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巻第十九 平成十四年 七月
※初めての方は一番下からお読みいただくと、日付の順に見られます。
■地球の裏側 月の裏側/映画『月のひつじ』を観て思うこと
1969年という年は、私にとって魅惑的な年である。ある程度大人になってさまざまな事象を俯瞰したとき、その年あたりに私を引きつける出来事が起こっていたから、というわけではあるけれど。
たとえばウッドストック。私がこのロックフェスについて知ったのは20代半ばのことなのだが、のちにビデオで当時の様子を見て、もっと早く生まれていたら実際にその場で見ることもできたかもしれないのにとくやしさを感じたものだった。兄貴の所蔵レコードを聴いていた影響もあると思うけれど、そもそも私の音楽の好みはわりと古くさく、60年代のミュージシャン寄り。ウッドストックに参加していたサンタナやジャニス・ジョプリンをはじめ、ドアーズなどが基本形。
この時期輝いていたロックミュージシャンのうち幾人かが、60年代が終わり70年代となってからまもなく命を落としているのも興味深い。69という数字は、日本語で読むと「ろく・く」で、「ロック」であるとも言える。ロックの伝説の始まりの年であり終わりでもあったのだと、のちに私は思ったものだった。
さらにこの年は、もうひとつ大きな歴史的「事件」の起こった年でもある。アポロによる月面着陸。あるときそのことに気付いた私は、先の“ロック”に対して感じていた思いと重ね合わせ、96年を少し先に控えた94年に、『69 to 96』という詞を書いてみた。69という数字をひっくり返すと96になることに注目し、ドアーズの曲、「水晶の舟」や月面着陸のことを織り交ぜたりしながら、過去と現在の文化が循環していることなどを表わした、やや抽象的な詞だった。自分では作曲ができないので曲はなかったが、歌になったら面白いなという思いがあって書いたものだった。(のちにコーネリアスが『69 96』というアルバムを出し、くやしい思いをした。まあそれは余談として。)
前置きが長くなったが、映画『月のひつじ』について。そう、私を魅了する69年に起きた出来事のひとつが月面着陸。それを題材にした映画というわけだから、69年オタク(?)としてはぜひ観なければならないだろう、と映画館へ赴いた。
私としては、月面着陸は科学の進歩を見せつけてくれた歴史的事件であったと同時に、「月にうさぎがいる」と信じるような夢を破ってしまった出来事ではなかったかと思っていたのだが、この映画を観ると、大人も子供も、圧倒的に「夢を得た」という人が多かったようである。人類が月にまで行けるという事実を、中継により目の当たりにし、さらなる未来に希望を感じた様子が見て取れる。
この映画は、オーストラリアの巨大な電波望遠鏡(パラボラアンテナ)が月面着陸の映像を初めて受信し世界に中継するまでの紆余曲折を描いた、実話ベースの物語だ。アメリカだけの成果だと思われがちな一大事を、地球の裏側で陰ながら支えていた人々の仕事ぶり・奮闘振りにスポットを当てて描いた映画。うーん、私好み。しかも、オーストラリア人の制作スタッフ陣が選んだ描き方は、偉業として誇り高く熱血的に、というのではなく、適度にスリリングさを持たせながらのコメディタッチ。その力の抜け方、ずらし方加減が、またいい。
ジュラシック・パークでの印象が強いサム・ニールが、中継を任された天文台の所長を演じ、シブい演技を見せている。亡くなった奥さんにも月面着陸を見せたかった、と語るようなくだりにはこちらもしみじみ。彼を取り巻く技術スタッフ、トボけたガードマン、責任重大な町長とその一家の様子などがコミカルに、味わい深く描かれる。人間とその感情が丁寧に描かれているところに好感が持てる。見どころは、重大なトラブルが起きたあと、それをなんとかしようとスタッフ一同が四苦八苦するくだり。そのエピソードはNASAから派遣されたスタッフとの関係修復に一役買っていたりするのだが、ここでも笑える要素を盛り込んでしまうあたりのセンスが私は好き。
