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巻第三十 平成十五年 六月
■6月ダイジェスト(注:そのわりに長い)
最近すっかり月イチ更新となっているこのサイト。いえいえそれどころかついに月二にまでになろうとし……。チェックの足が遠のいた方も多々おいでと思います……。それにもかかわらず時々お越しの方々に深謝。ほんとうはタイムリーなことを書いておきたいのはやまやまなのですが、やはり時間的にゆとりのない日にはどうしてもパソコンに向かう気持ちのゆとりもなく……。また、春以来のちょっとした心境の変化で、ここのところ友だちづきあいや生活環境の整備のほうを重視したい気持ちになっていて、メールやネットにあまり時間を割いていませんでした。でも、ほんの少し過去になってしまった日々を自分のなかで顧み、文章化することは、私にとって意外に大事なことなので、地道にこのサイトもぼちぼち続けていきます。そんな「ぼちぼち」サイトですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
定例の仕事以外はわりとひまだった6月、お誕生月ということもあり、いつになく息抜き気分となり(あれ……いつもでしょうか)、息抜きしまくっていました。そんな6月も振り返ってみればもう終わり、今年もはや半年です。早い……。今年早々の目標だったホームページの移転やリニューアルも、ソフトをやっと知人からゲットしたもののまだ使用法を会得していないということもあっていまだ手つかずの状態。むむ、そろそろ本気を出さねば……。しかしiBookの周辺機器やルーターの設定もいまだ手つかず。。。さてそんな6月は。
(7/15Up dated)◆
◎2人ギョーザパーティ(6/30)
人を呼ばないと部屋は荒れがち。
以前勤めていた会社の先輩が独り暮らしの部屋でこの春亡くなって、お葬式に出た。8年ぶりの対面がそんな形になろうとは。そのあと、もし自分もそんなことになったらどうしよう……などと考えがちになり、散らかった部屋を見渡しては、この頃では仕事の合間に気付くと部屋を片づけたり、模様替えなどをしていた。その甲斐あって、モノが適材適所に落ち着いてきて、自分としても暮らしやすくなり、ようやく人を呼べるレベルになり、友人を招待することにした。前月、FDI会員のぷるみえ特派員の新居に遊びに行ってスパゲティなどをごちそうしてもらった時、ぷるみえが「うちの一家の食事メニューにギョーザが出ることはほとんどなかった」と言っていたので、今度はギョーザパーティをしようという話が出ていた。で、今回はうちでギョーザパーティ。友人MUGICOも誘っていたのだけれど、仕事で都合がつかず、ぷるみえと2人となった。いくら2人前とはいえ当日ギョーザを包んで焼くのは大変そうなので、前日仕込みをする。そういえば、もう何年も、というかおそらく15年は手作りギョーザを作った記憶が無い。しかし子どもの頃は、母を手伝ってギョーザを包むのが好きだった。普通の料理はあまり手伝わなかったけれど、ギョーザの皮を水でくっつけながら包んでいくのは、どこかままごとや粘土細工のようで楽しかったのだ。うまくいったりいかなかったり、一つひとつが違う形なのも面白かった。どうしたら母のように形良く作れるのかと何度も何度もトライしたものだ。同じ意味で、コロッケ作りも好きだった。
さて、ブランクのあるギョーザ作りには料理本が欠かせない。それを見ながら、部分的に自分のアイディアも取り入れつつ、数種の餡を用意する。いつかテレビの「どっちの料理ショー」でおいしそうなホタテシューマイが出ていたのを買い物中に思い出し、ホタテを刻み込んだ餡のシューマイも急きょ考案(オリジナル)。
・キャベツと鶏ひき肉(焼きギョーザ)
・エビとレンコン(水ギョーザ)
・ホタテと鶏ひき肉、キャベツ、ネギ(シューマイ)これらの餡を翌日のためにすべて包んだが、けっこう時間がかかった。ギョーザ2種に皮2袋、シューマイに1袋。かなりな数。ううむ。シューマイは包み方に悩み、なんとなく見栄えがいまいち。
当日はビール日和だったので、午後、お客のぷるみえと待ちあわせたあとビールを買う。手土産に白ワインをいただき、夜までには酔っ払いになりそうな予感を抱きつつ、まずは水ギョーザでもてなす。が、昨夜包んで冷蔵庫に入れておいたギョーザは、中身の水分で皮がしっとりしていて破けそう。しまった。あとでMUGICOから聞いたことによると、ギョーザの事前作り置きは厳禁とか。すぐ冷凍するか、焼いてから冷凍せねばだめらしい。そんなわけで時々分解してしまったエビ水ギョーザであるが、本に出ていた辛みダレで食べると、なかなかいける。ぷりぷりエビとシャキシャキレンコンの合わさった食感がいい。頃合いを見てホタテシューマイも用意。これも思いつきレシピの割にはなかなかおいしかった。そして焼きギョーザ。市販のギョーザをこれまで焼くたび、お店で焼いてくれるように綺麗に焼き上がらないのが不満だったが、1人で食べる場合はちょっとばかり見栄えが悪くてもあまり気にかけなかった。しかし人様にも食べていただくとなると、やや緊張。料理本に、水溶き片栗粉を流し込んで焼くとパリっと焼けるとあったので試してみると、大成功!
