巻第十八 平成十四年 六月

※初めての方は一番下からお読みいただくと、日付の順に見られます。


■雨週間(6/28)

 週末、久しぶりに晴れる。それにしても今週は寒い日が多く、長袖でないと肌寒い日々が続いていた。まあ梅雨だからね。でも、これが過ぎればきっとすぐ夏の日差しだ。あまり忙しくない一週間、飲んだりビデオ借りて観てばかりのダメダメな日々。よってまとめてアップ。

◎雨の中でも鳥は鳴く/音楽のリンクをたどる(6/27)

 ここ数日のぐうたらな生活サイクルがたたり、前日というか日付が変わってから深夜にベッドに入るが寝付けず。午前中に仕事で出かけねばならないので一睡もしないのはつらい。とりあえず寝なければとあせるが、なかなか寝られない。ふと気づくともう5時。ああでも少しは寝なければとさらに思っていると、雨が降る音が聞こえてきた。その音に混じって、鳥の鳴き声も同時にしていることに気づき、耳を澄ます。そうか、鳥は雨が降っても朝が来るたび鳴いていいるのか、と思う。鳥が朝鳴いてどんなことを互いに伝え合っているのかな、などということを考えているうち、いつのまにか眠りについていた。

 数時間後に飛び起き、仕事へ行く。雨の日の仕事は気分的にひっそりしたもの。心静かに淡々と仕事をこなす。あまり寝ていないので眠くなるかと思ったが、そうでもなかった。2時間ちょっとで深く熟睡できたようだ。

 帰りにタワーレコードに寄り、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のサントラを買う。最初は映画版を買うつもりだったのだが、アメリカでのミュージカル版を見つけ、そちらを買った。このページを遡ってお読みの方は、下の方で私が書いた映画の感想をにたどりつくかと思いますが、そう、その映画を私はとてもとても楽しく見たのであります。渋谷での上映がもう終わると思っていたら今度は新宿でまた始まるそうな。あの界隈だと本物のゲイの方々けっこう観に来そうだよね。ああ、また観に行ってもいいな。渋谷では「カラオケ・ナイト」という企画日があったようだけど、新宿でもあるのかな。コスプレした人達が集まるらしい。もしあれば、怖いもの見たさで、行ってみたい気もする。

 書籍コーナーでプログレッシブ・ロックの本を見つけ、ちょっと立ち読み(ちょっとのつもりがそのまま1時間ぐらい)。プログレッシブ・ロックのことってよく知らないのだが、このあいだ観た、『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』以来、少しそのジャンルへの理解を深めようという気になって。いつも私は音楽を「好き・嫌い」といった感覚で捉え、聴くので、あまりうんちくやその背景を重視していない。でも好きになりだすとやはりその背景は気になるものである。プログレってどんなものかいとその本を読んでみて、ジャズやクラシックなどの要素を取り入れたものであると初めて知る。もちろんそれだけのものではないのでしょうけれど。でも、それで私の好みに合っていた理由がわかった。いつも感覚で捉えているので、自分の好みというものの系統をあまり気にしたことはなかったけれど、いろんなレビューなどで好きなミュージシャンの音楽を評したり解説しているのを読んでみると、それらがソウルやジャズ的な要素を含んでいることがかなり多いのだった。

 ということは、そういう点からいうと、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の音楽を私が好きということは、それらの楽曲に影響を与えたと解説されていたルー・リードやイギー・ポップ、デヴィッド・ボウイといったミュージシャンの音楽も私は好きになれるのだろうか。ジャンルでいうとこれらはグラムロック? あまりそれらを聴いたことがないので今はなんとも言えないけれど。

 そうやって好きな音楽のルーツミュージックをたどっていく音楽の聴き方もまた楽しい。そうやって音楽を聴いてきた人って結構いるのではないかな。若いうちにあまりそういう聴き方をしてこなかったもので、私は今更ながらそんなことをやっている。同時代で聴く共感度はそれはそれでまたいいけれどね。昔の音楽を聴いて、我ながら今更、と思ったりするが、いい音楽はいつになってもすたれない。あまり聴いてこなかったけど、たぶん自分が好きそうな匂いがするのは、YESやニルヴァーナ。

 ヘドウィグのサントラ、それから繰り返して聴いているけれど、やっぱりいい。特に『アングリー・インチ』のパンチのあるロック感。

◎雨の夜、種を蒔く(6/26)

 雨降り、ぐうたらな1日。夜、近所へ出かけたついでに、夕闇にまぎれ、「フラワーゲリラ作戦」遂行。朝顔の種を、駅前の広場の植え込みのあちこちに、こっそりばらまく。本当は土を浅く掘って種を蒔くのがベストだが、いちいち穴を掘っていると怪しまれそうなので、蒔くのみ。雨がいい具合に土の堅さをほぐし、種を土中に沈めるよう願う。咲くかな、朝顔。引っこ抜かれないといいのだけれど。
 自分の家の朝顔は、すでに芽が出て双葉となり、雨を受けてすくすく成長中。去年朝顔市で買ってきた「るこうそう」も。こちらの芽は針のように細く、コスモスの葉のようだ。夏が楽しみ。

◎雨の長い一日(6/25)

 午前中にアポイントがあって、出かける前にメールチェックをしてあせる。3月に『サーチエンジン・システム・クラッシュ・ツアー』というイベントのようなものがあって、そこで知り合った人たちと改めて飲みましょうというお誘いを少し前に受けていたのだが、それが本日ではどうでしょうという。正確にいうと前日夕方お伺いされていたのだが、前日はメールを見ないまま寝てしまっていたのだった。出かける前のあたふたの中、ひとまず「夜は空いているので大丈夫です」と返信。ふう。

 仕事の用件は昼頃済む。飲み会に備えていったん帰ろうと考えたが、それも面倒なので、外で時間をつぶす。まずは昼食後、日頃の運動不足を解消するべく、外苑前から赤坂見附まで歩く。

