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皐月(May)

2000 


『オール アバウト マイ マザー』
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
を観て/受け継がれてゆくもの

カフェでのひととき


●映画『オール アバウト マイ マザー』・
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を観て/受け継がれてゆくもの
(5/11)

 映画を観るため、久しぶりに渋谷に行った。そうしたら、センター街を闊歩するガングロのギャルたちをあちこちで見かけるうち、なんだか外国にいるような気がしてきてしまったのだなあ。それに、あちこちの店でかかっていて路上にあふれてくる音楽や、ゲームセンターのマシンの音、道行く人々の笑い声などで騒々しいことこのうえない。何年か前は渋谷にある会社で5年間働いていたのだが、離れてみると別世界のような気がする。 ところで、その日観た映画2本は、どちらもとても心に染みた。機会があったらぜひ観て欲しい映画。

 私のなかでこれらの映画は、ちょうど同時期に読んでいた本、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の構造から受ける印象と重なる部分があった。それは、時を超えて綿々と受け継がれていく“何か”の存在だ。『百年の孤独』の場合は、愛の欠如に伴う孤独や、親・親戚からもらい受けた名前。そして、好き放題に生きて死んでいく男達を支えてきた一族の女達の姿。母になるのを恐れた者や母になれなかった者、百年の一族の歴史を見てきた母の存在。

 『オール アバウト マイ マザー』の場合も、親の名前や想いは子どもへと受け継がれていく。その想いはさらに、血のつながりや性別さえも超えて、リレーされていく。

 対して『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、音楽がまさに生きることそのものだった男達の歴史と今、“伝播”の力を伝えてくれる。このドキュメンタリー形式の映画そのものが、受け継がれていくべきものであるということだ。時を超えて人々に観られていくことで、生きているキューバ音楽を次の世代にまで伝えていく役割のものだと思う。

 2つの映画とも、生きていることは“誰かに何かをリレーしていくこと”、そしてそれはけっこう素敵なこと、というふうに感じさせてくれるものだった。まだ観ていない人がいたら、ぜひ観て欲しい。

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◎『オール アバウト マイ マザー』(シネセゾン渋谷)

 この映画は、さまざまな女達が選んだ生き方を、否定も肯定もせず私たちの前に投げ掛ける。彼女達の運命はそうそうあるようには思えないが、でも実際のところは、すべての女(と、男)を含む種類のものでもある。母になったがゆえの愛と苦悩を抱える女達、あえて母になろうとしないレズの大女優、母になりたくてもなれない元・男の娼婦、などなど。その強烈な人物設定は異質さをたたえながらも、“母”“命の連鎖”といった大きなつながりで結ばれるがゆえに、やわらかみをもって伝わってくる。彼女たちは運命に翻弄されているかにも見えるが、結局は自分で選び取った人生を生きている。そして、その結果のおとしまえをつけるのは自分自身だということをよくわきまえている。つまり、女が、そしてすべての人間が、たくましくも自分に誠実に生きていくことのすべてがそこに映し出されているのだ。 “人の生き方は、どれも間違いじゃない”。全体から発せられるメッセージに、多くの人は力づけられるだろう。

 個人的に好きだったシーンは、トラブルにより公演中止を告げるための舞台で、女装の娼婦(胸あり)アグラードが演目の代わりに“女を演じる自分の人生”の話をするところだ。「女になるのはお金もかかるし大変、本物の女は高くつくことを忘れないで」とユーモアたっぷりに言い、アグラードは観客の笑いをとる。“女としての自分”を維持するためのゲイの努力を想うと、ブランド品を身にまとうよりも身に付けるのはたやすくない“女という性”に対して、もっと自覚的であるべきだと感じたのだった。

 アルモドバル監督の映画は初めて観たが、ほかの作品にもやはり一癖も二癖もあるキャストが出てくるらしい。一作しか観ていないのに断定するのもなんだけど、きっと監督自身が、今回の映画にあふれている“立場や性別を超えた、「人」への愛”を抱いている人なんだろうと思う。
(5/15Up dated)

※と、ここまで書いたところで、カナダはバンクーバー在住の友人・ハルから国際電話が入り、話し込んでいるうちに、出かける時間となってしまいました。よって『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のことはまたのちほど!