おしゃべりしつつ飲みつつ、メニューが一順し、2人とも満腹。しかしまだギョーザは残っている。休めばまだ食べられそうと、二順目までの休憩に、ぷるみえからマック用WEB制作ソフトのインストールとレクチャーをしてもらう。ありがたや。OSXについてはまだまだ勉強が足りないのです、私。
昼過ぎから始めた2人ギョーザパーティもいつのまにか、というかやはり夜を迎え、だらだら食べて飲んでいるうちに、酒に強いはずのぷるみえが私より先に酔っ払う。あらら。しかし2人とも翌日仕事だったので、酔いが落ち着いたころ駅まで見送って、2人ギョーザパーティは幕を閉じた。さすがに2人では70個近くのギョーザ・シューマイは食べきれなく、残ってしまった。翌日、皮がやわらかくなり崩壊寸前のギョーザとシューマイをまた食べた私であった……。
◆
◎移り行く時代/映画『イージー・ライダー』(6/23)
渋谷の映画館、東急文化会館が今月末で閉館となる。それに伴って、過去に人気だった映画を日替わりで上映する「東急名画座」という企画が実施されていた。上映ラインナップのほとんどは私にとって、ビデオやテレビで観たことがあるけれど映画館では観たことが無いというものだった。『ニュー・シネマ・パラダイス』『ひまわり』『イージー・ライダー』などをぜひスクリーンで観てみたかったけれど、全部を観るのはちょっと無理そうだった。で、どれに的を絞るかということで、「ストーリーを覚えていない度=観てからの年数の経過度数」が高いのが『イージー・ライダー』だったので、それを観ることにした。ちょうど上映日の上映時間前にタイミング良く、友人MUGICOと仕事の打ち合わせが入ったので、そのあと彼女と連れ立って行く。
東急文化会館は、昔、『E.T.』を観に来たのが印象深い。映画館で大歓声があがって拍手が湧き、観客たちとの不思議な一体感と高揚感を味わったのは、その時と、97年頃観た『ムトゥ・踊るマハラジャ』以来経験していない。
さて、本編。ピーター・フォンダが若い! ジャック・ニコルソンも若い! 彼らの若さ、フィルムの荒れ方が時の経過を感じさせる。69年の製作だから、33年ほど前か。ロスからデス・バレーなどを通り、砂ぼこりをあげてチョッパーのバイクで走る道も、まだまだ素朴だ。なにしろほとんど内容を覚えていなかったので新鮮な気持ちで観たが、ロックサウンドにのせて移りゆく旅の光景は、心地よく時に眠気を誘われてしまった。映画の作りとして、伏線ありまくり見せ場ありまくりの最近の映画とまったく違うので、五感がなじんでいなかったのかも。いや、ほんとうはこういう映画のほうが好みなんですけど。すべてを台詞や映像で説明しすぎるよりも、こういった余韻や想像の余地を残してくれる映画の方が好き。
アメリカン・ニューシネマといわれるこうした作品でよく描かれていたヒッピー・ジェネレーションのファッションや思想は、日本人にも影響を与え、70年代になって上陸してきた。私はまだ子どもだったが、好きなマンガや大人の人たちを通しやはり多少影響を受けたと言える。ヒッピーというものがどういうものかはよくわからなかったけれど、どこか反逆精神をあらわにしたところが見て取れるファッションなどは、私にとってとても魅力的に見えた。マンガのキャラクターやテレビに登場するお姉さん・お兄さん世代は、身近な「大人」とはまったく違い、カッコ良く感じられたものだ。大人の一歩手前にいる別な年代のようで、憧れの存在だった。
だけどこの映画をあらためて観て強く感じたのは、そうした「カッコ良さ」に対する憧れよりも、人間の狭量さに対する嫌悪感だった。もう自分自身が大人だから、「大人の一歩手前」に憧れる年齢ではなくなったということもあるだろう。でもどこか「一歩手前」に留まっていたいという気持ちも正直あるように思う。少なくとも、この映画で描かれているような、沿道の住民たちのような狭量な大人にはなりたくはないというか。長髪だったり、服装がイカレていたりする若者を排他的な目で見るだけでなく、実際に排他しようとする「大人」。そんな彼らのことを、ジャック・ニコルソン演じるハンセンが「人は自由には憧れるが、真に自由な存在を目の前にすると恐れる。おまえはその象徴なんだ」(正確ではないかもしれませんが、確か……)というようなことを、長髪のデニス・ホッパーに言っていて、うまいことを言うなあと思った。自分が自由ではないから、自由な存在をねたむということか。自分と違うものを認めようとしない硬直した精神。それは現代のアメリカにも見受けられる傾向なのではないか。時代が流れても、人間というのはあまり変わりがないのかもしれない、と、人間の哀しい側面を感じてしまった。
