2000
●帰路のない旅/映画『ストレイト・ストーリー』を観て
(池袋シネマロサ 4/13)どのぐらい旅をしているのかと問われ、老人は「生きていることそのものが旅みたいなものさ」と答えた。ちょっとかっこ良すぎる台詞だが、確かに私もそう思う。しかし旅には前進と休息、帰路があるが、生きることには“後戻り”がない。それを知っているからこそ、老人は「生きていることこそが旅さ」と言い切らなかった。私はそう思う。そして、その違いをわかっているからこそ、“もう会えなくなるかもしれない”兄に自分の力で会いに行くのだ。
この映画は、昼と夜、想いと行動、空と大地など、対比するものを描きつつ、生き方と旅の狭間にあるものを映し出す。台詞は多くない。“仲たがいした兄と、少年の頃一緒にしたように星空を見るために会いに行く”という目的に向かって寡黙に前進を続ける、老人・ストレイトの強い想いは、語られずとも全編の根底に流れている。人から親切を受けるたび、何度も老人が口にしていた単語が耳に残った。「appreciate」。感謝はするが、でも自分はこうしたいんだ、と好意を断る場面がいくつもある。頑固なまっすぐさがその言葉ひとつにも表れていた。
実話をもとにしたという、シンプル過ぎるほどシンプルなロード・ムービー。バイオレンスとロマンスがないとロード・ムービーじゃない、みたいな感があったここのところのアメリカ映画だけれど、こんなのもありなんだ、と思わせてくれる。だけどストレイト老人の行動はときに過激で、人相手ではないが銃なんかぶっぱなしていたりする。人が良さそうだけれど頑固でときには巧妙、寡黙であり過激。そんな相反する面を持つ人物だからこそ、リアルで存在感がある。そうした彼の口から出る言葉だからこそ、妙に教訓めいた台詞もすんなり聞ける。台詞が少ないから一言一言や、映像が際立つという効果もあるだろう。
その映像さえも、ものすごくシンプルだ。ただ目の前に伸びる道と、両脇に拡がる畑、その上に続く空。あとは通り過ぎる街や家、そこに暮らす人々。カメラがゆったりと追うアスファルトのセンターライン、小麦畑、空と雲。大きなトラックが通り過ぎるとき風にあおられびくつく姿。雲行きがあやしくなり、雨宿り場所を探す目線。それらを眺めながら、私は自分のバイクの旅を思い出していた。旅の視線を知っているカメラワークだと感じた。オーバーに描きすぎることなく、真実味のある視点。
むしろ真実味がないのは、老人が出会い、別れていく人々とそのエピソードだ。でも私はそれらに軽い違和感を感じつつも、それら脇役の人々の作り込みにこそ、デヴィッド・リンチらしさがあると思った。どことなくツイン・ピークスの登場人物を思わせる、普通そうで普通じゃなさそうな人々。その設定に、リンチらしさが込められているように思う。だからこの映画は単なる“いい話”で終わらなくて、あとで思い返すとニヤリとなるところもあるのだった。あとでパンフレットを見たら、「リンチは変わったか?」という質問に対し、選ばれた3名がそれぞれ“変わっていない”と答えていた。私もそう思う。特に、最初のほうの映像は、シチュエーションこそ違えど、『ブルーベルベッド』を連想させるものがあった。と感じていたら、今野雄二さんいわく、「オープニングのシークエンスは誰が見たってリンチそのもの」だそうで。
これは実話だそうだけれど、ある意味で寓話なのかもしれない。虚構と真実らしさの狭間で描かれることで、不思議な空気感が生まれている。リンチが監督でなかったら、こういう空気感はきっとなかっただろう。
ストレイト老人の実話の帰路が気になるところだけど、やはり旅は“行き着くまで”こそが旅なのだ、ということで、想像するのは止めにした。
(4/14 Up dated)
その日は仕事をいそいそと片づけ、武道館へと向かった。楽しみにしていたサンタナのライブ、仕事よりこちら優先だい。出る前に仕事先の方達とひとしきりライブの話など。「アルバムに参加してるミュージシャン誰か一人ぐらい出ないかな、クラプトンとかロブ・トーマスとか」と、冗談半分、本気半分の私。「クラプトンはこないだ日本公演来たから出ないでしょ」とKさん。しかしまあ、私のつぶやきが本当になるとは。会場にいかず仕事を続けていたそのKさんが翌日私と顔を合わせるなり、「昨日クラプトン出たんだって?」と言う。「あれ、なんで知ってるんですか?」と不思議がる私。なにやら、夜食事に行った店に、福田一郎さんという音楽評論家の方が来てて、当日のサンタナのライブのことを話題にしていたそうな。そうかあ、そういう方もやっぱり嬉しがっていたのだなあ。他の公演日には出なかったのかなあ。