聞くところによると、実際に中継に関わったスタッフはあれほど少なくはなく(映画では4名)、また映画にあったあるトラブルは実際にはなかったというけれど、そこは映画。楽しく観られればそれでよし。巨大なアンテナの上でキャッチボールなんぞをしてしまうほのぼのさ加減に、観ている私はなごんでしまった。
そうしてほのぼの・ハラハラ・へらへらしながらも、この映画の隠れテーマ(?)である「勇気」「決断」などにも、けっこうじんわりと感じ入ってしまった私……。
ロック。ベトナム戦争。そして沖縄がまだアメリカだった頃。これまで抱いていた、アメリカ寄りの69年へのそうしたイメージに違う視点を与えてくれた映画。地味だけれど、じわじわと心にしみる。
※この映画を観てからはや2週間。はやいなあ。これから観たい映画は、『タイムマシン』『天国の口、終わりの楽園』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』などなど。でも世は夏休みだからなあ、映画館混んでるかな。8月は仕事みっちりの気配濃厚、いつ観に行けるかな……。
※以前私が書いた『69 to 96』に、「月のひつじ」ならぬ「月のうさぎ」というフレーズが入っていたのを、今思い出しました。そのときの詞がどこかにあるかと引っ張り出してみたら、こんなふう。ちと恥ずかしいけれど書き写してみようかと……。
月にアポロが降りた69 月のうさぎは逃げてしまった
ひとつの花が開いた影で 小さな夢がしぼんで消える69 to 96
「水晶の舟」よ 星さえ見えない夜空を進め
何処かへ行きたい 何かをしたい 始めなければ 始まりはない小さな夢でも命ある限り この手で抱きしめ続けていたい
信じることさえ忘れなければ 行く手に広がる No Money’s Trip偽りの平和が続く96 今日も何処かで戦う兵士達
ひとつの命消えてくときも 小さな命生まれてきてる69 to 96
「水晶の舟」よ 猛り荒ぶる海原進め
絶望しそうな世界にいても 雲の切れ間に光は見えるひとつの歌でも空がある限り 誰かに届けと歌い続ける
愛することさえ忘れなければ 手に入れられるさ No Drug’s Trip69 to 96 夜空を越えて No Money’s Trip
96 to 69 この手に掴む No Drug’s Tripうーん、文字を小さくしてみたけれどやっぱり恥ずかしいのう……。
(8/4Up dated)
■空を見上げて
あっというまに一週間が過ぎてしまった。打ち合わせに出たり、資料を読んだり、仕事関連の雑務をしたり、室内外でパソコンのキーを打っているうちに時間は日々過ぎていく。月曜はアクアビクスに行ったり、ときどきビデオやテレビ逃避に走ったりもしたが、ほぼ仕事中心で送った一週間。てきぱきと「はい終わり、はい次!」ってふうになかなかいかないタイプの私は、損だとはわかっていてもゆるゆると、じっくりと仕事を進めていくのであった。そりゃ気持ちとしては急ぎたいのだけれど。なかなか頭で予定を組んだようには終わらない。かなりせっぱ詰まっているときは、我ながら驚くほどの集中力を発揮するのだけれどね。だが、今回は土日まで引っ張ってしまった。土曜は窓から青空の切れ端をちらちらと見つつ、室内でパソコン仕事。外に出ると糸が切れた凧になりそうなので、自分で決めたノルマを終えるまで外出ご法度のひきこもり。
資料読みやパソコン仕事をせねばならず、室内に居続けるのが気分的に辛くなったとき(天気がいいときの場合が多い)、私はよくノートパソコンを持ってカフェなどで仕事をする。画面や読んでいる資料を背後から誰かに読まれないように、なるべく壁際のポジションをキープしなければならないという私なりの鉄則はあるものの、それさえ合格なら、自宅でやるよりかなり集中できるのだ。パソコンのバッテリーが3時間位しかもたないから、それまでにある程度まとめなければならないという精神的縛りもある。でもカフェにしてみたら迷惑だよね、こういう長居の客。
