2000
月曜の早朝、起き抜けに紙を使おうと思ったら、紙がなかったのである。
いや、トイレではなくプリンターの話。前日のうちにプリントしておけば用紙が不足しているのに気付いたはずなのだが、うっかりしていた。掲示板にも書いたが、先週はほとんどパソコンに張り付き状態でいたので、週末一段落したら気が抜けて、「プリントだけは月曜朝でいいや」と思ってしまったのだった。だが、うーむ困った、と、しばし腕組みする朝6時。文房具屋やスーパーが開店する時間を待っていては、プリントしたものを持っていく時間に間に合わないのであった。
コンビニへ行ってみよう。果たしてコンビニにコピー用紙は売っていたか、記憶をたどりながら近所のコンビニに行ってみた。なかった。
他を数件回ってみようかとも考えたが、たぶんコンビニにはコピー用紙は売ってないだろうな、と、私は作戦を変えた。そのコンビニはよく利用するのだが、そのときレジにいたのは店長のおやじさんだった。あんまり話をしたことはないのだが、以前からよく見かけていた他の客とのやりとりの様子で、世間話が好きで常連さんとの会話が好きなのはわかっていた。そのときも、客のおじさんと何やら会話をしていた。こわそうな顔で従業員に対しては口うるさそうな感じだったが、人情はあると私は見ていた。それにコピー機がある店なら、必ずコピー用紙のストックはあるはずである。
で、その店長に「コピー用紙なんて売ってないですよね?」と聞いてみた。商品棚を見てないのは承知のうえである。実はすぐに50枚ぐらいプリントしなくちゃいけなくて……ともちかける。と言いながら、私は財布の中身を思い浮かべた。しまった、土日に財布の中のお金をほぼ使い切ってしまっていたのだった。数えてみると500円と数十円しかない。事情を話すと、店長はコピー用紙の梱包をひとつ裏手から持ってきてくれた。でも店長はどんぶり勘定のタイプなのか、その1梱包の値段相場も枚数も知らない。コピー1枚10円だから……とか言っている。私も定価はわからないが、近所の文具屋やスーパーでの値段を思い出してみると、500円よりは安かったはずだった。でもこちらは困っているので、500円をめいっぱい使ってでも、必要な最低枚数だけでもわけてもらいたかった。そう言うと、店長はあっさり1梱包500円でいいよ、と言ってくれた。おお、ありがとう、店長! 礼を言って店を出る前、「その代わり内緒にしといてよ」と私に声をかけた。
帰ってから、コピー紙の1梱包は500枚であることがわかった。1枚1円。コンビニにないものを、交渉価格で買ってしまったわたくし。これってオバサンパワー? いや、仕事に誠実なだけよね、ね、ね?
店長のおやじさんは内緒と言ったけれど、いい話なのでつい書いてしまった。まあ、あの店長のキャラクターを私が知ってたからというのもあるし、店長だったから権限があるというのもある。すべてのコンビニでこんなことがまかり通るはずもない。でもね、日本もまだまだ捨てたもんじゃないね、なんて、価格交渉をしながら買い物をしたバリやドゥバイのことをふと思い出した。
とまあ、そんな今朝の出来事だった。こわもての店長、ありがとう。
(2/28Up dated)
なんだかんだ、仕事の予定で日々が埋まっていく。気付くともう今年も2カ月過ぎてしまった。それはそれで暇すぎるよりはいいのだけれど、やっぱり自分を大事にしなきゃなぁ、と思う。仕事を間に合わせるために多少の無理はしょっちゅうしているが、倒れちゃおしまいなので、最低限の睡眠はとるし、食事もする。どうしても見に行きたいイベントや集まりのためには、仕事の調整をして何が何でも行く。それができなくてずるずる仕事して愚痴いうようにはなりたくないなー、と思いつつ、ひいこらいっている。
そんなこんな昨今、まだ寒の戻りで寒い日もあるが、春物の洋服を買ってみたりした。気分はもう春である。でもその前に、思いっきり雪深いところでのんびり温泉につかってきたくって、その計画もたてた。そんなふうに過ぎていった、2月の日々のあれやこれやをコラージュふうに書き留めてみることに。
(3/11 Up dated)
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【ザ・スライドショー】
みうらじゅん&いとうせいこう&スライ(2/10 in 渋谷公会堂)ここのところ私にとっては恒例となったイベント。これまでは知る人ぞ知る、というものだったのだが、なんだか今年はメジャーデビューっぽい。ラジオでプロモーションしていたり、雑誌で大々的に取り上げられたり。このスライドショーって、みうらさんが集めてきたスライドネタに、初めて見させられたいとうさんが突っ込みを入れるというもの。一発芸的なところがあるので、コンサートのようにツアーはやらない。1回のネタで1日だけだ。こういう消えモノだから面白い。だから段々、人気の高まりとともにチケットも取りづらくなってきている。次は武道館、ってほんとにやるの? 渋公でも2階席はオペラグラスでもないと厳しいのにねー。私の周囲の人たちも、あんまり大きなハコではやってほしくないという意見。