 そのあと新宿へ向かい、このごろ気になる林檎様を見に行く。林檎、といってもリンゴ・スターでもなく、椎名林檎(まあ好きだけど)のことでもない。アップルコンピューターのことである。もともと林檎派なのだけれど、なかなか軽量のノートパソコンが出ないのに業をにやしてウインドウズのノートに浮気していた。しかしなあ、私が買ってしばらくしてから白い軽量iBookが発売されて、くやしいったらない。加えてウインドウズのセキュリティ対策で先月、四苦八苦してから、ますます林檎寝返りの気持ちは高まった。それに、今年4年分の確定申告をしたら過去に払った税金・健康保険が調整され、過誤納金がもうすぐ還付されてくる。もともとは自分のお金とはいえ、1回すでに払ったものなので、なかったものとして考えれば思いもかけぬ臨時収入。そのお金と、バイオの下取り金額で、iBookへの買い替えを計画中である。ほんとうは大福みたいなiMacも、液晶画面つきでG4も欲しいのだけれど、そんなにいっぺんに買えないし。ひとまずはDVDが見られるタイプのiBookかな。しばらくマックの世界から遠ざかっていたので、それぞれの機種をいじりながら下調べに売り場をうろうろ。見ているとますます欲しくなる。うう。

 夕方、さらなる時間つぶしに、先週から新宿で開催しているMUGICOの夫の写真展会場へまた立ち寄る。一度見たあと再び訪れると、やはり自分が好きな写真の前に足が引き寄せられてしまう。顔にご飯つぶをいっぱいくっつけて、にかっと笑っている子どもの写真が私は一番好き。以前仕事でお会いした人が来ていて、MUGICOとともにしばしお話。

 しとしとと一日雨は降り続く。夜、待ち合わせの場所へ。お会いした3人のうち、Nさんを除くと、他のお二方は3カ月前にちらっとお見かけしたものの、ちゃんと会って話をするのは初めて。やや緊張するも、飲んでいるうちそれもほぐれていき、楽しい夜だった。詳しくはお声をかけてくれた高森さんの6月25日の日記にあるので、私は省略(手抜き)。しかしあれですね、人のサイトに自分のことが書かれるというのは、妙にこそばゆい感じ。みなさんと別れての帰り道、そういえばこの日のことは、毎日の日記更新を欠かさない高森さんの日記に書かれる可能性があるであろうことに気付く。話したあんなことやこんなことやそんなこと(?)も書かれるのではと、あとで更新を見るまでドキドキしていたが、そんなに大したこと書いてなかったのでよかった。

 帰りの電車で立って本を読んでいたが、酔っ払って体を揺らすおやっさんが私の肩にぼこぼこ何度も当たってくるので気が散って集中できず。しばらくしておやっさんが移動したので、ほっとして読書に専念。はっと気付くと、降りるべき駅を4つばかり過ぎていた。あわてて降り、逆のホームへ。よかった、まだ上り電車がある時間で。以前、一駅乗り過ごして、終電が行ってしまったあとでタクシーもいない駅から、ほろ酔いのままふらふらと歩き勘で道をたどり帰ったことがあるが、ちと怖かった。

 たくさん歩き、いろいろな人と会った、長い一日。久しぶりに充実した一日だった。

(6/29Up dated)


■マイ・ベスト・ロック・シネマ/
映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
(6/23)

 もー、これは私にとってのナンバー・ワンのロック映画である。出だしからもうすでにノックアウトされてしまった。手の内を徐々に見せていくまどろっこしいやり方ではなく、最初からストレートにヘドウィグの強烈なキャラクター、そして魅力的なロックサウンドを見せ付けてくれるのだ。そこからあとはもう一気に、この映画の独自な世界へと引き込まれてしまう。

 迫力のボーカル、演奏、同時に粋なタイトルバックのあとには、映画のタイトルである『ヘドウィグと怒りの1インチ』の意味が徐々に明かされていく。東ベルリンで生まれたハンセルという少年が、女装のロックミュージシャン、ヘドウィグとなるまで。ロック歌手、トミーのあとを追ってドサ周り的に小さなツアーを重ねるわけ。エピソードのひとつひとつ、そしてそこに重なる音楽が、ときにはユーモアにまたせつなさに満ち、胸を打つ。

 何よりも私の心を捉えたのは、サウンドのすばらしさ。ボーカル、歌詞、曲、そしてバンドのキャラクターなどのすべてにくらくらまいってしまう。からだも自然とリズムに乗り、小刻みに動き出してしまう。どれもオリジナルだというのがまたすばらしい。ロックってもともと、憤りやもどかしさといった感情の爆発、吐露から生み出されるものであったであろうに、そうしたスピリッツをヒリヒリと感じる音楽、最近はあんまりなかったような気がする。けれどここで聴いた音楽はどれも、込められた感情の喜怒哀楽に、こちらまでハートがヒリヒリくるぐらい、ぐっとくるものだった。普通に音楽だけ聴くときと違い、映画としてヘドゥイグの生き様も同時に見せられていたという面もあるだろう。でもそれだけではない。好き嫌いでいったら間違いなく好きな音楽なのだが、そうした個人的な主観を抜きにしても、この映画で披露されるサウンドの質はすばらしいものであると思うのだ。

 もともとこの映画は、監督・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルが同じく主役をはったブロードウェイのロックミュージカルだったというが、それ、観てみたかったな。映画では大人しく座ってみんな観ていたけれど、舞台のほうはそれはもうみなさん大騒ぎだったであろう。あとでパンフで読んだことによると、マドンナやデヴィット・ボウイといったミュージシャンも公演に熱狂し、ブロードウェイに足しげく通っていたらしい。マドンナは『ウィッグ・イン・ア・ボックス』の歌を気に入り、その権利使用の申し入れをしたらしいが、すでにオリジナルのCD化が決まっていたために駄目だったらしい。あれは確かにマドンナが好みそうな、そしてまた歌ったら似合いそうなポップな歌だ。ウィッグをかぶって、化粧をして、「ヘドゥイグ」に変身するハンセルの心境がユーモアたっぷりに歌い上げられる。実は私もウィッグを持っているのでその気持ちは妙にわかる。私はここ10数年というものずっとショートヘアなのだが、ウィッグをつけると我ながら驚くほどイメージが変わり、愉快な気持ちになる(最近やっていないけれど)。知人の結婚式につけていったら、挨拶しても相手が私だとわからなかったことも。そんなことするより髪を伸ばしなさい、としょっちゅう言われているのだけれど、ほんの数分で変身するわくわく感は、経験したことのある人にしかわからないであろう。このように、この映画の中には、熱くせつないロックと同時に、そうしたポップで愉快な歌もあり、楽しさを添えている。