先週の火曜日はそうしたカフェのひとつ、ご近所のスターバックスへ行ったら室内はすでに満席。学生が勉強している姿が多く見られた。テラス席しか空いていなかった。当日は日差しが強烈で、テラスもじりじりとした暑さ。しかし風があったので、まあいいかとパラソルの影で資料読み。その間、数時間。ときどき見上げれば夏の空。風に揺れる木の緑。他の2席にも学生らしき女の子が勉強の資料を広げ、読んだりしている。室外のまったりしたリゾート風の空気と雰囲気がそうさせるのか、だんだん姿勢がくずれてきている。椅子の上に体育座りしたり、隣りの椅子に足を上げたり。私もだんだんそうなってきてしまう。あーリゾートで休みたい。
仕事をしつつも頭ではリゾートを思い描く、そんな一週間。
(7/29Up dated)
■夏の夕暮れに吹き渡る風の音に耳を傾ける(7/20)
激暑、猛暑、もーすんばらしいほどの脱力的暑さ。って、どういう日本語だ。目覚めたときから汗だらだら、昼も発汗しまくりの週末、海の日だ。あー、ここ何年も海行っていない。海外のきれいな海あたりでリゾりたい。でも今年も近場でちょっとお出かけ、ぐらいで終わってしまうんだろうな、という予感。いまのところ予定は、去年も行った「ミステリーナイトツアー」のみだし。今、後楽園で開催中だという「あいのりワールド」とやらで番組で行った先の世界の料理が食べられるらしいが、せめてそういうのでリゾ気分でも味わってくるかな。しょぼいけど。
昼間あっつい部屋で、このページの前回の更新を終えたあと、先延ばしにしていた墓参りに出かける。暑い時間帯を避けて、夕方近くに着くように見計らい、2時をまわってから出た。私が住んでいるところから、電車を乗り継ぎ1時間ほど。都心から遠ざかるほどに車窓からの風景には田んぼの青々しさが目立ち、青い山々に近づいていく。夏場にそっち方面に向かっていると、いつも子供のころの夏休みの感覚を思い出す。
さて、駅に着き、しばらくバスを待つ。4時だというのにまだまだ日差しは強烈。日なたに居ると溶けてしまいそうなので、駅舎の日陰で待つが、それでも汗をかく。やがて来たバスの乗客は、私と学生風の女の子の2人のみ。たまにしか私は乗らないが、そういえばいつもこんな感じ。村営バスだし、こんなんで運営は大丈夫なのかな。でもこのバスがなくなってしまうと、霊園までは1000円ちょっとかけてタクシーで行かなければならない。なくならないで欲しいものである。数年前まではバイクに乗って来たりしたものだが、休日の渋滞に阻まれたりと、それはそれで疲れるものだった。空いている道をすいすい走るときは気持ちいいのだけれどね。
霊園到着、我が家の墓所のあるところまで徒歩で坂道を上る。まだまだ空は青く、日光の力は衰えをみせない。去年の教訓を活かし今年は軍手を持ってきたので、はりきって草むしりに挑む。またまた汗だく。なぜかこの頃は額からの発汗が激しい。その日はどれぐらい汗をかいたであろうか。草としばし格闘後、すっきりした墓所に水打ちし、花を供え、お参り。
ツクツクホーシとセミの啼き声がするのを聴きながら、来たときとは反対側の坂を下ってゆく。その中腹あたり、視界が開けたところに、これから販売区になるのであろう緑の草地が広がっている。その向こう側には木立、遠くに民家が点在し、さらにその向こうには秩父連峰が連なっていた。5時半をまわり、もう夕方だというのに夕暮れの気配すらない。空はまだまだ青い。そんな光景をしばし見ていて、数年前にバイクツーリングで行った九州の「草千里」や「大観峰」を思い出した。緑のベルベッドのような草並が広がる、広大な光景。バイクでそれを眺めながら走っていると、ふと周囲が暗くなる。なぜかと空を見上げると、頭上には雲。雲の影にすっぽり包まれながら、しばし走った。