わかる人だけわかればいいという笑い。好きなことに馬鹿馬鹿しいくらい熱中している、みうらさんの超人じみた視点。そのみうらさんを叱るときにイキイキしている、いとうさん。瞬時に突っ込みを入れるところを探す頭のキレ。それらが楽しみで、毎回足を運んでいる。好きなことだけ仕事にしているみうらさんに対する、ある種の尊敬とうらやましさもある。最近のいとうさんはどうもみうらさんに笑わされていることが多いけど、そんな変化もまた楽しかったりする。人って、変わるものだから。
今年はスライドの数がかなり増えたようで、お二人のトークも後半は急ぎ気味。年末のラフォーレでやったときのほうがトークが変なほうへ発展していくのが楽しめたかな。スライドネタが多いにこしたことはないけど、やっぱり1枚の絵(スライド)からどれだけ二人のトークが横道へそれていくかのほうが関心あるなあ。***************************************************
【我が家の君子】
「君子蘭」を買った。我が家に連れ帰った君子蘭の葉は、泥やほこりで薄汚れていた。“君子”という名前なのに、ちっとも君子扱いされていなかったのだなあ、と思いながら汚れた葉を拭いてあげた。天に向けた剣のような葉が、左右幾重にも伸びている。それがどことなく、君子の威厳を感じさせる。その立派な葉の中央の茎では、ふくらみかけたいくつかの蕾が首をもたげている。さて君子は、どのような花を咲かせてくれるのか。私は我が家の君子を敬いつつ水をあげ続けた。
一週間と少し経って、花が咲いた。薄いオレンジ色をした、フリージアのような花だった。君子蘭は、蘭という名のくせにヒガンバナ科らしい。でもちっともヒガンバナとは似ていない。蘭のような葉をもちつつ蘭ではなく、ヒガンバナ科でありながらそれとは非なる植物。なんだかその名前が、ストーリーを感じさせる。
ほかに咲き始めたヒヤシンスや、ムスカリ、チューリップ、ポリアンらのなかで、ひときわ大きな身体の君子蘭。いまのところ、我が家の鉢植え族のなかのまさしく“君子”である。***************************************************
【聞き耳レストラン】
その日ランチを食べに入った乃木坂の店には、お昼時のサラリーマンが大勢いた。だんだん込みあい始めて、あちこちの席での会話が交じり合い、ひとりでいる私の耳に届く。断片的に耳に入るのは、ビジネスの話や世間話のあれこれ……。それに聞き耳たてるでもなく、BGMのように食事をしていた私の耳に、ひとつ向こうの席の男性の一言が飛び込んできた。「ありがとう」。彼はランチを運んできたウエイトレスにそう言ったのだった。なんだかものすごく新鮮な響きだった。私自身は、食事を運んできてもらったときに「すみません」と言ってしまいがちなのだ。べつに謝っているわけではないのに、なぜかそう言ってしまう。海外旅行とかに行くと、そういう場面で「Thank you」という言葉はすんなり出てくるのだが、国内の日常的な食事の場面ではあんまり使わなくなってしまうのだ。
ひとつ隣の席のサラリーマンは、50代ぐらいの人で、ひとりで食事に来ていた。周囲に対するかっこつけのためでもなく、お礼をいうことが自然とできる人なのだろうな、という気がした。かっこいいぞ、おじさん。私もこれから見習おうと思ったのだった。***************************************************
サンタナがグラミー賞をもらったらしい。高校生時代に彼のギター(といってもレコードでね)に涙したことのある私としては、なんだか嬉しい。最近ラジオからよく流れてくる『スムーズ』の彼の歌声は、ちょっと桑田佳祐さんっぽく色気みたいなものがあって、ボーカルとしての魅力も再認識したのだった。(注:あとで気が付きましたが、ボーカルはサンタナではありませんでした。失敬失敬……)
そのサンタナのギターで涙したのは、高校1年のバレンタインの頃だった。長年、小6の頃から片思いしていた相手に、「今年これを渡したら気持ちにけりをつけよう!」と思っていた年。しかし相手はその年誰からも受け取らないと決めたということで、渡さずして玉砕してしまったのだった。あとで泣いたさ、そりゃ。帰ってきたら部屋にこもって、渡すはずだったチョコレートをヤケ食いしたさ。そんなとき聴いてしまったレコードの1枚が、サンタナの『哀愁のヨーロッパ』だった。歌詞のない曲で、音そのものに涙を誘われたのはそのときが初めてだった。精神状態が“哀”だったということもあるが、その音を聴くほどに涙があとからあとから流れてくるのだった。とことん泣いた。サンタナに特別な想いがあるのは、そんなことがあったからかもしれない。
バレンタインに無関心になってしまった最近、その頃のことをふと思い出した。そういえば小学校のバレンタインの頃、雪合戦のとき好きな相手にハート型にした雪玉渡したなんてカワイイこともあったなあ。最近、チョコに想いを託すようなことはほとんどなくなった。さらに、義理で渡すこともなかろうと思ってしまう自分。それはそれでちょっと哀しい。