※ところで、先日友人が嘆いていた。母親が、その子の姉に次のようなことを深刻に相談したとのこと。「あんなに見合いを嫌がるのは、もしかすると男に興味がないのかしらねえ……」。、、、、……。親の心子知らず、子の心親知らずで、友人はとてもへこんでいた。ううむ、親の精いっぱいの現代的な寛大さとみるべきか、友人に同情するべきか。しかしなあ、私とレズカップルと本気で思われたらどうしよう。真相は違うけど、笑うに笑えない年ごろ(?)の私たちであった。

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◎『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(シネマライズ)

 映画を見終わってすぐさま買ったアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を、部屋でかけてみる。スクリーンで観て聴いたキューバン・ミュージシャンたちの演奏に対する感動を、再び呼び覚まそうとする。だが残念なことに、映画のときほどには、胸は熱くならない。やはり、最年少は40代というキューバン・ミュージシャンの古老たちの、熟練の、そして老いを感じさせないパワフルな歌や演奏から視覚的に伝わってくる感動というものがあるのだ。彼らの姿、人生そのものがカッコイイ。

 登場するのは、ライ・クーダーが惚れ抜いたキューバ音楽の名手たちで、すべてミュージシャン本人。40歳から上は90歳を超えた伊達男コンパイ・セグンドまで、10数名。故国でも忘れられかけた存在になっていた彼らをライ・クーダーが集め、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を作り上げ、96年にカーネギーホールでコンサートを開くに至るまでを描いたドキュメンタリーだ。メンバー各人の語りを中心に、コンサートやレコーディングの模様が映し出される。

 冒頭のカーネギーホールのシーンから、私はすでに彼らの音楽に惚れ込んでしまった。かなり前に作家の村上龍が、あちこちで「キューバ音楽は素晴らしい」と書いていたが、そうか、こういうことだったんだ、と、遅まきながら初めて分かった。実際に聴く前は、もっと扇情的で速いリズムの、明るさが前面に打ち出されたものだと想像していた。たしかにそういう曲もある。だが、哀愁を含んだ、セクシーなメロディーの曲も数々あり、多彩な魅力をみせてくれる。何よりも、シンガーのイブライムの歌声が素晴らしい。70歳を超えてこの色艶ある声なのだから、若いときのは推して知るべし。その声が演奏に乗ると、そりゃあもう、鳥肌モノ。

 彼ら10数名のうち、私が特に好きになってしまったキャラクターはまずこのイブライム。12歳で孤児となり、歌手として注目されたもののやがて表舞台から遠ざかり、数年前まではさまざまな仕事をしていたそうだ。特に結婚してからは、「家族を守るためならどんな仕事をしようとも恥ずかしくなんかなかった」と彼は言う。コンサートのため初めて訪れたアメリカの喧騒と高層ビルに感嘆しつつ、「家族も連れてきたかった」と言う。彼は音楽も愛しているけれど、それ以上に家族を愛しているのだと感じられた一幕だ。

 ピアノのルベーン・ゴンサレスもまた愛すべき存在。多数の楽器のアンサンブルのなかで、最初から際立って耳に残ったのが彼のピアノだった。やはりその腕はただものでなかったようで、キューバで3本の指に入るという。77歳ながら、力強く、ときにはやさしいタッチで、見事な演奏で魅了させてくれる。ステージでは若々しく見える一方で、語りのシーンや歩いている姿には、やや忍び寄る老いを感じさせる面はある。その格差にこちらはちょっと驚く。でも、ジョークと天然ボケの狭間のような語り口調が、ほのぼのとした印象を与える。30年ぶりに訪れたアメリカ、エンパイヤ・ステートビルから見る自由の女神の小ささに驚く彼は、とても可愛い。

 ハスキーな声で歌うギタリスト、コンパイ・セグンドもいなせな男だ。パナマ帽に葉巻きを欠かさないおしゃれな伊達男で、92歳にして6人目の子作りに励んでいるという。ほかにもまだまだ粋な男達が登場する。

 最初観たときは8ミリフィルムかと思った粒子の粗い画像は、ステディカムで撮った画像をさらにフィルム変換させたものだという。その粗めの画像による印象と動きのあるカメラとの相乗効果で、彼らは実に伝説的な存在として、同時に“リアル”にも映し出されている。今まさに生きている音楽をつむぐ、現代に生きる吟遊詩人のような存在として。音楽と交互に彼らの話が挟まることで広がりが生まれ、彼らの音楽が“彼らの人生そのもの”であると痛切に感じられる。彼らにとって音楽こそが記憶であり、人生なのだ。もし男だったら、彼らのような“カッコイイおじいちゃん”になりたい。この映画は、若者にどしどし観て(聴いて)もらいたい! できればビデオでなく、劇場で。
(5/17 Up dated)

※ところで、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の3曲目、「エル・クァルト・デ・トゥラ」のイントロは、福山雅治の「HEVEN」のソラミミソング。


カフェでのひととき(5/23)

 世間のニュースはこの頃、暗い気持ちになるものが多い。未成年の殺人、傷害、暴行、監禁……。私の周囲(直接・間接の範囲)ではそういう事件に巻き込まれた人はいないし、その発生確率は高いわけではないはずだが、理解に苦しむ事件が増えてきている。最近の目立った事件の情報をニュースで見聞きしていて、加害者像として浮かんでくるのは、“自己中心的”“他人の気持ちや痛みに対する無関心、想像力の欠如”というイメージだ。一線を超えてしまう人と、踏みとどまっている人とを分かつものはどこにあるのか……。などということをこの頃考えがちなのである。

