1998
●映画「ソウル・フード」を観て
●最近読んだ本「犯罪に向かう脳」のこと
●新生「ジャーニー」ライブ
●思い込みとこだわりと/こだわらないこだわり
●映画「ソウル・フード」を観て/at 恵比寿ガーデンシネマ(6/14)
ある日FMラジオでパーソナリティーの女性がこの映画のことを紹介していた。「題名のソウル・フードというのは南部の黒人にとって“おふくろの味”のアメリカ料理で、映画を観ているとこれが美味しそうなんですよ。ストーリーは黒人のファミリーの、なんてことはない話なんだけど、これがなんだかいいんですよね……」というような極めて曖昧であっさりした紹介の仕方。でもおいしそうな食べ物の出る映画好きだし、出演者には歌手でもあるヴァネッサ・L・ウィリアムスもいるというし、音楽は有名プロデューサーのベイビーフェイス監修ということで、音楽も期待できるかも! などと興味が湧いて観に行ってみた。例のごとくほとんど調べず行ったので、ほのぼのしててイイ音楽満載の映画かな、などぐらいに思って。映画館入口に掲示してある各種の記事を読んで初めてストーリー概要を知ったのですが、だいたいの流れが分かっていても“やられて”しまった映画だったのでした。ごく普通の人達の日常を描いているという意味では“なんてことはない”話なんだろうけど、もうもう、泣かされてしまったのです。不覚にも。
家族で向かいあって食事する食卓には、ある意味で家族をつなぎとめる役割がある。そんなことを再認識した映画だった。
ここで描かれるのは、ある黒人一家の“家族の絆”。ビッグ・ママこと祖母のマザー・ジョーを中心に、3人の娘夫婦によって織り成される家庭内ドラマ。ビッグ・ママや登場人物の何人かは、監督であり脚本を手がけたジョージ・ティルマン.Jrの家族がモデルであるらしい。人物たちの設定は実に現実味があって、きっと黒人でなくてもどんな家族にも一度くらいはありそうな問題がいろいろ描かれていく。3人の娘たちがそれぞれ抱える問題や感情も、女ならきっと少なからず自己投影できるようなシチュエーションがあることだろう。
弁護士の長女(ヴァネッサ・L・ウィリアムス)と、2.5人の子持ち(2人プラス妊娠中)の次女(ヴィヴィカ・A・フォックス)は、過去のある出来事以来、仲が悪い。末娘(ニア・ロング)は犯罪歴のある夫と結婚したてでアツアツ状態だが、夫の家族受けはイマイチ。でもそんな確執やら何やらも、毎週開かれる“日曜ディナー”で家族集まり、ビッグ・ママの手料理をみんなで食べれば和やかなムードになる。この祖母(イルマ・P・ホール)が料理上手なうえ楽天的で、問題を解決する名人で、いちいち言うことがいいんだな、これが。映画だからということはありだとしても、名言家。しかしビッグ・ママが病気で倒れてから、家族の間に不協和音が……。お金、仕事、愛情、世間の偏見。そんな現実のもろもろが、ここでは凝縮されて描かれている。そこで、バラバラになった家族を一つにする役割をするのが次女の子ども、アマッド(ブランドン・ハモンド)。この子がめちゃくちゃ可愛い。ちょっと唇が厚くって目がクリクリしていて、とってもキュート。その彼が家族を客観的に見ている視点は、監督自身の視点だそうだ。このストーリーの脚本は素晴しいと思うけど、自己の体験を抜けたところの次回作がどんな風に描かれるか、楽しみな監督である。
世間的には大きな事件ではないのだろうけど、家族にとっては大事な事件の数々が巻き起こっていく様が、グイグイ胸に迫ってくるのだった。もう私、後半情けないことに鼻水グズグズ状態。「黒人の家庭料理とはいえ、あんなにカロリー高そうな料理作ってればビッグ・ママも体悪くするよな」などと内心ではツッコミを入れながらも、涙はうらはら。でも最後には心が暖かくなる映画、である。※いい映画です。最近ちょっとなかったタイプのアメリカ映画なのではないでしょうか。パンフレットにはソウル・フードのレシピも載ってて、映画の料理シーンと重ねあわせるととっても食べたくなります。レシピの載ってるホームページもあるようです(http://www.filmzone.com/soulfood/)。六本木でこの映画の料理を食べさせてくれるところもあるそうです。R&Bの音楽も、場面場面で聴かせてくれて、サントラもおすすめです。なんか褒めすぎかな。ところでこの映画って、そのまま日本人の家族とおふくろの味の話に置き換えても成り立ちそうな気がします。ちょっと小津的な感じでどうでしょうかね。伊丹監督路線というのもありかな。
●「犯罪に向かう脳」〜人を犯罪にかきたてるもの〜を読んで/
