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巻第十六 平成十四年 四月
※初めての方は一番下からお読みいただくと、日付の順に見られます。
■捨てることを考える(4/29)
天気のいい日曜と休日、お掃除日和。冬物の上着やブーツ、書類などを片付ける。今年めでたく確定申告4年分も済み、無事に受理されたようなので、時効の領収書なども捨てた。改めてそれらを見直すと、5〜6年前の電気代はずいぶん安かった。まあ、会社勤めだったから部屋にいるのはほとんど夜だけだったからというのもある。今はというと、一日部屋にいることも多々あるし、パソコンなど電気製品をつけている時間が長いからなあ。領収書を通して暮らしが見える。
名前や住所の入った箇所をポータブルシュレッダーにかけたり、手で破いたりしながら紙袋へ。ほんとうは空地で焼いてしまいたいけれど、どうやら最近はむやみに焚き火をしてはいけないようだ。
私は「捨てる」ということが苦手なはずだったのだが、このときはすっきりした気持ちになった。というのも、この頃、部屋の隅々になにかと物があふれ、オーバーフローの様相を示してきているからだ。本や雑誌は年々増えていく。仕事関係の書類も一定期間は一応取っておかねばならない。役に立ちそうと思って切り抜いた新聞や雑誌のページなどもごちゃごちゃと。けれど、今年になって何回か、手をつけずにいたそれらに改めて目を通してみると、あっさりと捨てられた。それまでに一度も目を通していなかったものがほとんどだったからだ。
しかし雑誌や本は、たとえ数年に一回しか目を通さなくても、資料用だったりお気に入りの本はなかなか捨てられない。それでも本棚からあふれた本を前に、“捨てる、あるいは古本屋行きオーケーのもの”を選別する。そうした作業をしていると、今の自分に必要なもの、不要なものというのが見えてくる。捨てようと思い集めた本の背表紙を見ていると、笑ってしまうくらいビジネス書だらけ。時間の使い方、企画能力の伸ばし方、企画書の書き方……。なかでも我ながらびっくりするのが、『発想力を爆発させる本』。こんなものを私は買って読んでいたのか。あと、ここに書くのが恥ずかしいような(いやらしい本ではないけどね)タイトルもあるのだった。今はもうそれらはいらないように感じる。別に、発想や企画のコツをつかんだとかそういうことではなく、それらの秘訣は実際の仕事や生活や日常、会う人たちとの会話や交流、いろいろな人の考えに耳を傾けることの中に潜んでいるということがだんだんわかってきたからだろう。
先週読んだ、ポール・オースターの『偶然の音楽』に、主人公が身一つで旅立つ前に身の回りのものを捨てるくだりがあった。そのときの主人公の心情として、物を捨てれば捨てるほど、「かつて自分であった人物から遠ざかる」感覚に陥るという心理が描写されていた。さらに、「遠ざかれば遠ざかるほど、未来の自分はよりよく生きられるような気がした」ともある。読んだとき、その言葉や、ほかにも随所に気になる表現があり、あとでノートを取っていたのだが、物を捨てる作業には確かにそうした気持ちが伴うかもしれないと、掃除をしていた私も感じたのだった。
この小説の主人公・ナッシュは、旅立つ前、少しでも長く残しておきたかったものがピアノだった。そして旅立つ寸前にピアノを運び出すように手配し、最後に弾くのだ。
私にとって、手元に残しておきたい一番の物はなんだろう。そう考えながら部屋を見回すと、どれもあれば役に立ったり便利だけれど、「これだけは手放せない」というものではないような気がしてきた。10年ぐらい前の私は、“ものが捨てられない”人種だったけれど、今はどうやら“捨てる人”にシフトしつつあるようだ。まあ、捨てられない人種の母と、なんでも捨てまくる人種の父の子だからな。だが整理下手なので、まだまだ部屋に物があふれてはいる。所有はしていても、使わないもののなんと多いことよ。