 そして、ストーリーやテーマ、演出もすばらしい! サウンド全体の根底に流れるロックスピリッツとせつなさとピッタリ合った展開を繰り広げる。プラトンの「饗宴」を下敷きに作られた『愛の起源』の歌詞にある、「人間は、引き裂かれた自分の半身であるカタワレを探して愛を求める」という話は、これまでにもいろいろな場で聞いてきたので、ありふれていると思ったものの、ヘドゥイグの物語として、歌として聴くと、とても切実で哀切感が伴い、心に響く。この歌そのものが映画の中核をなすテーマとして、繰り返し流れる。映画のラストは少々抽象的な表現に向かって進んでいくが、半身探しの旅から解放され、ヘドウィグから自分自身に戻ったハンセルの後姿は、これまたせつなくぐっとくるものだった。

 ヘドゥイグを演じたジョン・キャメロン・ミッチェルがゲイであるとか、その元パートナーが曲全般を作り(すごい才能!)また作中にも出演しているとか、男性を演じている人物の一人が実は女性である(ちなみに私はこのこと知らずに見ていたけれど、途中でわかった)とか、そうした裏話にも事欠かないが、この映画はなにもそういったゴシップネタで盛り上がった類のものではない、と思う。映画としての質は極めて高い。見かけはキワモノっぽく見えるかもしれないけれど、骨太でありながら繊細で、とてもとてもいい映画だ。ちょっと褒めすぎ?

(6/29Up dated)


■複眼の旅/別腹はデザートかラーメンか(6/20)

 友人・MUGICOのダンナ様の写真展が20日から新宿のギャラリーで行なわれている。その初日、ご近所友だちのOと、雨の中訪れた。新宿駅から歩いたのだが、三丁目、二丁目を越えてかなり歩くので、本当にこのあたりでいいのか途中でちょっと不安になってしまった。御苑の駅からならすぐ近くなので、歩くのが嫌いな方は新宿御苑駅から行くことをお勧め。

 写真展のタイトルは、『民』。MUGICO夫婦の過去の旅でご主人が撮りためた写真のうち、インドシナ半島の生活者たちに絞って選んだ写真を展示しているとのこと。それらの写真51点のひとつひとつに、MUGICOがフォトエッセイを添えている。この用意も大変だったろうなあ。夫婦いわく、写真とエッセイは別物としてご覧くださいとのこと。確かにMUGICOのエッセイは写真を説明するキャプションではなく、ときに写真とはまったく無関係の次元に飛び、別の思いを表現している。夫婦で同じ場所を訪れ、同じ物を見たり同じ人と向かい合っても、感じる思いはそれぞれのもの。でも、それぞれの思いを違う表現方法で表わせるのって、いいなあと感じた。2人の間には言葉として示された以外の共感もあったであろうし、異なる思いもあったであろう。旅を振り返ったとき、2人で過ごした旅は1人の視点で見てきた旅よりも複眼的なものとなり、思い出に膨らみが生まれるような気がする。

 ラオス、ミャンマー、ベトナムなどの国々のインドシナの「民」たちの写真のうち、とくに印象的だったのは子供たちの目。笑顔でも、そうでなくても、いずれも彼らの目には力がある。それは生命力、という言葉にも置き換えられる気がする。

 MUGICOのエッセイでは、とくに次の2つの内容が心に残った。「日本ではお金がなくて学校に行けない子はいないのか?」と聞かれ、お金があっても学校に行かない子がいることを、うまく相手に伝えられなかったというエピソード。それと、訪れた村の女の子たちが2人にずっとついて来て、どこまでついてくるのだろうと思っていると、それは村の境界までで、彼女は「越えられない境界」のようなものを感じた、ということ。旅をすることは人と出会い、そこで考えたり感じたりすることだなあと今更ながら思う。

 これまで彼女から受けてきた旅の報告は楽しいエピソードに満ちていたけれど、それだけではない、別な思いをそれらのエッセイに感じた。旅の楽しい部分は、ギャラリーの休憩所に置かれている彼女のスケッチブックに残されているので、これから訪れる方はそちらもどうぞ忘れずご覧ください。

 夕方、「秘境女の会」のメンバーが数名顔をそろえる。まさみマリアンとはたまに会っていたけれど、リンムーとはもしかして1年以上会っていなかったかも。リンムーは昨年夏に行ったケニアの写真を持ってきたというので、ギャラリーが閉まったあとにみんなで夕食を取った席で、見せてもらう。MUGICOのご主人の友人だというカメラマンさん2人とむろんご主人もいっしょ。うわさの救急車タクシー、草むらの陰の動物たち、アフリカンアートを描く人たちの絵などなどの写真を見ながら、あーでもないこーでもないと語る私たち。プロカメラマンの前なので、リンムーとしては自分の写真を出すのは気が引けたようで、主に女性たち側だけで見ていた。私たちにしてみればいつもどおり写真を見てはそれぞれに疑問や感想をあれこれ言っていただけなのであるが、初対面のカメラマンお2人にとっては圧倒される勢いだったようである。女3人寄ればかしましい、ってね。すでに4人だったし。あとから、翌日引っ越してしまうkumiも合流し、かしましパワーさらにアップ。

 ばんばん中華料理を注文し、女性陣は写真を見つつ料理ももりもり食べる。私もこの日はダイエット宣言を取り下げる。たぶん女性陣は男性陣よりも食べていたのでは。もうお開きという頃、最初のほうに取り分けた、海老とグリーンピースの炒め物を、カメラマンさん2人が残しているのを発見。男の人にグリーンピースが嫌いな人が多いような気がするのは気のせいだろうか。一粒一粒食べるのが面倒なのだろうか。子供みたい。女性のほうがパワーがあるっていうの、食に対するこういう面からも読み取れるような。

