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巻第十一 平成十三年 十一月
※初めての方は一番下からお読みいただくと、日付の順に見られます。
■11月はビデオ三昧(11/30)
ちょっとばかし時間に余裕のある昨今。映画でも観にいこうかと思えば、この時期あまり観たい映画の上映がなかった。12月に入ったら、『ハリー・ポッターと賢者の石』『アメリ』『耳に残るは君の歌声』でも観にいこうかと思っているが。『アメリ』は先日、日曜夜の最終上映回が割引になる映画館に行ってみたが、上映1時間前ですでに立ち見確実ということで、やめた。その後、『メメント』の最終上映回も検討してみたが、上映終了時間と電車の時間との関係上、これも断念した。
で、ビデオまで待とうと思っていたが、ご近所の映画館で『エボリューション』を観る。これ、巷の映画雑誌でけなされていたほど、駄目映画ではなかったと思う。もっと駄目なアメリカ映画はいっぱいある。まじめぶって作られたCG映画よりよっぽど楽しめる。確かにオバカなB級映画ではあるが、そのオバカぶりがいいではないか。とくに、必殺兵器が「あれ」とは……。原作はコミック(アニメ?)だったらしいが、その原作もあんなコメディタッチだったのだろうか?
さて、それ以外はあまり食指の動く映画がなく、12月を待つ今日この頃。ツタヤでビデオが半額になる火曜ごとに、4〜5本借りためては観てしまう日々である。
『エンド・オブ・ザ・ワールド』は、核戦争後の絶望的な世界を描いたものということで、ちょっと興味があって観た。アメリカが中国にしかけた核戦争で世界人口のほとんどが滅亡、って、『マーシャル・ロー』(まだ観てないんだけど)に続き実現化の可能性のあるシナリオで、考えさせられる。中国という設定を北朝鮮とかイラク、リビアに置換えたら十分ありえる話。内容は、かすかな希望もあえなく消え去り、救いは愛だけというもので、ちょっと気持ちが暗くなってしまった。最近借りてきたビデオはどうも暗い内容のものが多く、立て続けに観ているとちょっとばかしダウンな気持ちになりがち。他に『バートン・フィンク』『パリ18区、夜』などなど。
ものすごく良かった、というわけではないが気持ちにぽっと灯りを灯してくれたのは次にあげるビデオ。
●『チューブ・テイルズ』。イギリスの地下鉄を舞台に繰り広げられるショートストーリーの数々を、オムニバス形式で見せる。ユアン・マクレガーやジュード・ロウ監督のストーリーもあったりする。不思議な話、ブラックユーモアのある話、お下劣な話、かすかな希望を感じさせる話。電車の中でこんなことありえるかも、でも妄想かも、ってな話の数々、ニヤリとときにはしんみりとさせてもらえるものでした。
●『僕の国、パパの国』。イギリス人女性と結婚してイギリスに住むパキスタン人のパパと、その子供達の話。イスラムの文化に馴染んでくれない子供達を嘆く、パパ。イギリスで生まれ育ち、イギリス人としてのアイデンティテイをもつ子供達。実際にこういうことってあるんだろうな、という話だ。イスラム文化を子供に伝えたいパパの気持ちも理解できるが、自分はイギリス人と結婚したくせに、子供達にはパキスタン人との結婚を押し付けるところはどうかと思うが。でもな、親ってこういうものだよなあ、などとも思ったり。ユーモアを利かせながら、家族のありかたや文化の問題を考えさせてくれる展開の秀作。時節柄、イスラム文化に関心が増して借りた一本だったが、多くの人に観て欲しい映画だ。
