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巻第二十七 平成十五年 三月
※初めての方は一番下からお読みいただくと、日付の順に見られます。
■マイルーム改造計画
まとまったお金を使えることになり、とうとうiBook購入。わずかながら不況に貢献。プリンタやスキャナも買ったが、前に買った7年前とは当然ながら機能向上、そのうえ値段も安価で驚くばかり。スキャナなんて、ネガを取り込んでカラー出力できるのだってさ。もう写真の焼き増しは外部に頼まなくていいじゃない。プリンタは、CDへのカラー印刷もできるとか。しかし、時代の流れから取り残され、浦島花子状態のわたくし。うまく使いこなせるかどうか。マックOSXの多機能についていけるかしら。果たしてホームページの移転・大改造計画は順調に進むかどうか。不安。用意すること、覚えることは山積み。
とりあえず設定などは後回しにし、DVDを観る。U2のベストを買ったらDVDが付いていたのだが、うちでは機材がないためこれまで観られなかったのだった。画面はテレビより小さいけれど、これから新たな楽しみがひとつ増えた。
そして物欲に火がつき、余剰資金で住環境の改革に挑む。2月末あたりから、カーテンを変えようとあれこれ物色していた。もうすぐ春だし、春らしい色で明るい気分になりたくもあり。カーテンってめったに変えないので、ここ10年ほど同じものでちょっと飽き気味でもあったし。また、仕事をする部屋の窓が隣の家の窓と向き合っているため、これまでにはベランダで洗濯を干す奥さんなどと目が合うこともしばしばで、慣れたとはいえ気まずいことも多々あった。そこで、遅ればせながら目隠し目的にと“カフェカーテン”をつけてみた。なんだかひらひらしてメルヘンっぽいイメージが苦手で、これまでは敬遠していたのだが、実際取り付けてみるとこれがなかなかいい。窓に向かってパソコンを打っていても、顔の位置は向こうから見えない(はず)から視線の先が気にならない。そして、窓の上部は隠れていないので、明るい。見上げれば空。うん、なかなかいい感じ。こんなふうなことで部屋にいる時間が快適になれば、今後もう少しホームページの更新も進むかも。仕事もばりばり進むかも。ううむ、いや、どうかな。
さらに止まらない物欲の産物として、以前から欲しかった“おふろCDラジオ”を購入。去年の今頃、おふろで音楽を聴く快適さに目覚めてから、ずーっと欲しかったのだ。狙っていたのはカシオの製品。少しでも安い店で買おうとせこくチェックしていたが、行ける範囲の店でこまめに監視していた限りではなかなか値は下がらなかった。ところが先日。ダイエーの電気製品売り場がなくなることになり、セールをしていて、欲しかったその製品が5000円近く割引になっていた。最後の一台のそれを購入。ラッキー。その夜さっそくおふろで使う。おふろソングは何にしようかとCDを選び、ジュエルのアルバム『心のかけら』にする。そのなかの「Foolish Games」が好きなのだ。日本でいえば鬼束ちひろ的な雰囲気の歌い方。リピートして聴く。
小空間でのささやかな悦び。もしここでイラク空爆のようなことが起きればあとかたもなく瞬時に消えてしまうほどのものだけれど。
(3/20/2003Up dated)
■3.8日比谷〜銀座を歩く/反戦パレードへの初参加(3/8)
とにかくもう、この頃はうんざりしていた。B級、いやC級映画のような展開の国際政治情勢を新聞で読んだりテレビで目にすることに。そしてそれを観てあきれながら、一人突っ込みを入れることに。テレビの中で映される出来事に対しての現実感覚が麻痺し、自分の感情が鈍くなっていくであろうことに。読んだり観ているだけしかできないことに。
U2は『Sunday Bloody Sunday』でこんなふうに歌っている。「ぼくたちはいつしかなれっこになってしまっている/事実は絵空事となりテレビこそが現実となる/今も数えきれない人々が泣き叫び/ぼくたちが食べたり飲んだりしているうちに彼らは明日にも死んでいく」。そんなふうに、メディアで取り上げられるほどに現実の重さがどんどん希薄になっていく、そして自分はなにもできない、という状況にいらだちが日々募っていた。