 男性陣は料理はさほど食べていなかったのにその後、熊本の桂花ラーメンが食べたいと、新宿駅へ向かっていた。私たち女性陣は中華料理店で杏仁豆腐のデザートで締めていたので、とてもラーメンまでは「腹」が回らず。男と女では料理の締め方、別腹のあり方も異なるようだ。ものの見方、考え方も少々異なるように、胃袋のあり方も違うのかなあ。

 そんな異性がともに旅をすれば、ほんと、同じ場所を見ていてもそれぞれの五感を通したあとアウトプットされる旅の思い出は、きっと少し視点がずれていて、複眼的なんだろうな。

(6/22up dated)


■物語る音楽・映画『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(6/19)

◎前振りとして『スパイダーマン』

 水曜割引の水曜日、2本映画を観に。1本目は『スパイダーマン』。最初は、もうすぐ終了になる『メメント』を観ようと思っていたのだけれど、もうビデオ化されているし、たぶんあの映画は何度か巻き戻して観たくなるだろうと踏んで、ビデオで観ることにした。で、急きょ『スパイダーマン』。くだらなさそうで、最初はあんまり観る気しなかったのだけれど、この手の映画はスクリーンで観たほうが楽しめそうなので。いやいや、予想通りくだらない映画だったけど、なんでみんな笑ってなかったのかな〜。ウイレム・デフォーのゴブリンなんてすっかりマンガ的で笑えるのに……。もともとコミックだからでしょうけれど。巨費を投入しているであろうにB 級映画のつくり。でも、いい意味でのくだらなさ。

 最初に「これはヒーローの話なんかじゃない、1人の女の子のための物語」みたいなモノローグがあった意味、見終わって納得。サム・ライミ監督、ヒーローもヒロインもかっこよく映さず、あえてはずした線を描くことを狙っていたんだろうなあ。普通のアクションヒーローものとはそのあたりちょっと違いがあったような。決して美人ではない女の子をずっと思い続ける主人公(スパイダーマンね)は、彼女にいつも自信を与え、支えてくれていた……確かに世の女性の味方だよね、そんな人って。これ、男性より女性受けする映画なのではないかな。

◎本題・『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』

 そして2本目は、『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』。ピンク・フロイドのアルバムは「原子心母」一枚しか持っていないし、しかも数年前に買ったので彼らについての知識はあまりないのだけれど、そのアルバムからはロックを超えた荘厳な音楽性を感じた。去年だったか、DVDでこの映画が発売されたとき、ぜひ観たかったのだけれど、DVDが観られる環境ではなかったので見送ったのだった。それに、音楽を扱ったこういう映画はスクリーンで、映画館で観るほうがいいに決まっている。

 しかし渋谷の映画館で、しかもレイトショーのみのこの映画、客の入りはいまひとつ。席はぱらぱらとしか埋まっていない。意外に、1人で来ている女性、若い男性もいる。近くの席の20〜30代カップルは、上映開始までピンク・フロイドの音楽について語り合っていた。たぶんあのときの客のなかでは、私が一番知識なかったかも。

 でもこの映画、見終わってから思うに、「感じる」ものであったろうから、そんな知識はたぶん関係ないだろう。明確なストーリーも時間の観念もなく、自在に舞台は変化していく。時折挟まれる、抽象的だが暗示性に満ちたアニメーションも秀逸で、20年前に作られたという感じはしない。実写とアニメーションをクロスオーバーするそうした手法は今ではそう目新しくはないし、映画によっては急な変換にときに違和感を感じる場合もあるが、この映画にそうした感覚を持たなかったのは、ひとえに全編に流れる音楽があればこそ。歌が映像をつなげ、さらにその意味を深め、観る者の意識に広がりを持たせる。イメージと音楽の間の心地よい振幅、音楽や詞の背景にあったであろうミュージシャンの心象や生い立ちをくみ取りながら、音楽と映像の流れに身を任せ、耳を傾け、そして観ていた。

 「壁」という言葉が繰り返し使われる歌詞の背景、ピンク(ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズがモデルであろう)の心と意識に張り巡らされた壁の意味、彼の深層にあるものなどにさまざまに思いを巡らしながら。上映時間の95分間は、サイケデリックで陶酔的な時間だった。公開当時の彼らの音楽をリアルタイムで見聞きしていたら、その陶酔はより魅惑的なものだったろうな。

(6/22Up dated) 


■Change the world(6/16)

 ふと気づけば、2002年も折り返し地点。ここ数年、仕事環境・生活環境・友人づきあいなど全般において、あまり変わりばえがない。

 変化は待つものではなく、自ら作るもの。そう意識しているわけではないが、そういう思いが深層心理にあるのか、このごろの私は変化を求めているようだ。先日買ったジャンボ宝くじが、1億当選と一桁違いでかつ組違いだったというのも、おしいものの幸先が良さそうな気がしないでもない。これまでの私の経験からいうと、そんなふうに宝くじでおしいことがあったときは、その先になにかしらのツキのようなものがあるのだ。

 まずは生活環境の変化から試みる。日曜、パソコンラックと椅子が届く(配送のお兄さんが、おすぎみたいな口調でちょっと楽しかった)。先月首・肩が痛くなったのを考慮し、仕事環境を見直すことにしたのである。これまで、マウスを使う右手が宙に浮くような姿勢で使い続けていたのが右手に負担をかけていたように思ったので、椅子は肘掛け付きにした。背もたれが肩のところまであるもので、高さも変えられる。

 しかし大変なのは組み立て。ラックは当然としても、椅子も組み立てなのだ。買うときに組み立てだと聞いて驚いたが、まあ、確かにそのまま配送するとえらく大きな箱になってしまうものね。いったん以前使っていたラックまわりを整理し、バラし、室外に運ぶ。次に新しいラックの組み立て。前後・左右をよく確かめつつ組み立てないと、最後の最後でやり直しになるので、よーく注意しながら組み立ててゆく。前より少々コンパクトなラックは、すっきり部屋の隅に収まった。

 さて次は椅子。これがねー、よくあるクッションシートのオフィスチェア子みたいな感じだから、パーツそれぞれがけっこう重たい。ひざでパーツを支えたりしながら、パーツを合わせ、ネジを締めてゆく。ネジのゆるみであとで壊れても困るのでひとつひとつよく締めていく。

