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皐月(May)1997


●ダリアの悲劇/斉藤和義氏のライブ/長野見仏


●1日/ちょっとしたこと

 ここのところ、鉢植えを買い続けている。先月末にはベルフラワーと双子のダリア(1本の茎に2つの花が表裏一体で咲いてる珍しい奴)。500円の破格値の胡蝶蘭。そして今日はミニ観葉を買ってしまった。葉っぱにまだら模様が入ってたので、店員さんの男の子に「この葉っぱの色は、病気じゃなくてこういう色なんですよね?」と聞いたら、「そうですよ」といって包んでくれて、「大事に育ててあげてくださいね」と笑顔で言われてしまった。今どき珍しい好青年タイプであった。 


●7日/ダリアの悲劇

 都市ガスへの切り替え工事のため、工事の人が来るまで在宅していなければならなかった。待つ間、読書三昧。一日を待つことで終わってしまうのは辛いなー、と思っていたら友人のU子より電話。映画のタダ券が急に手に入ったので今日行かないか……というお誘いだったので、ほいほい乗ってしまった。夕方、銀座へ。連休の後の平日のせいか空いていた。映画館の席もがら空き。しかし、空いていたのには別の理由もあったことに、始まって10分も過ぎた頃気付いた……。
 映画は『SPACE JAM』。それはマイケル・ジョーダン主演がウリの映画だった。しかし、もしお金を払っていたのなら、確実に私は爆発してこう叫んだだろう。「金返せ!」。
 まあ、U子も私も学生時代にバスケット部だったし、イントロダクションの映像と音楽のカッコよさには少しだけ期待したんだけどね。あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えるとこもあったけど。爆笑とまでいかなかったのがお寂しい。マイケル・ジョーダン出演だけあって、冗談みたいな映画であった。……というおやじギャグみたいなジョーダンはさておき。途中で帰ってしまった人達もいたなあ。
 そんなこんなで、映画の後に酒をかっくらって帰ってくると、部屋では、つぼみのまま終わってしまうのかな……と気掛かりだった胡蝶蘭が見事に開花していた。夕方まで部屋にいたのでよく分かったが、本当に刻一刻と、花は開いていくのだねえ。生命の神秘だなあ。
 逆に、哀しいことに予定外の短命の命運を受け入れた者もいた。それは赤のダリア。同じ鉢のイエローダリア姉妹の中で、ただ一輪自己主張していた赤い花。蓮にも似たその姿は、私を夢見心地にさせてくれたものだ。な、なのに。
 昨日、予告もなしに朝からドアの外で電気ドリルの音がした。ガス工事があるとは聞いていたが、本来の工事予定は今日だったので、たまげてしまった。聞けば、予備工事だという。聞いて無いよー、はた迷惑な。しかし止むを得ないと、鳴り響くドリルの音に耳をふさぎ、しばし耐えた。なんとなく眠れなくて徹夜した後だったし、花たちには早朝にたっぷり水をあげていたので、外の花達に注目はしてなかった。それが……水をあげにいくと、赤のダリアは全ての花びらをそこら中に散乱させていた。昨日はしおれてさえもいなかったのに。前日のドリルの振動で、若い身空で散りはててしまう、不遇の憂き目にあってしまったのだ。私は交通事故で突然わが子を失ってしまったような気がして、しばし呆然としてしまった(そういう経験はないけど)。
 天寿をまっとうせず、自らの意志とは無関係に散ってしまう命。そういうものは、確かにあるのだ。花も人の命も、夫婦や恋人たちの関係も、なんらかの形でいつか終わりがくるのだとは分かっていても、実際に直面するまではそのリアルさを感じられない。よく、「失って初めてわかる愛」とか、「君が去って、改めてその大切さに気が付いた」とかいうけれど、そんなのは奇麗ごとだ。大事なものなら失う前に大切にしろってんだい、おっといけないお下品な、大切にした方がいいと思う。などと言っても、私も、失ってみて気が付いた大切なものっていうのが幾つかあったからそう言えるのだが。
 けなげに咲いていた赤のダリアへ。私には貴女の身に振りかかった不幸を遮る力はなかったけど、そのいきいきとした姿は、きっと覚えているよ。何事にも咲くべき時があり、散りゆく時があるのだと思いたい。
 ネイティブアメリカンの教えに次のようなことがあったっけ。「変えられることなら変えようと努め、変えられらないことは黙って受け入れる」。私も、変えられないことなら甘んじて受け入れよう。でも変えられることはどんどん変えたい……と思ってるのだがなあ。これがなかなか。