そんな頃、反戦デモが2月に東京で行われたことを新聞で知る。次は8日に日比谷公園発であることも。ふと、行ってみようかと思った。でも、その前後に仕事の予定がいろいろあったので、行けないかもしれないという気もした。だけど前後にがんばればなんとかなるだろう。ということで、行こうと決めた。それにしても、デモというものに参加したことがなかったので、ちょっと不安もあり、とりあえず下調べ。どうやら当日現地に行くだけでよく、個別の申請などはないらしいので、安心する。一人でも行くつもりだったが、親しい友人にだめもとでメールで声をかけてみた。と、「どうしちゃったの? わからなくもないが。変な宗教とか入らないでね」と返信があった。遊び仲間だがときには世界の情勢なども話題にしあった、一番親しい友人の反応としてはややショック。まあ、他の人がやはり周囲に声をかけたとき似たようなことがあったという話も聞いていたし、世間の反応はこんなものかなと寂しく思う。
デモで戦争は止められないかもしれない。でも、意思は示したい。イギリスでは10万人が歩いていた映像をニュースで観て、日本人にも同じように思っている人がいることを世界に示したい、その一人として数を増やすためになれれば、と思っての参加なのだから、なんのこれしき。若干の寂しさと不安を感じつつ、前日は仕事の合間につい準備をしてしまう。ただ歩くだけでもいいかなと考えていたが、おそらく私は声をあげたりしないだろうから、思っていることを示すためになにかプラカードでも持とうと作ってみた。ペットボトルなどについているリサイクルマークをヒントに、「戦争←→テロ←→哀しみ、怒り←→」という図式を英語で示した、「バッドサイクルマーク」を描いてみた。そして仕事をしながらU2のベストアルバムを聴いているうち、戦争やテロ、平和について歌っている曲がいくつもあることが気になり、それらを集めたテープづくりに熱中。歩きながらかけようと思ったのだった。おかげで仕事が後回しになり、デモ当日の午前中まで引っ張ってしまった……。
8日、土曜、快晴。デモがスタートするという3時半の30分ほど前に着いた日比谷公園には、たくさんの人がいた。団体で集まっている人達もいるが、けっこう友人同士や夫婦、カップル、家族で来ている人が多い。外国の人の姿も目立つ。ほとんどの人が、手製らしきプラカードを持参している。パソコンでデザインしたらしき、凝ったものもある。ブッシュにヒトラーの扮装をさせ、ちょび髭を付けたもの。戦車の絵に、駐車禁止マークを重ねたもの。また、同じデザインの「NO WAR」カードが目立ち、隣りの女の子二人組もそれを持っていた。あとでわかったが、それはグリンピース・ジャパンで入手できる、ぬりえプラカードだった。それぞれが思い思いの色に塗りわけている。
一人参加の私は手持ちぶさたでもあり、花壇の鉄柵に腰かけ周囲の人々を観察する。隣に若い女の子二人組がやってきて座り、スマイルマークのプラカードの仕上げをし始めた。サングラスをかけ杖をつき片足を引きずる欧米系男性がそれを覗き込み、「Oh,Peace mark」と笑いかけ、去っていく。その背中には、「FUCK WAR」と大きく書かれた布のマント。彼はもしかしたら兵役で負傷したのかな、と考えた。噴水広場で目立っていたのは、手に手に大きなプラカードを持ち派手な仮装をした外国人グループ。ブッシュの写真に、英語で「テロリスト」と斜め書き。やるなあ。戦費や復興援助金が税金から捻出されることについて問う日本語の幕も持っていた。そのグループで、赤いウィッグをつけ、「戦争反対」と書かれた日の丸をからだに巻き付けていた背の高い人は、とりわけ目立っていた。しかも美人だ。私の近くの人も「男かな、女かな? ドラッグクイーンかな?」と気にしていた。彼らはいろんな人達から写真をせがまれ、快く応じていた。プロらしきカメラマンからもポーズを求められていた。私は堂々と撮影を申し込む度胸が無く、遠巻きにデジカメで撮影。ブッシュのお面をかぶった人、全身白いフェイクファーの着ぐるみの人もいた。あとでわかったが、それは、「ブッシュにくさりでつながれた犬(コイズミ首相)」であった。彼らのパフォーマンスには「やってくれるね!」と愉快さを感じたので、彼らと一緒に歩きたいなーと思う。白い着ぐるみの人は金髪の女性で、一緒にいる日本人の友だちと日本語で会話していた。そのグループには外国人男女数名に日本人も数名混じっていた。だいたい20代半ばぐらいと見たが、英会話スクールとかのつながりかな。留学生とかかな。