離れたところの木立が草原に投げ掛けている影に腰を下ろしながら、そんなことを思い出した。そこでしばし、ぼーっと景色を眺めていた。するといろいろな音が、心地よく耳に響いてくるのだった。草をなでそよぐ風の音、木立の葉を震わせるざわざわという風の音。ホーホケキョというウグイスの啼き声。カナカナカナ、ツクツクホーシ、といったセミの共演。草が揺れるのをぼんやり見ながらそれらの音を聴いていると、ゆったりとした気持ちになれるのだった。日が暮れるまでそのまましばらく景色を眺めていたかったが、6時で閉門だ。帰ろう。立ち上がり、喉の渇きをいやすため私は坂を下りていった。
本格的な夏の始まりと夏休みへの郷愁を感じた、そんな一日。
(7/22 昼Up dated)
※昨日はテレビが届けられる日だったので、また暑い部屋におこもり。クーラーつけてたんだけど、運んできてくれた作業員のお兄さん達がテレビをセッティングしてくれている部屋にはあまりクーラーが効きませんことよ。申し訳なくて、汗だくのお兄さん達をうちわであおいであげていました。前回予告した、映画「月のひつじ」についてはのちほど、また。
■転機予報(7/19)
あるサイトの掲示板で、ある人の「転機」についてこの頃よく話題になっていた。それでふと思ったのだが、私もここ数ヵ月、転機のうずを自分の周囲に感じているのだった。
これまでにも何年かに一度は、いちどきにそういう流れがやってきたように思う。その予兆は自分が意識して新しい環境に飛び込んだことであったり、それをきっかけにして新しい知り合いができることだったりする。仕事の面でも、私がやっていることを共通の知人を介して先方が知り、私に関心を持ってくれたということがあった。
そんなふうにしてここ数年は、縁あったところと仕事をさせていただいたのだが、これまでは自分にできることでスケジュールがなんとかなれば、たいがいのことはやってきた。だけど去年の今頃、2年間レギュラーでさせていただいてきたホームページ編集・原稿の仕事が、クライアントの担当者変更による方針転換で委託会社を変えることになり無くなったのをきっかけに、いろいろ考えた。その仕事の場合、クライアントである企業が高くはないが資金を出しているということもあって、要望を通すのが当たり前と思っているのは理解できる。しかしその要望が、私たちが2年間積み上げてきたものとは180度異なるもので、どう考えても正反対のやり方の成果を出すのはもう少し先になるし、そのうえ制作資金面でも厳しく、当面その企業にとってはマイナスの面が多いだろうというのがスタッフの一致した意見だった。後半かなり提言もしたが、先方が耳を傾けてくれなかったので、私たちは降りることにしたのだった。(しかしさらに半年後、元の委託会社にまたお願いしたいと担当者は言ってきたらしいのだが……。)
まあそうやって、この数年びっちり目一杯仕事をしてきたけれどレギュラーがなくなって、山あり谷ありぼちぼち、って感じで去年からはやってきた。おつきあいのある会社も大体同じだったが、思うところあって、私としては新しいところと、これまでとは少し違う方向性の仕事をしていきたいと思っていた。そして今年になってから、というかこの数ヵ月、いくつか新しい仕事が紹介で入ってきて、現在進行中。そのうえ不思議なことに、忙しい時期はなぜかスケジュールがなんとか空きに収まってやってこれたのに、この頃は以前からつきあいのある会社から仕事の打診があっても、完全に他のスケジュールと重なってしまい、何度か立ち消えになった。他の週だったら空いていたりするんだけれどね。まあこれもなるべくしてなる、転機予報ってことかも……などと思っている。とりあえず最近、ギャラはさておきやってて楽しい仕事が多くなってきたのが、私的にはいい感じ。
※転機予報の予兆なのか、この頃やたらと公私ともに初対面の方々と会う機会ありまくりです。先日は元組長さんにお会いしてきました。これは仕事の一環ですが。最初はちょっと会うのをためらいましたが、こんな機会でもなければめったに会える方ではなかろうという好奇心もあって。話をしているときはビジネスライクで笑顔もあり話のわかるおじさん、という感じでしたが、別れ際挨拶をしてからすぐにお付きの大きな車がすーっとやってきて「それでは」と乗っていったとき初めて、やっぱり元組長……って感じました。
