1998
●演劇「ローラー・ハリケーン」を観て/at下北沢本多劇場(4/2)
友人に誘われ、芝居を観に行く。東京後藤ひろひと劇団、「ローラーハリケーン」。友人の知りあいが出演しているらしい。なんでも、かつて70年代に一世を風靡したイギリスのバンド、ベイシティローラーズをモチーフにした芝居だそうな。そしてそのお知り合いは、ベイシティローラーズもどきのバンド「ローラーハリケーンズ」のメンバー役とか。なんだかよく分からなかったが、時間もあったし招待券があるということで誘われるままに劇場へ。
過去のベイシティローラーズって、私にとっては興味の対象外だったのだが、パンフレットを読んだところではどうやら制作者サイドにとっては神聖なものであるらしい。いや、それとも面白がってちゃかしてるのだろうか。20歳前後の子はベイシティローラーズを知らない人もいるだろうから、パンフレットにも色々注書きをしてある。まあ何はともあれ、そのローラーハリケーンズのメンバーは、実際のミュージシャンたちだという。
また、この芝居のために集められた劇団員による旗揚げ公演であり、解散公演でもあり、48名が総出演とのこと。そんなに出て役が分かるかな……と多少懸念していたのだが、これがけっこう気にならなかった。後藤氏演出というものは初めて観たのですが、そのあたりの采配はなかなかのものとお見受けします。キャラクターが個性的なので、それぞれが印象に残るのであります。しかし役者の滑舌が良くなかったり、台詞が聞き取れないなど気になる点は多々あり。
ストーリー自体はあまりにもマンガチックで、馬鹿馬鹿しくって、けっこう笑えた。時は70年代、ある街に有名ロックバンド、ローラーハリケーンズがやって来るという噂が。しかしそれは世界の支配を目論む組織が資金づくりのために企んだ、嘘であった。まんまと大金をせしめた黒幕は高跳びしようとするが……というもの。最後の落ちはあまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しく、その発想にやられたという感じ。
しかし全体として見ると、ある一定の年代(特に20歳前後、もしくはそれ以下の子)には分かりかねるような、世代間ギャップのあるギャグがあったりして、損していたかもしれない。ローラーハリケーンズのせっかくの生演奏も、いまひとつストーリーの中で生かされてなかった気もする。誰がどのオリジナルメンバーの偽物かよく分からなかったしねえ。いっそのこと、名札付けるとかタスキかけるとかしたほうがよかったのではないかなあ、などと思ったりして。まあ最後はコンサートのりのエンディングで楽しそうでしたが。すみません、辛口で。
●幸福のオムライス/地元のカフェにて(4/15)
たいがいの街にあるのでは、と思われるのが、寛げる喫茶店の存在だ。私が生まれ育った街にも、通りから少し外れたところに、山小屋のような雰囲気の喫茶店があった。コーヒー1杯で何時間も粘っても店主のママは嫌な顔もせず、店内にいるとやけに落ち着けたものだ。私が高校生だった頃、しばし通い詰めたその喫茶店には、落書きノートなるものが存在し、訪れる人々の他愛ないモノローグの場となっていた。いわば、現代におけるパソコン通信やインターネットなどの会議室や掲示板のようなものだろう。そこで交わされる社会人や他校の高校生とのやりとりは、まだ狭い世界しか知らない高校生の私にとって、わくわくする出来事だった。そのやりとりがきっかけになり、顔合わせ会なども企画したものだった。
自分の部屋以外に、寛げる場所というものを失ってから久しい。私は喫茶店で本を読むのが好きなのだが、落ち着ける店にはなかなか巡りあえずにいた。
ところが、現在私が住んでいる街で、寛げそうな雰囲気のカフェを久々に発見した。そこはメインストリートを曲がったところにあるため、明るいうちに地元へ帰ったことのないここ数ヵ月、まったく足を向けていなかったスポットだった。以前そこは、日本語が達者なオーストラリア人が経営する雑貨屋だった。私がこの街に引っ越してきたての数年前、インディアンジュエリーをその店で買ったのだが、あまりにオーナーが喋り好きなので、その後少し敬遠していたのであった。そのオーナーをそれからも駅近辺でよく目撃したが、最近はスーツ姿で歩いているのを見かけた。そうか、あの店を手放してサラリーマンにでもなったのか、となぜか感慨深い気分になるのであった。
