問に対する、氏の答え。「読者のことを考えないことですね」。一瞬みんな「へっ?」という反応。続いて氏いわく、「どうしてかというと、見えない読者というのがいるからです。僕みたいにアンケートなんかまず出さない人間がそうです。そういう人間は、面白くなくなったら、買わなくなります。面白ければ買う、単純です。見える読者ばかりを意識して、読者アンケートとかで反応や意見を誌面に反映するところがあると思いますが、僕らの会社は、自分たちが面白いと思うことをやってきました。それでそれを面白いと思う読者が買ってくれ、面白くないと思う人は買わない。それでいいと思ってます。それで通用しなくなったな、と思ったらやめます」。というようなことをおっしゃってた。
 うーん、潔いではないか。私もそのようなポリシーでやってみようと思うのだ。実際はまだ少し、“見えない読者”がどのように考えてるか気になるんだけど、私自身もホームページをいろいろ見てもすべての人に「見ました」ってメール送るわけじゃないしね。
 というわけで、ここまで読んでくださった方々、よろしく。

(なんだかんだつらつらと書きましたが、やはり読んでいただけるのは有難いことであります。ありがとうございます。) 


●燃える花、けいとう(7/29 up dated)

 数週間前、けいとうを買った。「けいとう」は植物の名前である。私が買った種類は正確にいうと、「羽毛けいとう」というらしい。なんとなく語感から“毛糸”をイメージしてしまうが、そのうえ“羽毛”である。名前がそういうだけあって、花の姿形もなんとなく羽毛っぽい。また、てっぺんに向かうほど先が細く尖っている花のその形は、炎のようでもある。羽毛、毛糸、炎、というイメージが続くとなんだか暑苦しい気がする花である。
 なにも夏にそのような暑苦しい花を買わなくても、と理性では思う。それに第一、それまで私は「けいとう」という花があまり好きではなかった。まず、私にとってけいとうの花は一般的に“花”といわれるものとはかけ離れたイメージで、その存在がどうも花には思えない。さらにいえば、繊細さがなく、ぼてぼてとした花、という印象があった。
 だが、スーパーの陳列棚の隅に並んでいたそいつらは、やけに小さくて可愛らしかった。身の丈およそ5センチほどで、花の色はオレンジや赤、ピンクなどがあった。見ているうちになんだかその花が、森の小人がかぶっている“とんがり帽子”のように思えてきてしまっていた。値段は2鉢で200円と安い。その安さと可愛らしさにつられて、つい買ってしまったのだった。色は赤とピンクのセットにした。チビではあるが、こいつらがいれば、夏に向けた私の鉢植えラインナップに彩りが増しそうだ、という思惑もあった。芸能界でいえば、アクターズスクールによる子どもの先物買いみたいなものだ。

 ここのところ、私の鉢植えたちのうち、常に花を咲かせているのはニチニチ草だけだった。涼しくなったり気候が激変するためかハイビスカスは時々思い出したように1輪咲くもののその命は短く、下手をすると1日で花を落としてしまう。アボガドは昨年からずっと葉を繁らせ、上に伸びるばかり。ハーブのセージはひところ花を咲かせていたが、それも終わってしまった。バジルは花をつけると葉の成長がよくないということで、つぼみがつくと芽をつんでしまっている。どいつもこいつも、育成者と同じく健康だけがとりえで色気がないことこのうえない。嫌なところが似るものだ。
 そんな色気のない鉢植えたちのなかに新入りのけいとうを並べてみる。小さくはあるが、赤と濃いめのピンクの花は、地味な鉢植え仲間のなかで存在を強くアピールしていた。しかも、花弁を開いたり閉じたりはせず、常に花をつけている。眠らない花、24時間態勢の花、とでもいおうか。可愛いらしい姿をしながら、内に秘めた情熱を常にふつふつとたぎらせている感じだ。
 ぺらぺらした黒い園芸用ビニールポット入りのそいつらを買ってきてから数週間というもの、私は鉢に植え替えていなかった。植え替えが面倒くさかったためではない。そいつらをどのようにして“鉢植えデビュー”させようかと迷っていたのである。
 夏の花、ハイビスカスの両脇を固めるバックコーラスとして育成するべく、2鉢を別々の鉢に植えるか。それともコンビを組ませて1鉢でデビューさせるか。それならさしずめ、ニット帽をかぶったラッパーコンビというところだろうか。
 そのように私が他愛もないことで悩んでいる間、そいつらは少しずつ成長していった。雨風にうたれ、うなだれている日もあった。雨天続きのあと急に晴れ、暑い日差しを受けぐったり衰弱している日もあった。このまま駄目になってしまうのではとも心配したが、水をたっぷりと与えると翌日には回復し、ピンクと赤の頭は日に日に、もこもこと膨らんでいった。買ってきたときにはなかった、小さな芽も下からたくさん生えてきた。
 そして、いよいよ先日、彼女たちは鉢植えデビューした。ひと鉢に一緒に植えてやった。赤とピンクのけいとうは、互いに寄り添い合い並んで咲いている。静かに燃えるように花を揺らし、来るべき夏のステージを待ちながら。

【おまけ/梅雨明けはまだか】
 ようやく晴れ間がのぞくようになったが、まだ梅雨があけていないらしい。去年は忙しくて花火やプールといった夏らしさを体感しないまま夏が終わってしまったので、今年の夏には期待しているのだが。
 今年はスケジュールにゆとりがあるので、隅田川の花火に行ってきた。あまり夏とは関係ないが「タイタニック号引き上げ展」という展示会にも行ってしまった(映画のヒット効果か、人が多かった。中が混雑しないよう、入口で入場制限され行列。でも中味は、うーん……。もう少し展示品の解説などが欲しかった)。朝顔の種を蒔こうと思ったがどこにしまったか忘れたので、新しい種を買ってきて鉢に蒔いた。さあ来い、夏。ここのところの天候不順で弱っている、ハイビスカスとサボテンも君を待っている。
 
 


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