アン・モア&デビッド・ジェセル原著、藤井留美訳/原書房刊
(6/15 up date)書評ではありません。これまで心理学的な見地から犯罪者について述べる本はいろいろあったけれど、この本のように「脳」に犯罪の原理が潜んでいると示唆する本は新鮮だった。
最初にこの本を手に取ったとき、「なんだか難しそうだなあ」という印象があったが、具体例を多数あげて書かれているし、内分泌学、生物生理学、神経生理学、遺伝学などいろんな観点から書かれているので、なかなか興味深い。また、同出版社から以前発行された「FBI心理分析官」ほどには犯罪状況の細部については描写していないので、私のように怖がりな人間でもページを繰るのが苦にならない。
日本では凶悪な犯罪が起きるたびに家庭や学校などの環境に原因があったのではないかとそこばかりに非難が集中するが、この本の論旨によると、生物学的な問題を抱えた結果として犯罪を犯してしまう人のパーセンテージはかなり高いということなのだった。
犯罪といっても連続殺人など凶悪なものから家庭内暴力、詐欺などまで様々である。本書はその多岐にわたる犯罪について、文化や社会の要因などもからみ、原因は必ずしもひとつではないことを肯定しつつ、偏見のない所見と研究の結果“脳”にも原因があることを検証していく。
たとえば、事故などで頭を強く打って脳のある部分が損傷を受けた場合、怒りなどの感情が爆発しやすくなり、本人もそれを制御できなくなることがあるというのだ。日常生活をごく普通に送っていても、たいした理由がなくても怒りだし、暴力をふるっている間のことは記憶がなかったりもする。ジキルとハイドのようなそんな話は、どうも実際にあるらしい。そういう人には治療が必要なのであって、治療すれば快方に向かうという。
精神の分野であると思っていた“後悔の念”などの感情にも、脳の器官が作用しているということも興味深かった。自分のしたことは悪いことだと理論では理解していても、罪の意識を感じないのがサイコパスといわれる人達だ。凶悪事件を起こした彼等の脳を調べたところ、脳内の感じる部分と良心を学習する部分が隔絶されていたことが分かったという。そういう人は後悔や良心の呵責を感じないから、平気で犯罪を繰り返せる。なんだか恐ろしくなる話である。感情をつかさどるのは心だという気がするのだが、そこにも脳の働きが作用しているとは……。
また、攻撃性に性差が関連しているというのもちょっとショッキングだった。男性と女性では脳を動かす神経科学的なエネルギーが異なると同時に、攻撃性を促すホルモンにも差異があるというのだ。確かに子どもの頃から活発なのは男の子のほうだ。でもそれは成長するに従って生理学的なバランスがとれ、多くの人は感情と衝動性をコントロールできるようになる。しかし大人になってもそれができない人、というのはホルモンや脳内の神経伝達物質が正常値でない場合が多いということだ。
今の先進国社会は戦争もなく一般的には平穏で、男性の征服欲や攻撃衝動の行き場が失われており、凶悪犯罪の増加にはそういう側面もあるのだろうかと著者は示唆している。
せめて子どものうちに、男の子の征服欲や攻撃衝動が満たされるような遊びをさせてあげれればいいのだろうか。昔の男の子たちがやってたみたいな木登りとか、探検ごっことか。でも今の子どもたちにはそういう遊び場が少ないし、危ないことはさせない親も多いだろう。平和なのが悪いわけではない。でも、平和すぎる日常と家庭と学校で、子どもたちは“オス”としての自分を持て余しているのではないだろうか。何の問題もないはずなのに“キレる”子どもたちの心理は、時代が生んだ病理かもしれない。
●新生「ジャーニー」ライブ/My best song of JOURNEY「Lights」
/at 東京国際フォーラム(6/21)待ち望んでいたジャーニー(JOURNEY)の来日公演。それを知ったのは、6月上旬、深夜のテレビCMでのこと。やっと来たよー! と私は夜中に喜んだ。
ジャーニーの曲を初めて知ったのは、高校の文化祭の時だった。同級生の男子たちが結成したロックバンドが文化祭でライブをやった。兄のレコードのなかで聴いた覚えのあるクラプトンの「コカイン」の他は、ほとんどが私の知らない曲ばかりだった。しかし、そのなかの1曲が、私に強烈なインパクトを与えた。シンプルで短いバラードだったが、叙情的なその曲は私の心に深く残った。
後日、バンドのキーボードをしていた女の子と仲のいい友人から、原曲のバンド名と曲名を聞きだし、その曲が“ジャーニーの「ライツ(Lights)」”であることを知る。文化祭のときのバンドのボーカルが当時憧れていた人だったということもあって、「ライツ」は後々まで私にとって忘れられない曲となった。