幼い頃にこの映画をテレビで観た時に自分が感じたことはよく覚えていないけれど、今とあまり変わりないようなことを感じたのではないかという気がする。きっとあの頃も今も根っこは同じで、拒否していたのは「大人になること」ではなく、「狭量な人間になること」だったのではないだろうか、などと思えてきたりもする。そして、自分のそんな部分は幾つになっても変わらなくてもいいのではないか、とも思う。時代や街が変わっていったとしても。
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◎食の愉しみ(6/22)
以前「タコ焼きパーティ」をした面々の1人から、またホームパーティのお誘い。今度は川崎。前回同様、実家暮らしの人だが、ご両親が旅行で留守とのことで気兼ねなくどうぞ、とのこと。お泊まりも歓迎とのことで、若干遠方の私は遠慮なく泊まらせていただけるよう申請。ほかの面々もほとんどお泊まり。こんなに大勢での自宅飲み会、お泊まりコースは久しぶり。10年はやっていないのでは。以前は年中行事ごとに10人ぐらい呼んではホームパーティなどをよく企画していたけれど。
今回招いてくれたKさん、飲むのも好きだがグルメで、料理するのも大好きで、かなりの腕前のようす。お酒も食事もたっぷり用意しておくとのことで、一同心躍らせて当日訪問する。真夏日で日差しぎらぎら、夕方になってもまだまだ熱気ムンムンの土曜の夕方、先発の3名揃ってKさん宅に到着。料理中の台所に招き入れられてみれば……すごいすごい。準備してくれているメニューの多さに驚き。思わず「えっ、まだあるの?」の声連発。しかも全部手作りだ。春巻き、牛肉の野菜ロール、鶏の唐揚げ、野菜のラザニア、水菜と油揚げのサラダ、冷奴、まぐろの刺身、アワビステーキ……。さらに、なんとタコ焼きまであるとか〜。前回自宅を提供してくれたNさん宅にタコ焼き鉄板を置きっぱなしにしていたが、遅れてくるNさんが持ってくるらしい。そんなに食べられるかな……と思いつつも、だんだんお腹がすいてきて、いろんな食材を見たり、肉の焼ける匂いをかいでいるうちに、「もうたまりません」という感じに。
私は、ちょっと前に九州の物産展で美味しいきびなごの天然ダシを手に入れてあったので、それを使った浅漬けを担当。といっても、キュウリとナスにそのダシをぶっかけてしばらく置いておくだけなのだが。販売員のおばさま推薦のお手軽浅漬け。あとはじゃまにならない程度にみんなでお手伝いし、余った具をつまんだりしながら、お料理教室さながらにKさん秘伝の調理法や小わざをあれこれ学ぶ。
特に一同感激したのは、「冷めてもおいしい味つけのひと工夫」。1人遅れてくることになっていたので、そのためというのもあったかもしれないが、そうした「ちょっとした心遣い」や「ひと手間」は、Kさんの料理手順のなかでは当たり前のことらしい。感心。唐揚げは行きつけの中華のお店で、おいしいのでどうやって作るのか聞いてみたら、教えてくれたそうだ。ここでレシピを再現したいが、ああ駄目、メモしてこなかったので記憶があいまい。後日Kさんにもう一度聞いてこよう。確かお酢やら豆板醤やらを混ぜたタレだった。甘酢をもう少しさっぱりさせた感じ。そのタレに、揚げたての唐揚げをぶっ込むのだ。そうすると揚げる前の鶏肉には下味をつけなくても(お酒ぐらいは振っておくけれど)十分味がしみて、冷めてからもおいしい。
牛肉の野菜ロールの時も、最後に照りと味を高めるために秘伝のソースが登場。ただ焼いただけでもおいしそうだったのに。肉汁にハチミツやら醤油やら(?)を混ぜて煮立て、そこに一回焼いた野菜ロール肉をもう一度入れて焦げ付かないようにからめながら煮る。