さて、そこでカフェのほうに話を戻そう。外観から見る限り、アーリーアメリカン調のインテリアで、店の外にはハーブの鉢などが並べられている、自然派志向っぽいカフェだった。丁度お腹がすいていて、何か食べたいと思っていた私の眼は、大きなオムライスのサンプルに釘付けになった。そこでついふらふらと、未知の世界に足を踏み込んでしまった。
平日の夕方ということで、客は数名であった。席に腰を落ち着けたものの、なかなか店員さんは注文を取りに来ない。私と同じくらいに来店した外国人の女性2名も、気長に待っている。どうやら人手が足りないらしい。すみませーん、とウェイトレスに声をかけても、少々お待ちください、という答えが返ってきて、先客の一組にせっせと料理を運んでいる。しかしインテリアとして飾られている絵本などを手に取っているうち、まあいいかという気になってくる。来店してから10分以上は経っただろうか、ようやく水が運ばれてくると、ピッチャー入りの水にはオレンジスライスが浮かんでいる。待たされたのも忘れ、ちょっと嬉しくなってしまった。向こうの席の外人女性たちも、その水を飲みながら微笑んでいる。
別にその日は急いでるわけでもなかったので、オムライスとドリンクセットのハーブティーを注文してのんびり本を読み始めた。しかし、店内にはアメリカンコミックのキャラクターグッズとか、ガーデニンググッズとかが展示販売されており、眼が思わずいって見てしまうので待ち時間もイライラしなかった。まあこれが限られた時間内のランチタイムだったらまた気分も違うだろうけど。
さて、さんざん待った挙句、運ばれてきたオムライスを見て、私は心のなかで拍手喝采した。しっとりとした黄金色の生地、その周りに広がるトマトソースの赤。ソースにクリームで描かれた飾り模様。さらにソースの周りにはクレッソンの濃い緑。そしてこんもりとしたオムライスの上には、ブラックオリーブのスライス。幅20数センチはあろうかと思われるどでかさにもかかわらず、皿の上には気品が漂っていた。うーん、フランス料理の風格が漂うオムライス。
惚れ惚れとして皿に見とれていた私だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、食べ始めた。見かけ倒しでなく、味のほうにも惚れ惚れした。パラリとしたケチャップライスに、シーフード入り。まずは芝エビ。ふうむ、エビオムライスかと思っていると、アサリがあるわ紋甲イカはあるわ、チキンはあるわで、具沢山。何が出てくるかわからないオモチャ箱のようなオムライスであった。
食後にはハイビスカスティー。深いルビー色が奇麗なお茶だった。それにしてもティーとサラダがセットで980円は安い。これだけ美味しくて眼でも楽しめるものを作るなら、手間がかかって当然かなと思える。おいしいものを食べると幸せな気分になれる、単純な私であった。
いい店を見つけたなあ。でも、お店の名前と場所は秘密。こういう店は地元の人々のオアシスであってほしいから。今年オープンしたそうだが、すでに女性誌などの取材が数本あったらしいから、もしかしたら見た人もいるかもしれない。月に1回ぐらい、店内でミニライブを行なうこともあるそうで、出演メンバーが書かれた店内の黒板には、シーナ・アンド・ロケッツのギターの人の名前があった。ライブのつど、出演者も変わるらしい。私はスケジュール的に4月ライブは見れそうになかったが、次回に期待。次はどんな出演者か楽しみだ。
●映画「恋愛小説家」を観て/at 新宿武蔵野館(4/17)