※日曜夜中に近所で聞こえた女性の叫び声のこと、ずっと気になってたので交番にあとで聞きに行ってみました。やはり通報があったらしく、どうやら夫婦喧嘩だったようです。私としては、「通り魔、悪くしたら誘拐、押し込み強盗、レイプ、殺人の可能性も……」なんて想像が膨らんでしまっていたので、ひとまず安心。まあ夫婦喧嘩だからいいってことはないし、むしろ夫婦だからやっかいなのかもしれませんけれど。とにかく、あんな深夜でも通報者がいて、警察もちゃんと対応していたということに、ほっとしたのでした。
※昨日は元組長さんにお会いしたあともう一件仕事の営業、その後、映画「月のひつじ」を観てきたので、次回はそのことでも。更新予告。(7/20Up dated)
■叩く痛み(7/17)
テレビくん、さようなら。思えば君とは10数年にわたるおつきあいだったね。君は、私が実家にいた頃には、確かまだ我が家にいなかった。高校を卒業して兄が家を出て、さらにその3年後また私が家を出るまでの間は、君より小さなテレビが食卓の主役だった。いつだったか私が実家に帰ると、まるで私たちきょうだいの代わりのようにして、君が居間に大きな顔をして居座っていたっけ。
なんて、いつもと違う書き出しで始めてみたが、落ち着かないのでそろそろいつもの文体に戻そう。
そう、私が所有しているテレビは、私が20代になるかならないかの頃、親たちが購入したもので、相当古いのであった。それをあるとき実家からもらい受け、以来私が使っている。21インチと画面もまあまあ大きく、デザインは木目調で落ち着いていて、なかなか気に入っていた。しかしここ数年は、ときどき映らなくなることもしばしば。でも、そんな時は画面を「バシッ」と一発叩けばちゃんと映るので、あまり気にしていなかった。それにどうせなら、完全にだめになるまでとことん使って、テレビ生命をまっとうさせてやろうと思っていたのだった。
そんなテレビであったが、ここのところ、画面を叩く「バシバシ度」がかなりあがってきていた。かるーく、ちょんと叩くだけで元に戻ることもまれにあるが、電源を入れた時点から画面が真っ暗だったり、一本線しか見えないこともしばしば。
この間はレンタルビデオを観ている最中に何度もそうなってしまうので、「あーもう!」という感じでイライラ。何度も何度も何度も何度も、画面を叩き続けてみるがなかなか元に戻らない。そのうち手がじんじんしびれてきてしまったよ。ようやく騙し騙しビデオを見終わったが、やれやれって感じで。
この時は深夜じゃなかったけれど、深夜にバンバンテレビを叩きつづけていたら、近所にも音が響いて迷惑だろう。何より、テレビを観るのに疲れる。
そこでいよいよ買い替えを決心。レンタルビデオを返しに行ったその足で、電気屋を回る。ほんとうは、買い替えるなら液晶テレビにしたかったけど、まだまだお高い。手ごろな値段のテレビを購入。日曜に届けてもらうこととなった。
その夜、我が家のテレビは特に問題なく、叩く必要がなかった。こういうことの繰り返しで、これまで買い替えが延び延びになっていたのだよねえ。でも数日後、確実に君とはお別れ……。いっぱい叩いてごめんね、って感じ。
そのあとちょっと考えたのは、「叩く」ということは、相手だけでなく叩く側にも痛みを伴うということだ。心理的にというのもあるけれど、肉体的に。昔の子供たちはよくケンカもしたけど、そのぶん相手の痛みの何十分の一かは、その痛みを自分でも感じられたのじゃないかな。そうやって“手加減”というのを覚えていった。
自分に返ってくる痛み。テレビを叩き続けてじんじんしびれた手のひらを思い出し、そんなことを思った。
(7/18 PM12:50Up dated)
台風である。2週続けてって、いつもこんなに関東に台風来てたかな。しかしこんな日に限って大事な打ち合わせがあるので、出かけなければ。