次々と仕上がっていく料理を、座卓に並べていく。和室に網戸、その向こうの庭の植物が涼しげ。なんだか昔懐かしい日本の食卓、という風情。小津安二郎の映画に出てくる食卓の光景みたいだったりして? だいたい準備も整ったころ、後発のNさんも揃い、乾杯。しかしKさんがまだ火を入れるものなどを気にして台所を行ったり来たりしているのに少々遠慮して、料理に箸を伸ばすのを控えめにしていたのが災い。空きっ腹だったうえに、食べる量より飲酒の量が進んでいたため、かなり早いうちに酔いが回ってしまった。アワビステーキが登場し、すべての料理が出そろってやっとKさんも落ち着いて飲み始めたころには、私はかなりの酔っ払いだったかも。11時ごろまでは一応正気だったと思うが、電車のあるうちに1人帰ってしまった頃には頭がぐるぐるして体が畳に重く沈み込んでいく感じで、ばったり横になっているうちそのまま寝てしまい脱落。
そのまま意識を失っているうち、揺り起こされると明け方の4時。残りのみなさん、ずっと飲んでいたらしい。1人は寝るというので私もふらふらしながら2階までついていくが、化粧を落としたり着替えているうちにすっきり目が覚めてしまった。残りの2人が下の部屋で明け方まで話している声を聞きながら、眠れないまま夜明けを迎える。しかしその2人もとうとう6時ごろ寝る体勢になり、私も2度寝に入ったのだった。
翌日は、昨日食べきれなかった炊き込みご飯(恐ろしいことにあの豪華メニューにさらにご飯が予定されていたのだった)とお味噌汁をいただき、昼過ぎにおいとまさせていただいた。先に酔いつぶれたとはいえ、あれだけのメニューを居酒屋などで頼んでいたらそうとう払ったよな……と思いつつ帰る途中、お金を払ってなかったことに気付き、Kさんにケイタイメールを入れる。すると……。「ふーん、2度もらえるならもうかっちゃうな」との返事。あれあれ……昨夜、酔っているときに払ったのね、私? どうりで財布の中身が少ない気がした……。しかしマズイ。酔って記憶を一部無くしたのはかなり久しぶり。20代前半に数度、今回で3回目ぐらい? 最近お酒をあまり飲まなくしているから、弱くなったかな。アルコール耐性、20代レベル。肌の張りなんかもそのレベルに戻ってくれればいいのだけど、なんて……。
でも年齢は当然もう戻るわけはないので、飲む姿勢をやや反省。でもまあ、この日の摂取カロリーに備えて、というわけではないが、その週はジムに3日も通ってしまったぞ。お酒や食べることが好きなタチだから、うっかりしているとすぐ贅肉が増えるので、ちょっとは摂取分消費しないと。若さが目減りしていくぶんは努力で補わないとね……。
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◎カナダからのプレゼント(6/18)
カナダ在住の友人ハルから荷物が届いた。なんだろうと開けてみると、ネックレスと指輪だった。シルバーで花を形どったお揃いのデザインで、中央に淡いグリーンの石がはめ込んである。ハルの手紙によると、石はアンバー(琥珀)だとか。琥珀というと、茶色い石しか思い浮かばないが、緑のもあるんだね。上旬の私の誕生日プレゼントにと、大奮発してくれたみたい。ありがとう!! 私よりアクセサリーや宝石にはこだわりのあるハルのこと、かなりあちこち見て回ったみたい。長年離れて暮らしているとはいえ友だちだけあって、私の好みを外していないところがさすが。ええ、なかなか気に入りましたとも。大人になりきれていない微妙な大人、しかし年齢だけは大人の私、これからはフェイクのアクセサリーを卒業し、本物をさりげなく身に付けられるようにがんばりますわ。
しかし、長年離れて暮らしているうちに、ハルってば、私の誕生日を10日ほどもずらして記憶していたようで……。だからバースデーカードもいつも遅れてきてたんだね。私は忘れていないのにさ。ま、そんなところがハルらしいんだけど。
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◎魔法の箱の魅力(6/15)
毎年、お互いの誕生日を祝いあっている友人U子と、今年は横浜へ。以前取材した横浜のオルゴール店「スイスオルゴールサロン ルヴィーブル」から、オルゴールコンサートの案内が来ていたので、お出かけついでに一緒に行くことにしたのだ。2年前に雑誌の仕事で取材した時も実際に何点かオルゴールを聴かせてもらったけれど、その前に別のオルゴール博物館へも取材に行き、同じようなものはだいたい聴いていたし、話を中心に伺っていたので、その店できちんと「オルゴールコンサート」を聴くのは初めて。
元町の入口あたりの裏通りで、静かで落ち着いていてなかなかいい感じの(しかも安い)フレンチのお店でU子とランチを食べたあと、オルゴールショップへ。コンサートマスターの男性の案内で、1時間弱、いろいろな時代のオルゴールを聴かせてもらうコンサートの始まり始まり。