 梅雨の午後、部屋で汗をかきかきそれらの作業。ふう。組み立て後、椅子に座ってみる。おー、いい感じ。部屋の家具の位置もあれこれ置き換えてみる。前よりずいぶんすっきりした。ほっと一息つくともう夜であった。

 その日初めて外に出て、ちょこっと買い物してカフェでコーヒー。そこから友人・ヒロに「今日荷物届けに来たおにいさんがおすぎみたいだったよ」とケイタイメールを打つ。誰かにこのおかしさを伝えたかったので……。

 ところでそのヒロといえば、半年でなんと6キロやせたそうである。今年の初めから、「納豆菌」なる健康食品を飲んでいるらしいのだが、どうやらその効果がめきめき出てきているようだ。運動嫌いのヒロが、「このままではもうヤバイ」と思いチャレンジしたダイエットらしいが、それを飲む以外はあまり何もしていないらしいのである。なのに確実にやせてきている。漢方なども含まれているようで、体の基礎代謝を上げる効果もあるようだ。ヒロとは1カ月に1、2回会う程度だが、そういえば見るたびに前よりすっきりした体型になっている感じ。よーく聞いてみると、前よりお腹いっぱい食べなくても満足するようになったらしいから、それが大きいね。あと、おやつもやめたらしいし。おやつを食べてやせようなんて、甘いことこの上ないのだ。

 やせたヒロに対して、5、6年前に比べると、×キロ体重が増えたわたくし。先日、健康診断で体重を量って、思いのほか増えていたのでびっくりした。マズイ。ジーパンなどがきつくなってきていたのは自覚していたけれど。これでは、過去一番太っていた中学生時代に近づいてしまう。

 土曜にヒロと飲んでいたとき、にわかに私もダイエットを決意。「私にも納豆菌売って〜〜〜」と頼む。ヒロのもと同僚が現在働いている、健康雑誌の出版社から安くまわしてもらえるというのだ。それでもけっこうお高い。だが、追加を買ったばかりだから、次の機会だともう少し先になりそうとか。

 仕方がない、自力で頑張ろう。まずは酒量を減らす。そして運動もこまめにする。仕事で夕食が深夜にずれこむこともままあるが、それもなるべくしないようにしよう。頑張る。目指せ、×キロマイナス。

 見た目のためだけでなく、健康面からいっても、運動はしたほうが体のためだろうし。ここ数年、室内で仕事に追われているパターンが多かったから、かなりの運動不足。歩く機会が確実に減っている。先週、ナンシー関さんが亡くなって驚いたが、彼女も室内にいること多そうな仕事振りだったから……心臓とか弱っていたのかもしれない。お酒が大好きだったようだし。

 誰にとっても、明日は永遠ではないことを改めて考えた。親の死のときもそう感じ、自分にそのときが来たとき思い残すことのない生き方、人との接し方をしていこうと思ったが、この頃また忘れかけていた。また今度ね、と別れたきり二度と会えなくなってしまう相手もいる。

 同じ一日は二度とないことを忘れずに、昨日と違う今日を送っていこう、と思う。

(6/17Up dated)


■サッカー音痴もW杯を見る昨今

◎明るいうちからビールとサッカー(6/14)

 金曜午後、新しく仕事をさせていただけるかもしれない青山の会社で打ち合わせ。というか、面談。友人・せいか特派員も同行していた。帰りにお茶をしていかないかと、同行していたもう1人の知人とせいかに声をかけてみたが、2人ともサッカーのチュニジア戦が気になるらしい。知人は家で観るために帰るということで、すぐお別れ。せいかは千駄ヶ谷の競技場に行ってみて、もし入れたらそこで観たいという。私はビデオをセットしてきたのだが、せいかの「録画で観てどうするの!生で観ないと」とのお誘いで、一緒に行ってみることにする。

 外苑前から千駄ヶ谷まで2人で歩く。競技場に近づくと、青いユニフォームを着たサポーターたちが場内で歓声をあげている様子が見えてきた。平日だからあんまり人はいないと思っていたが、相当いそうだ。「やっぱり馬鹿がいっぱいいたよー」と笑う、せいか。

 予約券がないと競技場には入れないようだったので、来る途中にあった、中継をしていたレストランで観ようと、来た道を戻る。

 大きなスクリーンで試合を放映しているそのレストランにも、青のユニフォームを来たお馬鹿がたくさん。アフロのカツラの男もいる。仕事を抜けてきたらしきスーツ姿の男性もいる。女性もけっこういる。まだ外は明るいのに、店内は薄暗く、酒を飲んでいる者であふれている。くらくら。これから私たちもその仲間入り。店に入ったのはちょうどハーフタイムのとき。席がほぼ満席で、立ち見になりそうなので、食べ放題・飲み放題3000円のところ2000円にしてくれた。

 ハーフタイム中に料理や飲み物を取りに来る人がわやわやいたので、私たちも負けじと加わる。なんとか座れる席もキープ。2000円のもとを取ろうと、ビールをぐびぐび。せいかも私も酒がイケルほうなので、困ったものである。まだ4時半だというのに、7時ごろにはできあがってしまいそう。

 アフロのカツラ男のおかげでスクリーンがあまりよく見えなく、椅子の上に立ち上がって、ビール立ち飲み。あら、はしたない。でも、まわりもそんなお馬鹿ばかりだから気にしないーっと。

 日本のシュートが決まったときは、店内大騒ぎ。歌い、踊る。私とせいかもともに便乗。
 また、まさかの勝利。すごいね。サッカー一色の感のある、昨今の日本である。

◎映画『少林サッカー』をリスペクト!(6/12)

 週の前半はせっせとお仕事。自宅ではなく、定期的に通っている神田の会社での仕事である。火曜は夜11時近くまで業務、翌日水曜も9時はまわる見込みで仕事をしていた。ところが、予想より早く終わってしまったのだった。

 拍子抜けして、帰り際にカフェでお茶を飲み休憩。新聞の映画欄を見ていて、本日が水曜割引デーであることに気づく。すでに7時過ぎだったが、その時間から見られる映画があれば観ようかなー、と探してみる。ほとんどはすでに最終上映時間を過ぎていた。観ようと思える映画の中で唯一観られる時間帯だったのが『少林サッカー』。以前、深夜のテレビ番組で予告編を見てから、おもしろそうだと思っていたこともあり、これに決定。