私のお目当てはクラプトンよりは断然サンタナだったけれど、ステージに出てきたときは「うそっ!」って思っちゃったものね。その前に日本人の人が紹介されてギターを渡されてたりしたから、遠目の2階席から見たら、フード付きのトレーナーにジーンズの男は「誰? また日本人の誰か?」って感じだったものなあ。「エリック・クラプトン」って紹介されて、会場騒然。それまで座っていた周囲の席の人たちも(特に男性)やおら立ち上がり、「うそ!」と言ってたっけ。サンタナのアルバム『スーパーナチュラル』のクラプトン参加曲「THE CALLING」を、ライブの中盤あたりで二人並んで演奏しておりました。かつてギター小僧だった御仁などにとっては、涙が出るぐらいのツーショットでしょうね。そのあたりからがぜん盛り上がってたし。その曲でどの部分がクラプトンのパートでサンタナがどうからんでるのか、CDではよくわからなかった私としては、生で聴けてよかったなあ、という感じ。でもやはり聴いたかぎりでは、私はサンタナのギターのほうが好き。クラプトンのギターは「安定・骨太」な印象だったけど、サンタナは「感情的・繊細」な感じがするのだよなあ。
まあクラプトンの話はそのへんにしておいて、ほんとの主役のサンタナのライブの模様。バックのスクリーンにサンタナのニューアルバムで使われている、幻想的なイラストが映し出される。人々の影のようなシルエットの、胸のあたりに灯された赤いサークル。それがチカチカと点滅するようにうごめき、そしてアフリカの仮面のようなイラストが出て、その表情がほほ笑みに変わっていく……。幻想的なムード。そして演奏が始まった。
キーボード、ベース、ドラム、コンガ(っていうのかな。Congasという……)の編成。アルバム『スーパーナチュラル』にはインストだけでなく多数のボーカリストによるボーカル曲も入っているので、それらを歌うためにハスキーボイスのトニーと高音パート担当の(?)アンディの2人がボーカルとして参加。
まずはアルバム『スーパーナチュラル』から数曲。最初の曲が何だったかちょっとうろ覚えなのだが、、、、。前半はニューアルバムの曲と、過去の名曲を折り交ぜながら、新旧のファン心理を満たす構成。私が特にじーんときたのは、やはりなんといっても「Europa(哀愁のヨーロッパ)」。かつて涙した高校生のときの記憶を呼び覚ますような、“泣きのギター”。いやいや、参った。でもあのときはレコードだったけど、今回は“生”。それも、ささやくような音まで奏でていて。赤ちゃんかいとしい人でも抱えるようにギターをつまびく姿、そして語りかけるような音色に、なんともいえずじーんとさせられてしまった私です。技への感動とかいうよりも、ギターという楽器で、感情さえも表現できる素晴らしさにはもう、耳を傾けるしか為す術はないのであります。はあ(感動のタメイキ)。
そしてライブも1時間ほど続いたころ、件のクラプトン登場。30分ほどふたりでアルバム曲の演奏をし、場内すっかり興奮のるつぼと化す。それまで比較的着席率の高かった2階席の、スーツ姿のサラリーマンも、おじさんも女も踊りだす人続出。客には外人さんもけっこう来てたけど、私の近くにいた途中入場の外人カップル、通路でビール呑みながらラテンダンスに興じてました。しかもどさくさにまぎれてステージの写真まで撮ってるし。
クラプトンがステージから退き一同座りかけたところで、間髪を入れず始まったのがオールドファンには懐かしい曲「Black Magic Woman」。そのイントロを聴き、座りかけた一同、また立ち上がり盛り上がる。うーん、ファンサービスとして心憎い構成。それからは「SMOOTH」「MARIA MARIA」などなど、ノリよく聴かせるいい曲続き。ニューアルバムの曲はほとんどやったのでは。
やがて終演となり、深々と祈るように客席に礼をしてステージを去るサンタナ。しかしもちろんお約束のアンコール。確かここで演奏したのが「MIGRA」だったのでは。違ってたらごめんなさい。この曲のイントロが好きだったので、ライブではどのようにやってくれるのかと楽しみだった。ドラムとCongasの息がぴったりの響きが胸にズンズンときて、そこにサンタナのギターが絶妙にからむ、迫力ある曲になっていた。これは特にお気に入り。そしていつのまにか、またもやクラプトンがギターで参加していた。ひとしきりアンコールも盛り上がり……いよいよほんとうの終演。クラプトンより先にステージを去ったサンタナって、なんだか私、好きだなあ。人柄もいいんだよね、きっと。
会場では遠すぎて表情までわからなかったけど、あとで公演パンフを買ったら、そこに出ているサンタナの柔和な表情がなんとも味があって、素敵だなあと思うのだった。それにしても、サンタナの子ども時代の写真の隣で立っていた、お父さんの顔に今のサンタナがそっくりなのはけっこう可笑しかった。
とまあ、そんな興奮の一夜だったのでした。
(5/1up dated)