●『ハイ・フィデリテイ』。ジョン・キューザック演ずる音楽バカの主人公が、大切な愛に気づくまでの物語。何にでも順位をつけたがり、付き合う彼女にはいつもフラレる主人公は、その理由を求めて元彼女たちに再会しまくる。その経過を自嘲的に観客に向かって語る設定は、ウディ・アレンの路線を狙っているのかと思われる。情けない男のはまり役。でも、ジョン・キューザックの場合、“かもし出す情けなさ”“皮肉なユーモア”の度合いがウディほどではないのが惜しいところ。しかしこの映画、なかなかに小気味良く、愛情の法則をとらえている感じで、心がほのぼのするものではありました。男と女の考え方の違いなど、痛いところをついていて、なかなか楽しめ、最後はほのぼのとした気持ちになりました。
●『華氏415』。原作レイ・ブラッドベリ、監督トリュフォー。1966年の作でありながら今更観た。昔は私、ヨーロッパ映画にあまり興味がなかったのだ。音楽の使い方などに多少古臭さは感じるものの、言論・思想の弾圧にもリンクするテーマは普遍性がある。読書が禁止された未来社会で、消防士の仕事は、本を持っている者を摘発し、本を焼くこと。子供が、「消防士は昔、本を焼くのではなく、火を消すのが仕事だったってほんと?」と聞くような社会。禁止された本にだんだん魅せられていく消防士、謎の魅力的なヒロインなど、スパイ映画的な要素も含んでいて、ミステリアスな映画だった。弾圧から逃れた人々が暮らす森で、「頭の中にある本は誰も焼くことができない」というリーダーの台詞は、深い。それは本だけでなく、さまざまな考えや信念にも通じるものだろう。私だったら、“どんな本”になるだろう?
(12/1/2001 Up dated)
日を追って刻一刻とめまぐるしく変動するアフガニスタン情勢。日本は今までになく「他国の戦争」という局面を仔細に報道していると思う。確か朝日新聞の一節で「報道メディアの数はベトナム戦争の比ではない」というような表現を見た覚えがあるから、そうなのであろう。
実際的な“言葉が通じない”ことでなく、互いの考えていることを理解できない、理解しようとしない、この戦いの状況は、さながら“バベルの塔”のようだ。
私は(そしてたぶん多くの日本人も)この数ヵ月、悲しいことに戦争を通して今までになくアフガニスタンのことを知った。でもまだまだそれは他人の目や文章、レンズのフィルターを通してのことで、直接知ることとはまた異なるものだろう。日々のニュースを見て感じたことなどをこの場に綴ろうと何度も思ったが、今日より明日、明日より一週間後、と局面が変化したり、ジャーナリストや現地の犠牲者についてなどの報道がされるのを見聞きし、私ごときの考えることなど何の意味もないのかと無力感を感じもした。
そんなとき、最近読んだ妹尾河童さんの本、『少年H』の、妹尾少年の言葉を思い出す。第二次大戦期に神戸で暮らし、生まれ育った地が空襲で焼かれ、新聞がどうやら本当のことを伝えていないらしいと気づき始めた彼は、こう思う。「なぜ日本がこんなことになったのか、しっかり見ていてやろう、覚えていようと思った」。この本で私は、妹尾少年の、「物を(物事も含め)見る力」の鋭さに驚かされた。それは、妹尾さんの画力を通して鍛えられた観察眼でもあり、さまざまに見聞きしたことから“ほんとうのこと”を見抜こうと考える力の鋭さでもある。「知ること」は、得た情報をそのまま鵜呑みにすることではなく、自分なりにそのことから考えることだと私は思う。
うちの父が生前、「知らないことはときには罪になるんだ」と言っていた言葉もよみがえる。何をしていたときのことだったか……母のことを二人で話していたときだったか。父の言う“知ること”とは学問に対してのことや単に知識のことではないのは明らかだった。人の気持ちや物ごとの事情など、広範囲のことを含めて言っていたのだと思う。知ることは、見て、聞くことから始まり、知ることで私たちはそこから考えることができる。また、知ろうとしなければよく見えてこないし、聞えてもこないだろう。
今のアフガニスタンは、バベルの塔だ。その混乱を起こしたそもそもの原因の一端が自分たちにあることを、当のアメリカ人たちは気付いていない。あるいは、気付かないふりをしている。すべてのアメリカ人が、とは言わないが、なぜ自分たちの国が狙われたのか、考えようとしていないように私には思える。特に政治の中枢にいる人達は。