 そしてやってきた池袋サンシャイン通りの映画館でのレイトショー。40分ぐらい前なのにすでに大行列。座れなかったら辛いなと思ったけれど、せっかく来たのだからと待つ。なんとか座れたのでよかった。

 前評判で、上映中の観客に相当ウケがいいらしいと聞いていたが、観て、なるほど。笑える笑える。そして、じーんとするシーンも。

 あちこちで絶賛されているようなので、内容については多くを語りますまい。ぜひご自分の目で確かめていただきたい! しかし、なんというのでしょう、あんなにインパクトがあって、笑えて、かつしんみりした映画は『ムトゥ踊るマハラジャ』以来。それに加えてスピード感もプラス。アニメのスポ根ものに近い感覚なのだけど、単にそれだけではなく、他の映画のパロディや大人の人生の悲哀、ロマンスなんかも盛り込まれ、子供から大人まで十分に楽しめるもの。大人と子供の見方はまたきっと違うのだろうな。笑いとペーソスあふれる映画です。私みたいにサッカーのルールをよく知らなくても、全然オッケーなサッカー映画。というか、そもそもこの映画の中でルールは活かされているのか?(笑) それはまあともかく、勇気をもらえる映画です。

 その夜、さっそく『少林サッカー公式ホームページ』の「ネタバレOK掲示板」をのぞいてみると、数回観ているリピーターが非常に多くて驚く。リピーター割引とかあったら、私もまた観に行ってもいいな。

◎それぞれの国の誇り(6/10)

 W杯で日本に負けたロシアで、日本料理店や日本人に対しての暴動が起こったという。なめてかかっていた日本に負け、プライドが傷ついたのであろう。過去にも各国でサッカーの勝敗次第で死者がでたり、暗殺まであったりするというから、恐ろしい。

 日本人はそこまでサッカーに入れ込んでいる人はあまりいないはず。日本人自身が、日本代表にあまり大きな期待をかけていなかった面もあるのではという気もする。逆に、思いのほか善戦しているので見直したという人が多そうだ。

 W杯にさほど入れ込んでいない私は、世間の基準でいうと非国民。それでも、日本代表たちの頑張りぶりはうれしい。かといって、この先日本を負かす国が出てきたとしても、相手国を恨むまでの思い込みはない。

 ロシアの暴動や、予選敗退の責任をとっての監督辞任や、そんなニュースを見聞きしていると、代表選手たちは文字通り「国」を代表しているのであろうという、ことの重大さに驚く。まるで国と国の戦争だ。しかし、サッカーは単にサッカーであり、代表選手たちは国民の代表ではなく、それぞれの国のサッカーの精鋭の代表なのだ。理性ではそうわかっていても熱くなる男たちはあとを絶たない。いい意味で考えれば自国に誇りを持っているのかもしれないが、負けたからといって相手国を恨むというのは、相手に対する驕りや蔑みの感情が根底にあるからではないだろうか。

 サッカーはスポーツであり、戦いではないのに。スポーツマンシップは、フィールドの中にしか存在しないのだとしたら、それはちょっと哀しい。

◎彼らからもらうパワー(6/9Night)

 9日のロシア戦は、私もテレビで見た。W杯が始まってから、初めてまっとうに(といっても前半戦の終わりぐらいから)見た。サッカーファンでもないし日本びいきでもなく、ルールもろくに知らず、他国のユニフォームの色の前知識も全然ない(だから日本以外の試合では、どっちがどっちかよくわからないこともしばしば)こんな私でも、なんとなく見たくて家路を急ぐ。

 その前にパソコンを使いに近所のコミュニティセンターに行っていたのだが、いつもよりすいていて、カウンターの職員たちも「今日はみんなサッカー見ているんだね」と言っていた。私のように普段サッカーにほとんど関心がない人間でも、W杯中はたまには試合を見るほどだから、同類は相当数いるはずだ。その証拠に、日本vsベルギー戦があった日の夕方は、街なかの居酒屋や飲食店に人が少なかった。街を歩いているだけでも感じられる、異様なすき具合だった。それ以降、テレビを置くようになった居酒屋やレストランが増えたようだ。閑古鳥対策なのだろう。なんだかねー、昔々、テレビドラマ「君の名は」人気で、その時間帯は銭湯ががらがらだったというのもこんな感じだったのだろうか。

 前のベルギー戦は、仕事先にいるときだったので、テレビはついていたものの私はほとんど観なかった。しかし、早く帰って観ている人多かったのだろうね。対ロシア戦は日曜だったから、平日より見る人が多かったはず。

 ベルギー戦もそうだけど、私は日本の健闘はあまり期待していなかった。4年前に日本チームの戦いぶりをテレビで見ていて、世界との体力・実力差を、素人目にも感じていたからだ。でも、あり得ないと思っていたことが起こると、にわかに人間というものはそれまでの考えを一変させる。「へー、やるじゃん、なかなか」という見方に変わってきた。

 そしてロシア戦。ベルギーとの引き分けでもよくやったと思っていたが、その日本が今度は勝ってしまった。自国びいきでない私でもやっぱり嬉しかった。シュートの瞬間はおもわず「やったー!」と拍手。選手の動きやガッツも、4年前とは各段に違うのが、サッカー音痴の私にも見て取れる。途中からゴンを出してくれたのも嬉しかった。彼のユーモアと人柄、ガッツが好きだ。周囲のにわかベッカムファンたちはゴンには目もくれないが、わかってないなあ。

 サッカー、ガッツ、というと思い出すのが、むかーし片思いしていた男の子のことだ。小6の秋だったか冬だったか。彼は同じクラスでまあまあハンサム系だったのだが、私はなぜかそういう男に反発心があり、「かっこつけててやな感じー」と思っていた。しかし、学年で行なわれたサッカー大会でのこと。その子は途中で足に怪我を負ったのだが、その後も降りることなく、ファインプレーを重ねていた。シュートも連発。とても怪我をしているとは思えなかった。見ている女子たちも熱くなった。声を限りに声援を送る。この日、彼を好きになってしまった女子は私を含め数名いた……。ほんの数時間前までは「やな感じー」だったのに、わからないものである。