やがてデモスタート時刻といわれていた時間になり、それぞれが門のほうへと移動を始める。門の外の方からか、ラップをしている音が聞こえる。アボリジニの楽器、ディジュリドゥを奏でている男性達も。その一方で、革マル派のノボリも途中に見えた。そして出発を待ちながら、前の女の子が公園内で配られたらしきチラシを読んでいたが、それは革マル派のチラシだった。この子、革マル派のことわかってるかなあと思って眺めていたが、あとで自宅に帰ってからもらったチラシを取り出してみたら、私も同じチラシをもらっていたのであった。いつのまに。
変な人もいた。男性が一人でみんなに向かって呼びかけている。周囲で楽器をやっている人もいてあまり聞こえなかったのだが、うしろのおばさま二人の話によると、こういうことらしい。「なんて言っているの」「これから国会に行こうとか言っているみたい」「でも今日は国会は休みじゃないの」。その冷静な反応が大人だなあ。変な男はその後も、主宰の人達に向かって「まだスタートまで時間がかかりそうですから、トイレに行くなど呼びかけたほうがいいのでは」といったような馬鹿なことを言っていた。あのね、子どもじゃないんだから、私たちは。行きたかったら自分で行くよ。
まあ、出発までにかなり時間がかかっていて、日が傾きだすにつれて寒くなってきて、トイレに行きたい人もいたかもしれない。それまで私たちは立ちっぱなしでかなり待っていた。1時間が過ぎ、2時間が経った。主宰スタッフは拡声器を片手に、「出口で待っている人達もいて、合流しながら出ているためにもう少しかかります」と説明してまわっていた。いつもは30分ぐらいで出られるのですが、と説明する本人も疲れていた。それでもせっかくここまで待ったのだからと、待ち続けたみんな、大人だ。若い女性二人、「明るいうちに歩きだしたいねー」と言っていた。確かに。私が一緒に歩きたいなと思っていた外国人グループのプラカードが見えたので、彼らに少しずつ近づいてみた。うしろのほうでは沖縄ふうのリズムで音楽をかけ始め、待っているあいだに踊りだす人達もいて、しばし和む。近くに、某雑誌で顔が知れているライターの人が仕事仲間らしき人といたのを発見。たぶん取材なんだろう。来月はこのネタなのかな。少し先では、外国人のお父さんに肩車されたかわいいぼうやが手に持つカードに書かれた、落書きみたいな「Peace」の文字とスマイルマーク。あの子が書いたのだろう。お母さんは日本人だった。
そんなふうに周囲の人の様子を眺めつつ会話を耳にしながらプラカードを眺めているうち、少しずつ少しずつ進み、2時間以上経ってやっと門の前に。先ほどの女の子たちも「やっと出られてうれしいー」。自然と「おー」「わーい」と歓声があがる。しかし、門付近は新聞記者だらけでちょっと緊張。門を出てから横断歩道を渡り歩きだすが、向こうの歩道には警官の一団。それと、目つきの鋭い男達もずらりと並んでいる。私の後ろの男の人が「すっげー、公安があんなにいるぜ」とささやく。そうか、公安か。ちょっとびびる。公安の刺すような視線を浴びながら、いよいよ街なかへ。
赤いウィッグをかぶった外国の人(付けまつげも真っ赤。たぶん女性。近くで見たらさらに美人だった。モデルかな)は、メガホンで「戦争、反対」と呼びかけながら歩く。自然と、私たちの一群の掛け声は「戦争、反対」になった。私はいわゆるシュプレヒコールにどうも抵抗感があるので、黙ったままプラカードを手に歩く。U2のテープはいつかけようかと迷ったが、掛け声のリズムにどうも合わない気がして、結局かける機会を逃してしまった。ただ歩く。他の人の「戦争、反対」の掛け声とともに。信号で止められた人の一群が自然とひとグループとなり、私たちは15人ぐらいだっただろうか。事前にコースを知らなかったのでどこを歩いているのかいまひとつ自覚がなかったが、おそらく新橋あたりを回り、最終的には銀座に向かうようだった。