具体的なもの以外にも捨てたいものはいろいろある。物事をついつい先延ばしにしてしまう弱い自分。からだの贅肉。それらを捨てるのは難しい。1秒でゴミ箱に捨てるようにはいかない。
自分が感じた想いというのも、年月が経つと意外と忘れてしまうものだ。記憶は捨てるつもりはなくても、だんだん消えていってしまうもののひとつ。『偶然の音楽』の気になる表現を書き留めたノートには、何年か前に読んだ本や観たビデオで、印象に残った言葉があれこれと私の字で書かれている。でも、観たり読んだりしたそのときに感じた気持ちはなかなか思い出すことができない。もしそのときの気持ちが自分の言葉で綴られていても、私はそれを別人が書いたような心持ちで見つめるかもしれない。人の気持ちは少しずつ変化していっている。
『偶然の音楽』については、またあとで少し書いてみたい。退廃的な面を持つ小説なのに、読み終えたあと、なんだか未来に希望のようなものを感じられるものだったのだ。そのあたりの心情がうまく表現できるかどうか。それについてはまた後日。
(4/30明け方Up dated)
◎フラワーゲリラ作戦
友人・MUGICOと会っていた今週の始め。ふとしたとき、お互いが育てている植物の話になった。食べられる野菜好き系・MUGICO。ここのところ鉢植え生活はおざなり系・わたくし。だが、去年、朝顔市に行って鉢を買い、そのあとに種をしこたま収穫したので、「朝顔の種いる?」と聞いた。MUGICOは、うちもいっぱいあるから、と断った。ラオス旅行に行ったとき持って帰ってきた(これ違法)、パクチーの種もいっぱいあるのだとも。そして、私に重ねて言った。「どこかに蒔いてきちゃったら?」
ははは。それも面白い。咲くときと場所を想像するととても愉快。ある日、街路樹や電柱に朝顔のつるが巻き付き始め、夏に花開く。いや、でも、そういった公共の場では管理する人に双葉の段階で引っこ抜かれてしまいそうだな。あるいは生垣のあるどこかの庭に蒔く。それはちょっと迷惑か。空地か、河原の土手。なるべく人のいない、夜とかに実行せねばならない。そして、そろそろ夏を迎えるというある日、一斉に街のあちこちで朝顔が花開く。なぜこんなところに朝顔が、と人々は驚く。
手持ちの種はプランターに蒔くには多すぎるから、やはりその計画を本当に実行してみようかな、などとひそかに考える私であった。もし実行したら、朝顔は無事に夏まで生き延びてくれるだろうか。もしかしたらひとときでも人をほっとさせられるかもしれない、フラワーゲリラ作戦。
◎捜査依頼状
先日、ポストに「捜査依頼状」が届いた。といってもむろん警察がらみではない。
去年、参加した「ミステリー・ナイト」のリピーター向け案内だ。どうしようかな。あの、脳を酷使する眠れない夜。ちっともサマーホリディにはふさわしくなかった。でも、今年の夏もまだ遠出の予定は無いしなー。参加してみようかなー。ううむ。まだ決めかねている。(4/26AM/2002Up dated)
暇なのである。先月の忙しさはどこへやら。少なくとも今週いっぱいは暇ひまの予定。うれしいけど、仕事しなくていいのも手持ち無沙汰。でもって、先週はコツコツと更新原稿書き溜めてしまった。ビデオ三昧、読書三昧でもある。こんなふうに一生暮らせたらいいなーとは思いつつ、やっぱり駄目人間になりそう。しかしひとまずしばらくは駄目人間に浸りきろうと決め込む。旅ページの更新もこの隙に今度こそやらねば!? 最後の海外旅行からもう4年も経ってしまっているし……。
と思っているくせにレンタルビデオ三昧で、『アリーmyラブ4』を観ていた先週。シーズン4から登場したラリーことロバート・ダウニーJr.が急に気になる存在になってきてしまった。クールで無表情っぽい感じの役なのに存在感のある演技をするところが興味を引いた。あんまり彼の情報を知らなかったので、インターネットで調べてみた。すると、やはり私のような女は多かったようで、アリー出演後人気大爆発になっていたらしい。私は日本語吹き替えが嫌いなのでNHK放映の同番組は観ていなく、ちょっとその波に乗り遅れていたようだ。