以後、「ライツ」の入ったアルバムをようやく探し当て、数枚のアルバムを聴いた。アップテンポのものもなかなか好きだったし、「フーズ・クライング・ナウ」「オープン・アームズ」などのバラードもいいが、やはり“マイベストソング”は「ライツ」だった。すべてのアルバムを聴き込むほど熱中はしなかったが、それからジャーニーというバンドは私のなかで特別な存在になった。時は流れ、96年。友人のU子をわが家に招いたとき、彼女が私のCD棚の1牧に関心を示した。当時発売されたジャーニーの「TRIAL BY FIRE」である。U子とは高校の同級生なのだが、彼女もあの文化祭で聴いて以来ジャーニーが好きになったのだという。聞けば、かなり前の来日公演も行ったという。長年解き明かされなかった意外な接点に盛り上がり、「今度来日したら絶対行こう!」と約束する。ニューアルバム発売直後だったので、来るのではないかとしばらくチェックしていたのだが、なかなか来日情報はなかった。
そしてすっかり忘れかけていた今になって、来日の知らせ。しかし、あとで調べてみると、ボーカルがスティーヴ・ペリーではなくなってしまったらしい。なんだー……。と、がっかり。名前は同じスティーヴではあるが、“スティーヴ・オゥジェリィー”であるという。でもあれだけ待ち望んだ来日公演……ライブに行くべきかどうか迷ったが、とりあえずチケットがまだあるかどうか事務局に電話をしてみた。すると、もう2週間前なのにまだ大丈夫だという。ボーカルが交代したから人気がないのだろうかと、なんだか少し寂しかった。
後日、U子と久し振りに連絡を取り、ジャーニーの話になった。やはり二人とも、ボーカルが代わったことが気になっていた。私はまだ行くかどうか決めかねていたが、とりあえず公演の日、会う約束をする。少し遅くなったが私に誕生日プレゼントを選んでくれるということだったので、有難くお受けする。さて21日、U子と会うまで、私はまだライブに行くかどうか悩んでいた。チケットは当日券だと9000円もするし、でもなあ、これを逃したらもういつ聴けるか分からないし……とさんざん迷う。U子は「私は一人でも行くつもり」と言う。そうだよねえ、“次”はもしかしてないかも知れないし、なんて思って私も結局行くことにした。
会場で当日券を買ってからお茶を飲んで時間をつぶす。開演前にダフ屋がチケットを半額で売っていたのは少し悔しかった……。会場には、いかにも“ロックやってます”っていう感じの長髪兄さんやら、昔からのジャーニーファンだった感じの人々が集まっていた。当日券もあるということで客席はガラガラなのではと思っていたのだが、けっこう席は埋っていた。私たちの前の列には、一人で来てる女の人もいた。
1曲目から観客はほとんど総立ち。新しいボーカリスト、スティーヴの歌はどのようなものか……と緊張の一瞬。これがけっこう、スティーヴ・ペリーの声と似ていた。ペリーの方が声に艶があるような気がするし、表現力があるように思えるのだが、少なくとも期待は裏切られなかった。あのハイトーンの曲を、堂々とした歌いっぷりで歌いあげていく。前半はアップテンポ系のヒット曲が次々と続き、懐かしい曲のイントロが聴こえると観客の間から歓声があがる。
そして、中盤のバラードタイム。数曲目の始めの、微かなチューニング音に聴き覚えがあった。「もしかして!?」と私はU子に呼びかける。そして始まったイントロは、確かに“ライツ”のものだった。「嬉しいー!」と飛び上がって喜ぶU子と私。やってくれるとは期待してなかったので、ものすごく感激した。バラード曲なのに、私たちだけ異様に盛り上がっていた。でも始まってからは心を落ち着けて聴き入る。これが聴けただけでも、来てよかったと思えた。
それから名曲・オープンアームズをはじめ数々の曲を披露。私は昔のライブを生で聴いたことがないから比較はできないけれど、たぶんあそこに来ていた昔のファンは、けっこう満足していたのじゃないかな。中盤以降の客席は大いに盛り上がっていたし、特に前のほうの客は踊りまくっていた。私たちの前の席の、一人で来てた女性もずーっとノリノリ。新曲も数曲披露したが、やはり聴き覚えのある曲のほうが、客席は涌いていた。
以前とはまったく別物として聴けばボーカルは素晴しかったし、自分の曲であるかのように歌いこなしていたと思う。ギターのニール・ショーンの演奏も絶妙だったし、キーボードのジョナサン・ケインもいい!