 部屋にいて気が晴れないときは外へ行くに限る。せっぱつまった仕事がないときは、私はよく近所のカフェでコーヒーを飲みがてら本など読んで、あれこれ考えたりすることにしている。ドトールやミスタードーナツはあんまり落ち着かない雰囲気なので、最近はもっぱらフレッシュネス・バーガーを利用させていただいてる。コーヒーもおいしいし。そこで、この日もそこへ。

 私がよく行く夕方から夜にかけては貸しきり状態のことも多いが、その時はやたらと込んでいた。店員は一人きりで、レジで接客したりバーガー作りをしたりと、せわしなく立ち働いている。ときどき見かける店員の男の子で、年の頃は18、19といったところか。肩のあたりまで茶髪を伸ばし、目のくりくりした、女の子と間違えそうな顔立ちの、なかなか感じのいい男の子だ。人の目をまっすぐ見てにこにこ話すのでちょっとこちらはどぎまぎもするが、応対は気持ちがいい。

 普段はあまりそんなふうに思ったことはなかったのだが、その日は「一人で忙しそうだなー」と、ついつい観察してしまった。小腹が空いていた私は、チーズバーガーとアイスラテを注文し、飲み物だけ先にもらって気長に席で待つ。

 読書している視界の隅にちょこまかと、店員の彼がキッチンとテーブルを行き来して飲み物やバーガーを運んでいる姿が入る。その間も来店のお客さんの注文をこなしながら、一人にしてはけっこう要領よく働いているようだった。バーガーをあとから運んでくるときも、番号札を渡していないのにちゃんと間違えないから、客の顔と注文を一人ひとりきちんと覚えているようだ。ちなみにこの店ではテーブル番号も付いてない。

 私の前方に席を取った、初老の男性の手元がふと視界に入った。おじさんの手は両手とも義手で、物を取るときのためのひっかけ金具がついていた。あまり見ては悪いと思ったが、ちょうど運ばれてきたバーガーを食べ始めたときだったので、正面のおじさんの席は自然と目に入った。やがて店員の彼が、おじさんの席にコーヒーを運んできた。トレーには水と灰皿も一緒に載せてきている。この店では普段、頼まれない限りあまり水のサービスはしていない。おじさんが義手でぎこちなくタバコを取りだすと、店員の彼はすごく自然に近寄ってきてタバコにライターで火をつけ、「また吸うときは呼んでくださいね」と声をかけていた。最近の若者(って言葉あまり好きじゃないし、こう言うと自分が若者じゃないのがアリアリでなんだかなあですが)にしては、なかなか骨のある、気のつく子だなあ、へえー、と感心したのだった。

 しばらくしておじさんが店を出てからも私はかなりの間、店に腰をすえ続けた。計算ごとをしたり、書面をあれこれ読んだり、それからさらにまた読書……としているうち、数時間。客は6時ごろにはもうかなり減り、店員もさきほどの彼のほかにもう一人がやってきていた。でも、そういえば、こんなふうに客の少ないときも気の利くあの彼は、よく掃除なんかしてたなあ。その日も、私がふと本から目をあげると、冷蔵庫なんかをせっせと磨いたりしていた。

 そんなこんなでしばし読書に没頭……。そこへ、気の利く彼が私のテーブルに「よかったらどうぞ」と水を運んできた。うーん、今日はまいった、お姉さんは。なんだか君を見ていて、日本の若者も捨てたものではないと思ったよ。ついでにコーヒーもう一杯頼んでしまった。

 接客業としては彼の態度はごくごく当たり前のことなのかもしれないけれど、上司とか誰もいないところで、ああいうふうにはなかなかできないのでは。当たり前だと思ってきたことが当たり前ではなくなってきているような世の中だから、このようなことでも心が和んでしまうのだよね。そうだ、接客業のバイトって仕事の基本かも。他人のことがより見えてくるはず。若いうちにどしどししたほうがいいと思う。私は高校生時代、親の反対押しきってあれこれバイトしたけどね、当時こうるさく感じたバイト先の大人の指示や意見も、今考えるともっともな話だったんだろう。

 お茶を飲んだ店のささいなことでも、いい気分になれるものなのである。未来に絶望するにはまだ早い。
(5/23Up dated)

※(5/25)今日もオフィス代わりに長時間使わせていただきました、フレッシュネスバーガー。例の男の子ともうひとりの店員さんが、新人らしき女の子に仕事を伝授していた。この女の子がまた初々しくてねー、たぶんバイト初めてなんでしょう。レジとかはまだやらせてもらえなくて、もっぱら飲み物の運び役。慣れてなさそうなわりには感じがいい。やっぱ、感じのいい人たちのまわりには同類が集まるのかもねー。
 例の男の子は子ども受けがよく、親に連れられてきた女の子によく「バイバイー」をされていた。何回かあったが、1回などは、店を去りかけた子が母親の手を引いてまた中に戻ってきて、バイバイと手を振っていた。子どもにも伝わるんでしょね、彼らの感じの良さは。


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