 ゴンには、あのときの男の子と同種の気概を感じる。ものごとは負けん気・やる気があるだけじゃどうにもならないこともあるけれど、それが奇跡に近いことを起こすこともある。

 日本代表選手たちの戦いぶりから、日本人の私たちは少しの勇気と、自分や他人を信じる力をもらえている気がする。気持ち次第で変えられることもあるという希望。

(6/17Up dated)


■カフェ「ガラス張りの動物園」(6/9)

 自分の誕生日の一週間後の日曜、ジョニー・デップの誕生日。睡眠、昼まで。寝すぎ。疲れている感覚はないのだが、今週はわりとまっとうな時間に起き、仕事で外出続き。当たり前のような生活でも、最近室内生活が日常化していたことからすると、若干お疲れ気味なのかもしれない。

 借りていたジョニー・デップのビデオ、『クライ・ベイビー』を観てささやかに彼の誕生日を祝う気持ちを表す。若かりし頃のデップは幼さの残るアイドル顔。とことんお馬鹿な、青春映画のパロディものっていうところが笑える。

 今週こそ、映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観に行こう……と思ったものの、昨日雑誌を買いだめして散財していたので、また先延ばし。月末で終わりらしいので、それまでに行こう。

 3時を回っても、まだまだ日差しは強い。雲ひとつない青い空、からっとした空気、涼しい風、すっかり夏の日差し、Tシャツが気持ちいい季節。前日もいい天気だったのに夕方まで部屋にいたので、今日は日差しを浴びておこう。

 そう思いつつ出かけたものの、スーパーの中にあるカフェに入り読書。今読んでいるのは、ポール・オースターの『ムーン・パレス』。まだ読み始めたばかりだが、受ける印象は、前に読んだ『偶然の音楽』に近い。主人公がいろんなものを失っていく過程とその思考の流れは、ある種の心地よい無常観、哲学を感じさせる。でもこれはシリアスさを装った寓話、一種のコメディである。まだポール・オースターの本はあまり読んでいないけれど、好きな作家だ。訳もいい。柴田元幸さん。この方の筆力が、作品をより魅力的にしている。

 土日のカフェは込んでいる所が多く、なかなか落ち着いて読書できる場所はない。だが、私がそのときいたカフェの席は、他のエリアからは隔離されている、個室感覚のソファー席。自分の部屋でくつろぐように、ひとりでのんびりできる。ただし、ガラス張りで、スーパー(ダイエー)の中面フロアに面しているので、通行人からの視線を浴びがち。読書しながらも、他人の視線をチクチクと感じる。大人はまだじろじろ見ないほうだが、子供は遠慮がない。ガラスにへばりつき、中に座っている私をじーっと見る子が数名はいた。自分が動物園の動物になった気分になる。あんまり落ち着けないので、切りのいいところまで読んで席を立つ。あのスペースを、「カフェ・ガラス張りの動物園」と名づけたい。

(6/10Up dated)


■誕生日という名の日常(6/2)

 マイバースデー。例のごとく、友人U子とお出かけ。先日図書館で借りてきた、オペラのアリアのCDをかけながら支度する。本日の服は、初めて袖を通すワンピース。毎度のことながら、女同士で出かけるのにオシャレしてもねえ……とは思うものの、めったにオシャレしないので、やっぱり着ることに。フレンチスリーブのワンピースとはいえ、裏地付き、少々厚めの生地の服は、夏のような日差しのその日にはちょっとばかりうっとうしい。支度中にすでに汗ばんでくる。久々にはくストッキングにも違和感を感じる。なんだか女装するような気分に陥る。男が女装するときもこのような感覚なのだろうか。

 待ち合わせの新宿へ向かう途中、ホームに続く階段を下りながら、ふと、いつか田中真紀子さんが言っていた「スカートのすそを踏んずけられた」発言を思い出す。一体、踏んずけられるほどのスカートの長さとはいかほどか。そのときの私のスカートは膝丈。少なくともそういう長さではない。かなり長めのスカートでも、階段を下りているときぐらいしか、人に踏まれることはないのではないか。では、「踏んずけられるスカート」とは、裾を引きずるウエディングドレスのようなものか、あるいはパーティドレスのような代物か。そのようなくだらないことを考えつつ、新宿へ。

 U子とは、ここ10年ぐらい、お互いの誕生日に、お互いが行きたいところへ付き合って、プレゼントをあげるならわしになっている。しかし今年の私には、あんまり行きたい場所がなかった。欲しい物のリクエストも、例年のようなCDや本とは違うものを考えてみたが、やっぱりそれ以外はあまり思い当たらない。生活品では必要なものもあれこれあるが、それらは自分で買うべきものという気がする。新宿の高島屋なら、ハンズもあるし、CDショップもあるし、本屋もあるので、その場で見つけて欲しくなる物もあろうかと行ってみた。U子はハンズで探したい物があると言っていたので、1時間ほど別行動。私は、あとでU子にもらうはずの、自分へのプレゼントを探す。

 ハンズの各階をあちこち見て回るが、今すぐこれが欲しいという物がない。上階のHMVへ。やっぱりビデオかCDかなあ。最近のご贔屓、ロバート・ダウニーJr.が出演しているビデオかDVDがあればそれを指名しようかと探したが、見当たらない。

 次にミュージックビデオの棚で、見たいものを手に取るが、例年の予算よりやや高い。スティリー・ダン、U2のは4900円ほど。ほかに2000円ほどのものもあるが、これだと安すぎ。

 次の候補は映画のサントラCD。欲しいなと思うものもいくつかあるが、これまでU子からもらった誕生プレゼントのうちCDやビデオはけっこうあるので、たまには違うものにしようかと……。するとやはりあれか。数カ月前に新聞広告に出ていた書籍、ガルシア・マルケスの『物語の作り方』。CD並みの値段で、本にしてはやや高め。気になっていたけれど買うのをずっとためらっていた本。結局それにした。

 久しぶりに立ちっぱなしであちこち歩いたので、まだ早い時間だったが、ゆっくりしようと居酒屋へ。誕生日とはいうものの、あんまり普段の生活のパターンと変わりがないような。カンパイの前に、プレゼントとして本をもらったけれど。