今回の公演は世間ではあんまり評判にならなかったかもしれないが、新生ジャーニー、これからも頑張ってほしい。過去の名曲に負けない曲を、これからも作っていってほしいものだ。
【新生ジャーニーのメンバー】
Vo/スティーヴ・オゥジェリィー
KEY/ジョナサン・ケイン
G/ニール・ショーン
B/ロス・ヴァロリー
DS/ディーン・カストロノヴォ※音楽通の人には周知の事実かもしれないのですが、ジャーニーのギタリスト、ニール・ショーンは元サンタナの一員だったそうですね。「キャラバン・サライ」のレコーディング中に脱退したそうですが。ライブ会場で購入したCD「INFINITY」の解説を読んで、私はそのことを知りました。なんだか感慨深かったのは、実は私が初めて洋楽で感銘を受けたアルバムが、サンタナの「キャラバン・サライ」だったからです。初恋のアルバムに参加していたギタリストに、時を超えてまた巡り会うとは不思議なものであります。
●ついでの一言
誕生日プレゼントとしてU子にリクエストした「仏像通」(本&ビデオ。みうらじゅん氏も関わっている)、見てみて感激モノです。さすが重版出来。分かりやすく読みやすいカラー本と、案内人・みうらじゅん氏出演のビデオ、いとうせいこう氏監修の「見仏手帖」付き。見仏人にとっては嬉しい学習セットです。先日、朝日新聞の広告でも紹介されてましたね。仏友・ヒロとともに、そのうちまた旅に出るかなあ。
●思い込みとこだわりと/こだわらないこだわり
/ひとりごと(6/25 up dated)思い込みとこだわりは紙一重だと思う。
何かを試す前に、そのことに対してイメージを作り上げてしまうのが“思い込み”。色々試したうえで、そのなかから敢えて選び取るのが“こだわり”だと私は解釈している。
これまで何かを始めるとき、思い込みしやすい自分を回避するために、あまり前知識というものを持ちたくないと常々思ってきた。
これまで“思い込み”を持ってきたがために、私には苦手なものがたくさんあった。見知らぬ訪問者、大人、人前で歌うことや喋ること(これは大人になってからのカラオケに通じる)、肉、生魚、ロック、数学、機械など細かいもののメカいじり、手先を使う細かい作業……。数学だけは今だに克服できずにいるが、まあこれは置いておくとして。それ以外では、あるとき突然に体験してみたり試してみたりして、ひょいと苦手意識を克服してしまったのである。不思議だった。「なんで今までこれが嫌いだったんだろー!?」って。
そのきっかけになったのは、ロックだった気がする。
私が高校に入学するのと入れ替わりで、兄が実家を出た。そこで私は、それまで兄が使っていた広い部屋を使わせてもらえることになった。ギター小僧だった兄はギターは持って家を出ていったが、オーディオとレコードのストックは家に残していった。レコードのほとんどはロックだった。それまでの私は、ロックなんてうるさいだけの音楽だと思って聴かず嫌いだった。でも毎日部屋にいるうちに、棚に並ぶレコードの存在がどうにも気になってきた。確か夏休みだったと思うが、暇もあったので試しに一枚一枚のレコードを取り出し聴いてみた。ザ・フー、レッドツェッペリン、ディープ・パープル、ビートルズ、ヴァン・ヘイレン、レインボー、クラプトン、サンタナなど60〜70年代のハードロックが中心に揃っていたと思う。
いろいろ聴いていくうちに、「思ってたほど悪くないじゃん」と意識が変わってきた。なかには肌に合わないものもあるが、バラードなどには魅力を感じる曲もあった。数あるアルバムを聴いてみて、私のなかで平均してポイントが高かったのはビートルズ。歌詞を抜きにして初めて曲調で涙を誘われたのがサンタナだった。ザ・フーも曲によってはいいなと感じた。これまで私が聴いてきた歌のなかに、ビートルズなどの影響をかいま見たのも新鮮な驚きだった。「なーんだ、今まで聴かないで損したな!」という印象。
それ以降、今まで自分では絶対できないと思っていたことを次々とできるようになって、やっていることが楽しくなっていくたび、「苦手だったんじゃなくて、苦手だと思っていただけじゃない?」と思うようになった。
ロックを聴き込んだのはこの高校時代の3年間だけだったけど、このことを契機に次々と新たな自分を発見した気がする。刺身なんて高校生になってその味覚に目覚めるまで、美味しいとは少しも思わなかったし。ステーキを食べてみてある日突然、美味しいと感じたり。機械は苦手だと思っていたが、やってみたらワープロにはまってしまったり。絶対できないと思っていたパソコンも必要に迫られてそのうち慣れた。そんな自分に出会うたび、なんだか愉快な気分になれる。自分のことは自分が一番よく分かってるつもりだったけど、まだまだ未知数の部分があるということに、ワクワクしたりする。
そして、今の私は刺身やステーキに舌鼓を打ったり、こうしてパソコンに向かったりしているわけだ。
傍から見ると私のやってることや趣味・好みは無節操なふうに受け止められるかもしれないけれど、実はその裏にはある意思が潜んでいる。
これからも私は、ジャンルに“こだわらない”ことにこだわっていこうと思っている。