ロバート・ダウニーJr.出演作の映画を調べ、レンタルビデオでもろもろ借りる。調べてみると主役脇役端役含め結構いろいろ出ているのだ。ロバート・アルトマン監督の群像劇映画『ショート・カッツ』にも出ていたらしい。でもどこに。記憶にないなあ。あと主演では、チャップリンを演じた『チャーリー』とか。これ、公開当時観にいこうと思いつつ、結局観なかったんだよなあ。もし観ていたらその頃からはまっていたかも。ビデオで観て、やっぱり面白かった。
そして、私がここ10年ばかりひいきにしているジョニー・デップに入れ込み始めたきっかけの映画は、『妹の恋人』。デップはほとんどしゃべらない、パントマイムをする変わった男の役だった。そしてロバートも、サタデー・ナイト・ライブでパントマイムなどを実際にしていたらしい。そういう共通項のようなものを考えると、自分自身の好みというものが今更ながらわかる。台詞がほとんどなしで、しかもあまり表情の無い役で、人を魅了する演技力を持っている役者。そういうタイプが好きなのかなー。ファンサイトを見ると、俳優の好みが皆さんわりと似ているのも面白かった。そういえば私もアル・パチーノが好きだったりする。
というわけで、暇な今日この頃は、新たなひいきのロバート・ダウニーJr.の映画ビデオ観賞が至福のひとときとなりつつあるのだった。『愛が微笑むとき』では、4人のゴーストに代わる代わる乗り移られてしまう青年を演ずる。会社の会議中に、女ゴーストになるときがかなり笑える。
彼を評して“芸達者”というだけあって、ゲイ役もかなりいろいろこなしているらしい!? 『ワンダー・ボーイズ』以外ではまだ未見だが、他のゲイ役もきっとうまいであろうだけに真性、地では、なんて想像もしてしまいがち。そう思わせるのは演技力のなせる技なのか?
『アリー』や『愛が微笑むとき』などなどで歌を披露していて、かなり歌がうまいのも魅力。んー、これからいろいろ観たり聴いたりするのが楽しみ。※ロバート・ダウニーJr.のことがよくわかるファンサイト『Angel』はこちら
◆P.S.「好き」になれる幸せ◆
こうしてある日突然、「好き」なことがまたひとつ増えたわけだけど、これってどうも時間があるからかなあと思ったりする。過去を振り返ってみると、勉強やら仕事やら、何かでものすごく忙しい頃って、あまり何かに対して「好き」という新たな感情を持てるゆとりがなかった気がする。実際、10代後半から20代前半の数年間はいろいろあったもので、この時期の音楽やテレビドラマや流行っていた本なんかは私の記憶からはすっぽり抜けていた。時間と気持ちにゆとりができてきてから、あとで追体験したものだ。そうしてあとで好きになったいろんな物事や人と、同時代性を共有できなかったことがものすごくくやしかったりした。
でも、遅れてでも「好き」という感情をなにかに抱けることって、実は幸せなんだろうなと思う。今、パレスチナの子どもや若者は、何かを好きになれる心のゆとりはとてもないことだろう。日々進展しない状況を新聞や報道で目にすると、気が沈む。でも争いは遠くの出来事で、目の前のことではないから現実感がない。その矛盾。矛盾を抱えながらも、パレスチナの子どもたちも、早く「好きなこと、もの」をたくさん持てるようになりますように、と願う。
国際紛争のニュースがあると胸がさわぐのは、湾岸戦争が勃発した朝に母が亡くなったからなのかな、ということに思い当たった。無意識に、戦闘や爆撃のシーンから、人の死というリアルさを連想しているのかもしれない。幼いころから憧れていた西の果ての国々、中東で戦いが絶えないというのも残念だ。でも、国や民族が何であろうと関係ない。憂えるべきはテロそのものではなく、人を憎み武器を携えなくては生きられない人の気持ちのありようだ。