 でも、「おめでとう」という言葉を聞く数少ないこの一日は、やっぱりうれしい。おめでとうメールも何通かもらう。

 誕生日という名の日常のなかで、「おめでとう」という言葉の響きだけが、非日常的。

(6/10Up dated)


■捨てるのではなく、託す。(6/1)

 ここのところ、毎週部屋を整理している。天気のいい日は掃除をしよう。というわけでもないのだが、なんだか片付けたくなっている気分の、このごろの私。

 先週の雑誌片付けに続き、本の整理。以前、捨てようと思って選り分けた本がまだ積んだままだったので、ついでに本棚の奥のほうもチェックし、古本屋に送るものをさらに選り分ける。

 その作業は、発掘作業のようだった。10年以上手に取られていなかった忘れられかけた本が続々と出てくる。もうあまり未練のない本もかなり。そうかと思えば、小学生の頃に読んで以来ずっと手元に置いてきた本、『バンのみやげ話』などもある。これはまた、本棚に戻しておいた。また読みたいと思えるものは本棚に戻し、この先10年また読まないと思えるものは古本屋行きの山へ。

 汗をかきながら延々とそんなふうに本を選別した末、ブックオフに送るための本の山がこんもり積み重なった。サヨナラすることに決めた本は、単行本60数冊、文庫20数冊。翌日、ペリカン便でブックオフに送る(しかしその後、また本棚を見ると新たに送りたい文庫50冊が発掘され……一緒に送ればよかった)。

 私にはもう読まれない本でも、誰かにとっては必要なもの、読みたい本かもしれない。捨てるというよりは、託すのだ。

 私もそんなふうに今まで古本屋でさまざまな本を得てきた。神保町の古本屋で見つけたある本を、なんとなく買いそびれたが、ずいぶんあとになって同じ神保町の他の古本屋(チェーン展開系の店)で見つけたこともある。なぜ同じ本だとわかったかというと、エンピツで書かれた値段の価格と筆跡が、覚えのあるものだったからだ。めぐりめぐって再び私の前に現れたその本を、私は買った。そんな縁もある。

※しかし古本屋も商売、後日送られてきた会計明細によると、半数は値がつかなくて捨てられたようだ。まあ仕方がない。

(6/10Up dated)


※以下、5月のことではあるが、一気更新の勢いでここに掲載 。

■路地裏の歌声(5/31)

 まだ使えるものの、今となってはすっかり年代物となりつつあるパソコン、6年前のマック。おかげで合うソフトも店頭には売っていない始末。しかし、幸い、知人に同時期に同じタイプのパフォーマを買った人がいる。彼女にソフトを借りに、千駄木へ出かける。たまには近所以外の散歩もしてみたかったし。

 俗に谷根千といわれている谷中、千駄木界隈。昔懐かしい路地が残る土地。私はこのあたりの雰囲気が好きだ。もし都内に今後住む機会があるとしたら、このあたりがいい。あるいは、月島。

 その日は私も知人も時間があったので、どこかでまずはお茶でも飲もうと移動。知人はあまり地元の店に行かないので入ったことはないということだったが、候補の喫茶店へ向かう。「乱歩」という店。午後2時過ぎ、店内の客は私たちだけだった。薄暗い店内には低くジャズが流れている。壁にはマイルス・デイビスのポスターなど。夜はジャズ喫茶みたいになるのだろうか。空いているせいもあるけれど、妙に落ち着く。地元だったら通ってしまうな、きっと。すっかり書斎代わりにしてしまったりして。マスターがジャズ好きなのだろう。

 知人とお互いのパソコン情報について、ウイルス対策の話題ほか、しゃべくりまくって時が経つ。ふと気づくと、足元からミャーオという鳴き声。大きなかわいい猫。「おまえはあっち行ってなさい」とマスターが猫を抱き上げる。「いいですよ、全然構いませんから」と私たち。猫も寄ってきて、私たちを見つめて品定めしているふう。するとマスター、「おや、猫お好きですか」と、なにやらポストカードを持ってくる。この近くに、猫の小物店と、猫関連のギャラリーがあるらしい。その案内状。帰りに寄ってみることにする。ふと時計を見るともう5時。コーヒー一杯でほぼ3時間。よくしゃべった。学生時代もそんなことしてたなあ。こんな雰囲気の、地元の喫茶店で。

 それから喫茶店のすぐ近く、おばあちゃんが経営している猫の小物店「ふくふく猫」で、のほほんとした気持ちになる猫グッズを見る。最初はひやかし半分で買うつもりはなかったが、さまざまな表情に味がある、招き猫のあれこれを見ているうち、何か欲しくなる。でも置物系は意外と高い。招き猫の立体オブジェつきの絵馬のような札を買うことにした。これなら1000円とお手ごろ。札の筆書きの字は「大幸福」。続いて行った猫ギャラリーの器展でも、猫の形の箸起きを買ってしまった。

 6時前後でも日が長くなり、まだまだ明るいので、知人も観光案内人として根津駅まで私の散歩につきあってくれる。根津神社へも寄る。入ってはみたもののすでに閉門時間らしく、戸口で出るのを待たれてしまう。訪れた手前、一応手を合わせる。根津神社は健康にご利益があると知人が言うので、健康を祈願。最近、痛い思いをしたし。

 へび道といわれているという、くねくねした裏路地を歩く。表通りはあまり好きじゃないのでね、という知人。私もそう。たとえ遠回りでも、大通りから一歩入った、ひっそりした路地裏が好きだ。そんな細い路地では子どもたちがボール遊びをしていた。私たちが通り過ぎるのを待ちながら、女の子が「あんたがたどこさ」と歌いながらボールをつく。懐かしすぎる歌。さすが下町という気がした。いや、学校で教えるのだろうか? そんなことないよな、今時は。

 子供たちの「あんたがたどこさ」の声が響く夕方の路地裏。そんな町に私は住みたい。

(6/10Up dated)


▲HOME ▲F-FILE ▲sesami's travel ▲カメライダー▲平気物語 ▲すれすれ草▲レッツ・リンク