歩道を歩く人達の反応はどうだろうと、ちらちら見ながら歩く。見向きもせず足早に過ぎる人、何事だろうと笑いながら見ている人、ケイタイカメラで写真を撮る人。私の前をいくブッシュとポチ小泉の扮装が、どうやらかなりウケているようだ。信号で止まるとそれだけ交差点で待っている人も多く、かなり注目の的となる。恥ずかしい気もするが、一人ではないので心強い。赤いヴィッグの女性の「戦争、反対」の掛け声は続く。銀座方向へ進み、人通りが増えるにつれ、歩道の人達の反応がやけに好意的に感じられてきた。指でピースサインをしながら歩き過ぎていく若い女性、手を振るおじさんなどなど。歩いていくうちにわかってきたが、最初のほうにスタートした人達がデモを終え、戻っていくところだったのだ。だんだん、交差点のあちこちでプラカードを手に待っている人達の姿も目立ってきた。行き交うピースサインの嵐とほほえみに、一体ここは本当に2003年の日本か? と不思議な気がした。70年代のヒッピー全盛期みたいでは? また、ふと、北海道をバイクで走ったときのことも思い出した。バイクライダーたちには、ライダー同士すれ違う時に、ピースサインで挨拶し合う習慣がある。都心ではあまり見られないが、ツーリングライダーの多い地方へ行くと、ピース天国となる。特に北海道。キメのピースサインポーズに命をかける(?)者もおり、ユニークな出し方で笑わせてくれる人も多い。そしてそんなピースサインの嵐は、なんとも人をハッピーにさせてくれる。最近はバイクから遠ざかりその感覚とも縁遠くなっていたけれど、それと同質の感覚を抱いたのだった。
だんだんと、デモ参加者だったであろう人達を見分けられるようになってきた。みんな手を振ってゆく。交差点で待つ一般の人達は、そんな雰囲気につられてほんのひととき、私たちのことを話題にしている。ほんのちょっとだけでも目に留め、その意味について考えてもらえたら、歩いた甲斐がある気がする。プランタン銀座前、西銀座デパートに入っているガラス張りのレストランでは、「NO WAR」のプラカードを足元に立て掛け窓際に一人座っている女性がいた。私たちがそれに気付き目をやると、一人ピースサインを示した。ひょー、クール。かっこいい。彼女も一人で参加したんだろう、きっと。
銀座に差しかかったあたりから、空はすでに暗くなり始めていた。銀座の繁華街を歩く頃にはもうすっかり真っ暗。銀座一丁目駅を過ぎ、解散地の広場に着いて流れ解散。その場で主宰者の人達がアナウンスしていたことによると、参加者は4万人を超えたとのことだった。事前予測では1万人ほどと聞いていたが、そんなに。どうりで公園から出るのに時間がかかったはず。出るまで2時間半以上、歩きだしてからは1時間ぐらいか。
反対の歩道へ渡り駅の方へ戻りつつ、反対車線を歩くグループに私も手を振る。さっきまで励ましてもらったお返しに。銀座一丁目あたりで、私も他の人達に混じり、まだまだ続くデモの人達を待ってみた。ずっと前後の様子を見られなかったので、観察がてら。来るわ来るわ、まだまだ。しかも、どうやら派手な団体ほど後半に回された様子。生真面目に声高に沿道に呼びかける団体。学生たちの団体の、手作り神輿行列。おそろいの靴下や服装で揃えた女子高校生たち。楽器演奏の一団。軽トラの荷台でターンテーブルを回しながらラップを流し、その後ろに続く仲間達。門の辺りで流れていたラップは彼らによるもののようだ。
通り過ぎる人達は、団体、個人、さまざまで、ほんとうに老若男女いろいろ。「戦争反対」と言いながら歩く子ども。ベビーカーを押しながら歩く主婦。働き盛りの年代のおじさん。一人歩く物静かな男の子。友だち同士、にこやかな若い女の子。車いすの人。おじいちゃん、おばあちゃん。アジア系の外国人、イスラム圏の顔立ちの人、さまざまな国の人達。デモというよりパレードだな、と感じた。
人の流れが途絶えるまで沿道で見送って、私も帰ることにした。翌日は日曜というのに早朝から仕事で出かけなければならなかったので、帰って早めに寝た。ぐっすりと。
※翌日の新聞、各紙ともこのパレードのことを載せていましたが、さほど大きな扱いではありませんでした。世間的、社会的にはたいしたことではないのでしょう。でも、日本でおよそ4万人もの人達が一度に集まったということで、日本という国、日本人を見直しました。ついつい長くなってしまいました。失礼!(3/20/2003Up dated)