オルゴールというと大抵の人は小さな箱から流れる、可憐で可愛らしい音色を思い浮かべるだろう。私もいろいろなオルゴールの存在を知るまでそう思っていた。しかし、中世にスイスで生まれたオルゴールは大きく、ピアノほどのものもある。そのぶん音の広がりも素晴らしく、多層的なのだ。ちょっとした生演奏のようでもある。オルゴールは時代の流れや国によってさまざまに発展していく。いつでも音楽を楽しめるようにと生まれた、初期の「シリンダーオルゴール」。シリンダーの突起が金物の櫛のようなピンをはじいて、美しい曲を奏でる。それから、レコードやCDのように盤を取り換えて曲を楽しめる「ディスクオルゴール」、人形の動きに合わせて音楽を奏でる「オートマタ」など。「ルヴィーブル」のホームページにそのあたりは詳しく紹介されている。
改めて会場のオルゴールを見てみると、発明された国により、お国柄が出ているなと感じた。スイスは、技術へのこだわりとともに「見せる」「楽しませる」ことも重視していること。ドイツは、機能主義のデザインで、聴かせるたびにコインを徴集するなどがっちりしていること。アメリカは、やはり大きく機能的なものが好きそうなこと。モノの見かけからだけでも、そんなことが感じられる。
そして今回驚いたのが、各オルゴールの音の広がりの豊かさ。前に別の博物館で聴いた時よりも、心なしかいい音のような気がする。ほとんど同じオルゴールもあるのに変だな、仕事ではないという気分的なものかな、と思っていたら、あとで種明かしがあった。動かすことの出来るオルゴールは、一段作りの引き出しから引き出しを抜き取ったような箱の上に乗せて演奏していたのだが、秘密はその箱にあったのだった。同じオルゴールでも、その箱に乗せた時と、手に持った時では全然音が違う。オルゴールの音の良さもさることながら、その共鳴箱の効果も絶大。しかもテーブルも、同じようなつくりになっているらしかった。テーブルクロスがかかっていたので気付かなかった。コンサートマスターの男性、「このクロスがないと大変なことになるのですね」と言うから、興味津々、身を乗りだし加減で続きを聞いてみると、「みなさんがここに荷物を入れてしまうのです」と言うのでかなり笑った。あとでその共鳴箱に手を入れさせてもらったり、片耳をつけさせてもらったりして、その響きを実感した。取材の時にもちらっと聞いていたが、ここでは「オルゴール療法」というのも推奨しているらしい。オルゴールが精神的ストレスや体の不調を癒してくれるという。気分的なものだけでなくて、医学的にもある程度効果があるといわれているようだ。CDやMDなどデジタルの音は、自然界の音やオルゴールよりも可聴範囲が狭いという。生の音には、耳に聞こえない低音や高音があり、それが脳の脳幹を刺激するのだということだった。
共鳴箱に左耳をあててオルゴールを聴くと、右脳を刺激するとも言っていた。なんだか、この共鳴箱だけでも欲しくなってしまう私であった。スイスオルゴールは、音はいいのだけれど職人がひとつひとつ手作りしているため、いいものは10万円前後からとかなりお高い。5オクターブ半の音域は魅力的なのだけど。共鳴箱なら数万円。オルゴールが無いとただの箱だけど。
およそ15分間鳴り、心地よい眠りへ誘うという魔法の箱(オルゴールのほうね)が欲しくなったけれど、もう少しリッチになってからにしよう。あとは何かの記念にとかね。結婚●年の記念になど送る人も多いらしい。
U子におねだりする今年の誕生日プレゼントはここで売っているものにしてもいいかなと思っていたが、ほとんどが予算オーバー。回りながらメロディーを奏でる木彫りのフルーツ皿、ティーポットなどを動かしてみてさんざ楽しんだ末、1500円のテープを、それぞれ自分のために買う。コンサートでかけてくれた「カノン」がとても心地よくて眠気を誘われ、テープにカノンも入っていたので、夜聴くには最適と思ったのである。まずはテープから。ほんとうは、テープだとオルゴールそのものの音域が再現されてはいないのだろうけれど。
その日は元町から山下公園をぶらついて、シルバーのお店でターコイズのペンダントトップをプレゼント指定。最初、例年より予算オーバーなので別のものにしようかと思ったのだが、今年は節目の年齢だからとふんぱつしてくれた。年を重ねるのもなかなか悪くないものだ!?