更新をさぼっていたこの2週間、寝る間をおしむほど仕事が押していたわけではないのだが、「この仕事が終わったら次はこれ」「そして打ち合わせも」というように、途切れなくやるべきことがありまして。外出も多かったし。ここのところ、まったりした仕事ペースに体が慣れてしまっていたので、気持ちがホームページ更新にまでまわらず失礼をば。
部屋でのパソコン仕事も暑くていけない(エアコンが苦手な私でも、さすがに1日中こもっているときはエアコンつけるけど)。昼間から暑い部屋にこもっていると、窓から覗く夏の日差しが外へと私を誘う。夏が呼んでいる。もちろん仕事逃避の言い訳ですけれど。昨日みたいにせっぱつまっていれば起きてすぐパソコンに向かい、夕方まで一歩も外にでないってこともあるけれど、夏の室内仕事は涼しい夜にずれ込みがち。そして、せめてもの運動不足解消にと近所に出かけてみれば、あちこちで開催中のバーゲンが目を引く。普段からあまり高い服を買わない私であるが、安いものには弱い。かくして、気に入ったデザインのTシャツなんかを見つけると、ついつい買ってしまうのだった。昨日もノースリーブを3枚。週末、GAPのバーゲンではヒップハングのブルージーンが1900円。それをレジに持っていったら、さらに35%引きだった。やすっ。
そんなふうに仕事とご近所散策に明け暮れていた今日この頃。
土曜は、私のリンク集に入っているタカモリさんが所属するバンドのライブを見に行ってみたり、ちょっと息抜きデー。日曜は、本日(16日)プレゼンに向けての書類づくりをせっせとしていた。しかしこの仕事、私のスケジュールとの折り合いもあるけど、打ち合わせをしてからのその後の進行がタイト。最初の打ち合わせが1週間前、内容が固まったのが先日の金曜夕方だからね。ふう。
日曜、本腰を入れだしたのがやはり夜になってしまったので、深夜までパソコンに向かっていた。中古屋さんで入手した、ピーター・ガブリエルのCD『SHAKING THE TREE/グレイティスト・ヒット』などをリピートでかけながら。ピーター・ガブリエルの音楽は、仕事の気分にちょうどいい音である。そんな日曜の深夜(日付は月曜ね)。起きている夜は普段、エアコンをつけずに窓を網戸にしている。多少不用心だが、1階ではないのでまあいいか、と思いつつ。その日もそうだった。すると2時30分ごろだったろうか、窓の外から妙な叫びのようなものが断続的に聞えてきた。最近、ときどきノラ猫のさかりの声が聞えてくるので、今回もそれかと思った。でも、よく聴くとそのニュアンスとはちょっと違った。「ヒィー、ヒィー」と、泣いているような叫んでいるような、たぶん女性の声なのだ。距離感的に、すぐ近くではなく、うちから数百メートルといった感じだ。隣りの病院やマンションの駐車場あたりからかと思い、窓の外を覗いてみるが、暗くてわからない。でも、室内ではなく外からという気がする。やがて叫び声に「たすけてー」という声が混じった。いよいよこれはただごとではなさそうだ。思わず110番に電話する。しかし話し中。しばらくしてまたかけるが、また話し中。私と同じように今通報している人が何人かいるのかもしれない。それともそんなに深夜の通報は多いのか。やがて叫び声は途絶えてしまった。気になってその後しばらく仕事が手に付かず。
事件じゃないといいのだけれど……。数日後回ってきた回覧板に警察署からの広報チラシがあって、行方不明者の情報提供ダイヤルや、この頃管轄地域でチカンが多数発生しているなどの情報があった。「夏だからといって露出の多い服装は控えましょう」と書いてあった。確かに下着みたいな格好で歩いている若い子多いよ。私はここ10年以上、髪がショートでズボン派だからかめっきりチカンなどとは無縁だけれど、夏、たまに短めのスカートはいてコンサートなどに出かけた帰りの深夜、若者やヤンキー風の車がうしろからひやかしてくることがあった。あくまでも、うしろから、ってことがポイントだけどね(笑)。
一応女性である皆様、お気をつけください。
(7/16 12:00Up dated/台風の中、これから出かけます)