最初にこの映画を観たいと思ったきっかけは、タイトルだった。小説家。映画の主役を張る人物の職業としては地味(アクション性という意味で)な設定を、どのように見せてくれるのかにまず関心があった。原題の「AS GOOD AS IT GETS」は、邦題の「恋愛小説家」とは似ても似つかない。邦題の付け方いかんで映画の印象もかなり変わるが、これはかなりいい線いってるのではないだろうか。加えて、その恋愛小説家がジャック・ニコルソンである。そのミスマッチ感にかなりひかれた。彼がこの映画でアカデミー最優秀主演男優賞を受賞したことで封切前から話題作となっていたが、個人的にはそれ以前から大いなる関心を寄せていたのである。
本作についてはあちこちで色々語られているので、個人的な感想を記することにする。まず結果から言うと、観終わった後に元気が出て、楽しい気分になれる映画だった。でもこの気分はきっと、コドモには味わえないんじゃないだろうか。これは大人のためのコメディーだと思う。うっかりこの映画を観てしまったコドモ諸君は、大人になってから是非また観て欲しい。きっと見え方が違ってくることだろう。なんて偉そうなこといってる私はたいした大人ではないが……。
さて、女主人公のキャロル(ヘレン・ハント)は、シングルマザーである。そろそろ自分も幸せになってもいいのでは? と思いつつも、病弱な息子のことが始終頭から離れず、きっかけをフイにしてばかり。対するメルビン(ニコルソン)は、そんな彼女に思いを寄せながらも生来の毒舌と病的な潔癖性が災いして、なかなか好意を伝えられない。映画のキャラクターは極端だけど、私の周囲にもこういう人達ってけっこういる。主人公のメルビンほどではないにしろ、大人になるにつれ自分の恋愛感情を伝えにくくなっていくのではないだろうか。子どもの頃には考える必要のなかった、いろんなしがらみに絡め取られたり、傷つくのが恐くなっていったりして。「大人のための映画」って言ったのは、そういう意味である。
主人公二人の間のキーパーソンとして、ゲイの画家・サイモン(グレッグ・キニア)がからんでくるのだが、彼の存在でまた事態は面白みを増していく。彼のキャラクターがあるかないかが、この映画の出来映えを左右していたと思う。ところでゲイといえば……。まだ上映中なので詳細は控えるが、ビレッジピープルのYMCA が“ゲイソング”といわれてたのを知らない方は、ここで覚えておきましょう。日本ではかつて西条秀樹が歌っていた“ヤングマン”(YMCA)の元曲ですね。この事実を踏まえているかどうかで、あるジョークが笑えるかどうかが決まります。ちなみに私が観てた映画館では、笑ってた方は非常に少なめ。ひとつ隣の席の見知らぬ男性と私は大笑いしてたけど……。
他にもちょっとした仕草や表情なんかで思わず笑わされてしまった。脚本も俳優(犬優も)も芸が細かい。芸がくどいという意見もあるようだが、私は好きだ。特に、メルビンがどんどん“嫌な奴”から“いい奴”になっていく過程が楽しい。台詞にもお気に入りがいろいろあったが、これから観る人のためにここでは書くのは差し控えておく。でも少しだけ触れておくと、口説きの台詞とかではなく、本人たちが自分の内面の気持ちに踏み込むときの独り言がよかったなあ。
ところで、この映画で泣けるところがあるかどうかは人それぞれだが、私はあるシーンで不覚にも泣いてしまった。(ここだけ状況説明のため少しシュチュエーションに触れてしまいます)キャロルがメルビンに礼状を書いてきて渡そうとするのだが、メルビンは、自分がしたかったからしたのだから礼はいらないと断わる。一旦引き下がったキャロルであるが、やはりどうしても聞いて欲しいと、自分の礼状を読み上げ始める。どうってことないこんなシーンなんだけど、私的にはなんだか涙腺がゆるんでしまったのだよなあ。何故だろう。儀礼的な“お礼”じゃない、心から発露する気持ちになんだかぐっときてしまったのだろうか。言わずにはいられない気持ち。ふと考えてみると、あんなふうに心から感謝の気持ちを表わしたことや表わされたことって、最近あんまりないかもしれない。無意識のうちにそんな気持ちを渇望してたのだろうか。と、自己分析してみたりする。
そうして、自分が無くしかけてるものや感情にふと気付いてみたりなんかしたから、観終わったあとちょっぴり元気になれたのかもしれない。自分を縛るいろんな“こだわり”からだんだん解き放たれて、素直になっていく二人が羨ましかった。