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◎ワイルドストロベリー効果?(6/2〜一週間)
誕生日に外人さんにナンパされた。スピルバーグみたいな風ぼうのヒゲの人だった。平日の夕方、地元のCDショップ、ヴァージンメガストアで。映画のサントラコーナーで話しかけられ、最初は英語だったので、日本にまだなじんでいない外人さんが何かわからないことを私に質問したいのかと思っていた。挨拶され、映画が好きなのかと聞かれ、自分はビジネスマンに英会話を教える先生なのだと、名前とともに自己紹介され、ついつい反射的に自分も名乗ってしまったが、それでもまだナンパだとは思っていなかった。なにしろ最近では見知らぬ異性に声をかけられるといえば、道を尋ねられる時ぐらいだから。哀しいけれど。
英会話講師と知って、それなら日本語もわかるだろうと、英語をやめて日本語に切り替える。あんまり難しいことは英語で言えないし。すると奴は、「これから時間ある? お茶しましょう」と言ってきた。その時初めて私は「これはナンパであったか」と理解。もう家に帰るだけだったが、行くところがあるともごもご言って断るが、「どこに行くの?」と食い下がる。ううむ。突然しどろもどろになりながら「また今度」とあいまいに引こうとするが、「今度じゃない、今日行きましょう」「外国人の友だち欲しくない?」とくる。あたふたと振りきったが、あーびっくりした。そういえば、そのショップに置いてあった英語のフリーペーパーを入口で手に取って、中が英語だけと知って戻そうとしたが、斜め読みして勉強しようと、丸めて手に持っていた。その行動を見ていて、私のことを英語が出来ると思ったのかもしれない。
その数日後、朝電車に乗る前にエスカレーターで前方に彼を見かけまたびっくり。気付かれないように距離を置いて、ホームでは逆方向にダッシュ(笑)。
何年か前にやはり都心のCDショップで黒人さんに「どんな音楽好き?」と声をかけられたこともあったが、向こうは明らかにハタチそこそこだったし、びっくりしたのでさっさと逃げてしまった。
その後、「こんなことがあったのよ!」と周囲の人たちに話をすると、似た話はよくあるようだった。そういえば私の知人の1人は、それがきっかけで付き合い始めたと言っていたし。CDショップのナンパは外国人のあいだではポピュラーなのでしょうか。
誕生日のその週、ほかの黒人青年からも道で挨拶されたり(確か同じ人に数回)、なぜか外人さんから親しみを持たれている(?)私であった。でも、夜に知らない人に挨拶されてもちょっと恐いのだよね……。最近何かと物騒だし。
その頃は折しも、ご近所友だちのOから株分けしてもらったワイルドストロベリーの実が十数個ほどたわわに実っていた。花が咲いたり、実がなると幸せになると巷で言われているワイルドストロベリー。果たしてその効果だったのでしょうか。Oは「英会話の勧誘だったんじゃないの」と手厳しいが。
その後、ワイルドストロベリーは根腐れしてしまい、枯れてしまった。以来、近所にいるはずの彼らを見かけることもなくなった。あの一週間はなんだったのだろう。
ちなみに、私の友人のそのまた知り合いは、ワイルドストロベリーの花が咲いてから間もなく彼が出来たそうで。ほんまかいな。ワイルドストロベリーの神通力、恐るべし!?