一方、前から好きであるU2の歌について。このあいだ友人から借りたU2のビデオを観ていて、『サンデー・ブラッディ・サンデー』の訳詩を改めて見て、今の私の気持ちにリンクするのを感じた。
「死者の数ばかり増えていったい誰が勝利を収めるというのか」
「僕達はいつのまにか慣れっこになってしまっている/事実は絵空事となりテレビこそが現実となる」……。U2はこの歌を歌うことで、IRAのテロ対象リストの上位にあげられたという。それでもこの歌を歌い続ける、彼らの勇気を讚えたい。
ロバート・ダウニーJr.に対する浮わついた気持ちとは対極にある「好き」として、この歌は私の「好き」な曲である。
(4/24/2002Up dated)
■バランスだよ、バランス。(4/15)
先月末のホームページ仕事が終わった時点で、メール数は激減。ちょっとほっとする。
前回、「続きは明日」と書いてからもう2週間経っているではないか。私の明日は2週間かよ、と自らに突っ込む。仕事がむちゃくちゃ忙しかったわけではなく、それなりだったのだけれど。仕事の追い込み時にせっぱ詰まったときの集中力は、過去のあれこれを振り返ってみると我ながらあっぱれと思うことがしばしばある。この期間でよくこれだけの仕事したよなと感心してしまう。だがさほど忙しくなくなると、途端に集中力はガクッと落ちる。プライベートにおいても、細切れの時間をつなげて有効に使うことがなかなかできなくなる。ま、人間はそうやってバランスを取っているのだろうと思いつつ、だらだら過ごしてしまうのであった。今年買ったデジカメの画像を、古いマックからどうすればホームページにアップロードできるかがまだ課題なので、そのへんもなんとかしないと。今日明日中ぐらいには『サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー』について書くぞと意気込む。私にとって久々の面白く、楽しい体験だったのだ。仕事にゆとりのある今の時期に、手をつけずに経過しているあれもこれもやらねば。たとえばこのホームページの旅コーナーの更新とかも。
しかし春の陽気が私を外の世界へといざなう。週末も久々に心のゆとりがでたからと、友人ヒロと出かけてしまった。2人の恒例の「昼からカラオケ」。この5〜6年というもの、2人揃えば飽きもせずいそいそとカラオケボックスに行ってしまう。最初は仕事のストレス解消が目的だったのだが、数ヵ月もすると、歌うこと自体が楽しくなってきた。継続は力なり。って、なんの力だ。この力をほかに使えればいいのだが。そしてそのあとはこれまたお決まりコースで、行きつけの飲み屋へ。閉店まで5時間しゃべり、飲む。出だしはいつもあんまり話にノリがないのだが、気付くと毎度閉店近く。互いの仕事のことから始まり、テレビの深夜番組「虎ノ門」での井筒監督の映画批評から飛んでアメリカの軍事介入について、気付くとアフガニスタン問題についてなどなど語り合っていた。「争うための宗教ならいらない」、「日本人は良くも悪くもいい加減に多文化を受け入れてきたけどそこが日本人の利点では」、うんぬんかんぬん。気付くとそうやって日本という国の在り方や教育のことなんかしゃべっていて、毎度毎度、「それよりまず自分の幸せだよね」という処に返っていくのだった。性懲りもなく。しかし、よくしゃべるよな、私たち。その前には数時間歌っているし。まあそれも1ヵ月に一度かそこらだけれど。私の場合、会社を辞めてフリーになってから、こうした休日パターンがけっこう楽しめるようになった。1人で仕事しているとしゃべらないぶん、人と会うとしゃべりまくっているようだ。学生時代は無口で有名だったんだけどな。あの頃はそのぶん、毎日毎日、なにかしら書いていた。
アウトプットとインプット。少し休んでまた働く。からだも動かし頭も使う。人間には、やっぱりバランスが大事。それと、考えることも大事だけど、行動もしようっと。>自分。
(4/15Up dated)