●8日/斉藤和義のライブ

 斉藤和義の渋谷公会堂ライブに行った。いやあ、演奏やアレンジのすばらしさにも感動したライブは久し振りであった。トークは決して饒舌ではないけど、そのかわりにギターソロのフレーズで観客の歓声に応えちゃってるよ。なんていうか、単に「うまい」のじゃなくて、言葉に聞こえる音をギターで出すっていうのかなあ。音楽的には詳しくないから、「あのリフが」とかなんだかんだ言えないけどね。でもとにかく、CDしか聴いてない人は、斉藤和義のライブに行くべし! ギターソロとドラムのみのアレンジの曲とかもあり、すごくよかった。いや、もちろん歌もいいんですけど。斉藤和義は歌詞が特に好きだ。「幸福な朝食、退屈な夕食」とか、なんていうんだろう、ラップロックって感じ? 一見すると無関係な単語を無機的に並べてるようでありながら、次々に繰り出される言葉を聴いていくと、多様なイメージが頭の中で繋がっていく感覚。そこに身を委ねる快感。
 アンコールでは、「Baby,I love you」をアレンジ違いの1曲6パターンで披露。バンドの皆さんの演奏には、惚れ惚れしてしまった。ロカビリー、ビートルズ風、ベンチャーズ風、ジャズ、ブルース、ロックだったかな。いやあ感動だよー。ビール飲みながら演って歌ってたけど、演奏や歌はしっかりしてた。でも喋りになると、和義さま、ただのよっぱらい。キーボードも足で弾いたり、「きみの顔が好きだ」を替歌にして放送禁止用語連発で歌ったり。でもいい味出してるなあ。いやあよかった、うん。客席にもビールを出してくれたらもっとよかったんだけど!?


●15日/長野見仏へ

 旅立ちを唐突に決意した。新聞で見た、「善光寺7年に一度の御開帳」というツアー紹介が私の決意を促した。別に仏像が見たかったわけではない。思い出したのだ。6年前、父に「今年は善光寺の御開帳らしいし、行こうよ」と誘ったことを。父は長野出身であるが、私は一度も行ったことがなかった。その時は単に、あんずの里などにも行ってみたかったので、ついでの思いつきで言っただけなのだが。でも父は、「あそこはもう小さい頃から何度も行ったし、これからいつだって行ける」と言っていた。でも2ヵ月後に父は他界し、約束は果たせなかった。
 そして現在。べつに信心深くもないし、仏教にも全く関心がない私が面白半分で見仏ツアーに参加したことや、先日いとうせいこう氏の著書「見仏記」で読んだラストの三十三年後の約束に感激したこと、ちょうど予定もなくぽっかり空いているスケジュール。この一連の流れは、旅立ちを促しているようでもある。しかし、善光寺ってたぶん混むんだよな……。と決めかねながら時刻表をめくると、新宿を深夜に発つ列車がある。ふーむ、日曜に出て月曜早朝に着くスケジュールならそれほど混んでないかな……と考える。よーし決めた。
 さて、数日後の日曜夜。23:50新宿発の夜行に乗って長野へと向かう。一人で夜行なんていつ以来かなあ? やや緊張。《詳しくはsesami's travel fileにて》

 知らずして行ったが、ついでに行った長野県松代町は仏像の宝庫だ。元祖見仏人のいとう&みうら氏のお二人に、ぜひとも行って分析していただきたい場所である。


《お帰りはこちら》
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