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◎デフレ時代のフリーマーケット(6/1)/
&作られなかった映画のための映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』久しぶりにフリーマーケットに出店した。10年ちょっと前、フリーマーケットの走りの頃、同じ会社の女性に誘われよく一緒に出ていた。ちょうど実家と自分の引っ越しが重なって、いらないものが山ほどあった時期だったのだ。モノを捨てられないもったいながり屋の性分の母親さえ、その頃は捨てたり寄付するようになっていた。私は母の「もったいながり精神」を嫌っていたはずなのに、いざ親が方針を変えだすと今度は私の方が「もったいない」という気になってしまう。フリーマーケットに出してみるということで実家から引き取ってしまったモノは当時段ボール数箱となりうずたかく積まれ、おかげで何度も出店する羽目になってしまった。
ところで、春に先輩の葬儀で会社の人たち(フリーマーケットにも何度か一緒に出た人も)と再会し、「また出てみよう」という話が出ていた。最近ではもう売るものもないと思っていたが、出店日が決まったということで部屋をひっくりかえして物色してみると、あるある。引き出しの中にしまわれて長いこと日の目を見ていなかったモノが、細々といろいろ。特に、髪が長かった頃のヘアアクセサリーは、ショートヘアにして久しい今ではもう当分必要ない。90年代はじめ、マイナーな女性ボーカルを中心に視聴しては買っていた時期のCDが数枚あるが、数えるほどしか聴いていない。ほかに有名なものでも好みではなく聴いていないものもある。今回は、台風が来ていて天気が怪しそうということもあり、雨が降ったら濡れてしまう洋服は控えめにして、小物を中心に出店することにした。ご近所友だちOの不用品(といってもほとんど未使用のアクセサリーや小物など)も預かり、出すことに。
友人MUGICOと、最近お知り合いになったYさん(7月15日現在、トップページからリンクされているページは彼女のサイト)も誘い、他2名あわせ5名で駒沢公園の一スペースに出店。当日はなんとか台風が通り過ぎたようでだんだん晴れてきたものの、蒸し暑い。MUGICOは事前に値札付けをしてきて、用意がいい。割と生活に役立つモノが多めで、売れ行きも好調。私のは元値があまり高くないモノばかりということもあり、すべてが控えめな値段。シャツ数百円から、小さな小物は10円のものも。朝からこれでは、店じまい間際にはどれだけ値切られることか。過去の経験上、終わりの時間が近くなると客も値切ってくるし、持ち帰りたくない出店者も大幅にサービスに出るものなのだった。
しかし、しばらく見に来る人とやり取りをしていて、10年ほど前とはかなり感触が違うなと思った。まず、あんまり値段交渉をしてこない。いくらと聞かれ、こちらが値段を言い、意に添わないとすぐ立ち去ってしまう。かつては、けっこう向こうのほうから「まけてよ」とか言ってきたものだが。こちらから積極的に売ってでないと、なかなか乗ってこないようだ。時の流れを感じる。最近では100円ショップでいろんなものも買えるし、デフレだしね。
それでもマーケットスペースを行ったり来りしては見定めている人の姿もちらほらあり、また舞い戻ってくる人もいる。そういう人にはすかさず値下げ交渉をこちらから持ちかける。ご主人が外国人の奥様、私の言い値を聞いて「まあ、50円でいいんですって」と笑う。英語でご主人に伝えると、彼もあまりの安さに笑っていた。ちょっと前にはまった「チョコエッグ」のおまけ、動物フィギュアシリーズも数点出しておいたが、彼はフィギュアのアザラシを手に取り「おー、たまちゃーん」とおどけていた。
この動物フィギュアシリーズのうち、山椒魚を買っていった男性というのが妙だった。といっても、私はほかのお客さんを相手にしていたので見なかったのだが、その人から代金10円を受け取ってくれたYさんの話によると……。最初自転車で通り過ぎ、また戻ってきて、しげしげと見つめたうえで無言で買っていったのだという。チョコエッグシリーズ、集めていてこれだけ足りなかったのでしょうか。それとも両生類好きなのか。なんで興味持ったのか、ちょっと話をしてみたかった。
バッタフィギュアも、お客のおじさんとの話のネタになった。釣りの時、こういう擬似餌でも魚が釣れるとか。ルアーだけでなくともいけるのか。でもこのおじさん、うんちくを披露するだけで買ってくれなかった。
今回は、おばさんより男性とのやり取りの方がおもしろかった。
やはり10円の値をつけておいた、車の傷埋め用のパテを手に取り、指で押して感触を確かめているメガネのおじさんがいた。「どうですか? 何か?」と声をかけると、「いや、いつのかと思ってね。使えるかなと」と答える。ドキ。正直言うと、私もいつのものかわからないのだった。なぜ手元にあるのか記憶にないのだからかなり以前。でも未開封だし、捨てるよりは試しに出してみようかと持ってきたのだった。正直にいつのかわからないと言い、一緒にパテを押してみるが、まだガチガチではない。しかし使えるものか少々不安だったので、「ほかに欲しいものがあればこれはおまけにしときますよ」と言うと、「ま、いいよ、10円だしね。買っとくよ」。おじさん、あのパテ使えたかなあ?
また、関心を示す人が少なく、売れないだろうとあきらめかけていたマイナー女性ボーカルCD。午後になって興味を示す男性が初登場。年の頃は30〜40代ぐらいか。どんな雰囲気の曲やボーカルかと聞かれたが、強く印象に残っている1曲を除くと、久しく聴いていないこともあってうろおぼえ。抽象的だが「こんな感じ」と説明し、印象に残っている歌(ちょっと妙な、蛇の歌)を「歌いましょうか」と言うと、「やめて、聴きたくないよ。プロなら別だけど」と笑いながらも手厳しい。それでも、少し前に歌って受けたので、「こんなですよ。へ〜びのようにあなたに巻き付き〜た〜い♪」とうろおぼえのへんな歌を歌う。男性、「聴かなきゃよかった」と渋い顔をするが、値切ったものの3枚まとめて買ってくれた。あとで考えると、なんとなく、音楽ディレクターみたいな職業だったのでは、という気がした。
MUGICOが持ってきた、形の変わる不思議な小物入れを南京玉すだれのように、はたまた、きみまろのように(?)即興で口上をのべて見せてみたりと、ちょっとおばかなことをしてみるとお客さんも笑っていた。結局その不思議な小物入れは売れなかったけれど。
午後過ぎまでがんばり、全部は無くならなかったがそこそこ売れ、小銭の商いだったが往復の電車賃と出店料、商品提供してくれたOとのお茶代ぐらいは稼げた。片づけてお茶をしに行ったあと、にわか雨が降ってきた。開催中に降らないで良かった。
◆
お茶を飲んでMUGICOやYさんと話をしている時、知人のライターUさんから電話が入る。かなりお久しぶり。私はこのあと渋谷で映画を観ようと思っていたのだが、1日映画の日ということでUさんも偶然そうしようとしていたらしく、観たい映画は違ったがそのあと渋谷で落ち合うことにした。先に渋谷に着いた彼女からさらに電話が入り、これまた偶然、互いの観たい映画が同じ映画館でやるようだという。Uさんが観るのは『六月の蛇』、私はテリー・ギリアム監督の『ロスト・イン・ラ・マンチャ』。人で込み合う渋谷の街を、私は季節外れのスキーバックをガラガラ引きながら歩き、Uさんと落ち合う。台湾料理「龍の鬚」で坦々麺を食べながら、汗を拭き拭き、互いの近況などを話す。 映画は、Uさんが私の映画の分も整理券をもらっておいてくれたおかげで、直前に行ったのに座ることが出来た。ありがたや。
去年、俳優ロバート・ダウニー Jr.にはまる前は、ジョニー・デップが最も好きな俳優だったわたくし。ダウニーの新作がなかなか観られない昨今、ジョニーが主役となるはずだった幻の映画のメイキングという本作には、かなり前から目をつけていた。案の定、ジョニーの出番は少なかったけれど、メイキングということで、役を演じる以外に、打ち合わせをする時などの素の表情も見られて、なかなか面白かった。
テリー・ギリアム監督の映画は『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』などけっこう好きな路線。でも、彼が監督だからというよりは、作品が醸し出す雰囲気が好みに合っていて、知らず知らず惹かれるという種類のものだった。モンティ・パイソンのアニメーションも、彼の手によるものとは知らない頃から、惹かれるものがあった。今回の映画にも、その独特のブラックユーモア溢れるアニメーション手法は使われていて、懐かしかった。
テリー・ギリアムその人の姿や人柄というのはこれまであまり知らなかったが、自分の作りたい作品世界にこだわるあまり、プロデユース側とは衝突することも多かったという。それで今回の映画にはスポンサー探しに難航し、準備をするのがまず大変だったようだ……。作中で彼を見ていて思ったのだが、彼は決して「製作側と問題を起こしがちな、わがままな監督」ではなかった。モノ作りに熱中しすぎる、子どものようなタイプなのだ。だからこそ、ずるく立ち回ることができないのだろう。しかし、そんな子どものような無邪気さで陽気に撮影準備を進めていく監督も、冗談のような数々のトラブルに見舞われるうち、打ちひしがれていく。役者・監督双方に強く同情したのは、ドン・キホーテ役のジャン・ロシュフォールの体調不良により撮影続行が不可能となるあたり。このじい様俳優、体調が悪くならなかったらさぞかしいい演技をしてくれたでしょうに。監督も代わりのキャストは考えられなかったので、涙を呑んで撮影をストップしたのだった。
作られなかった映画、『The Man Who Killed Don Quixote』はヨーロッパ資本で主にヨーロッパのスタッフが中心となって製作が進められていたらしいが、製作の段取りに置いては何かにつけハリウッドシステムとは大きく差のあるもののようだった。昨今のハリウッド映画はマーケティング色が強くて単純であまり好きになれないものが多いが、こと製作システムに関しては素晴らしく効率的なのだと、このドキュメンタリーを観て認識した。映画作りは、様々なスタッフの力によって支えられていて、ささいなことが根幹を揺るがすこともあるのだ。大変だなあ……。最近、DVDの特典映像として製作ドキュメントが付いていたりして面白く観てきたけれど、今回の舞台裏の悲惨さ(でもちょっと面白い)は群を抜いているねえ。
失意のテリー・ギリアム監督、地獄の底からはい上がってまた挑戦し、ドン・キホーテの映画を完成させてください! 遠き日本の空の下で祈っています。
上映後、大満足の私と対照的に、Uさんは「ビデオでも良かったかな……」と微妙な感想、でした。