さらに、この戦いが宗教戦争であるかのようなことが一部では言われている。しかしそれは、論理のすり替えだと思う。ここ何十年を振り返って、イスラム諸国にアメリカが何をしてきたのか、胸に手を当てて考えてみるべきだと思う。一人の日本国民でしかない私は、「見て、聞いて、知って、考える」ことしかできないけれど、今はそうしていくしかない。そして、そんな一日本国民の私の考え。
11月上旬、またもやアメリカン航空機墜落のニュースがあったとき、私はある情報をふと思い出し、そのことと事件との関連性を一瞬疑った。それは、墜落の一週間ほど前、私がときどき出入りしているインターネット掲示板で、アメリカ在住のとある日本人の人が、翌日の帰国を前に書き込んだ内容。地元の警察の知人が「極秘情報」として伝えてくれたことだというが、アメリカン航空とコンチネンタル航空のパイロットや乗務員の制服、機密書類が盗まれたという。そしてその人(書き込みをした人)の近所に住むパキスタン人が、「高い建物には近づくな」と言い残して行方をくらました、という話。よくよく考えてみると「極秘情報」は漏れてはいけないものなのだから、単なる噂に過ぎないかもしれない気はするが……。でも、一部のスポーツ新聞が書いていたように、あながちあの墜落は事故ではなかったのかもしれない、という疑惑、事実隠蔽の匂いはある。
そして、やたら「自由、善と悪、正義」という言葉を連発するブッシュ大統領についても、いろいろ思うところはある。彼の口から出るそれらの言葉はどこかうさん臭い。暴言を覚悟で書かせていただくが、そもそもこの人が大統領になったことが、今回のテロ事件の幕開けにつながったのではという気がしてならない。彼の父が引き金になって起こった湾岸戦争から引きずってきた、イスラム社会へのイメージ。就任後の、世界の中での政治的態度の数々。石油会社を運営しているという一族、そして本人の経歴。父の代の湾岸戦争も、産油国のクウェートが侵攻を受けたから、それを守るために加担したであろうことは確実だ。サウジやクウェートなどの産油国に対しては寛容だが、そうでない国、あるいは内戦で混乱している国は「ならず者国家」呼ばわりに喧嘩をふっかける姿勢も、あまりにもあからさまだ。そして今回、ラディンがサウジの出身であるということで、おそらくブッシュはサウジアラビアに対してアメリカが優位に立ったつもりでいるのだろう。「そちらの一族の一人がアメリカを襲ったのだから、言うことを聞けよ」とでもいうように。そしてサウジに対しては、その有利なカードをちらつかせているのか、利用し放題。
そんなブッシュ大統領に言えるものならば私は言いたい。この戦争に限らず、中東を含むイスラム国家の情勢にこのまま加担し続けるのであれば、原油の輸入は自主的にストップするべきだ。サウジの原油も、戦闘機や軍艦に利用すべきではない(実際使っているか、また戦闘機の燃料がガソリンなのか私は知らないので、そう言うのもなんだが)。そうする理由が今のアメリカにはある。なのに、産油国を攻撃対象からなんとか除外しようとしている政治的意図が、見え隠れする。吸い上げられるものは吸い上げ、利用すべきは利用するというような。言いすぎだろうか。
アフガンで続く空爆、戦闘で一般市民の被害も広がっている状況から、アメリカ人全般に対して、現地では早くも憎しみが広がっているようだ。たび重なる各国のジャーナリストの訃報も、アメリカ人と間違われ殺害されたのではという見方は濃厚だ。憎しみの連鎖は早くも広がりつつある。
こんなことが現実に起きたら果たしてアメリカはどう出るか、と私は想像する。アメリカの爆撃によって生じた巨大な穴によって、アフガンに大規模な油田が発見されたら。リビアやイラクも同様に。そして10数年後、オイルマネーでアフガンなどは豊かな国に……。もしそうなったらアメリカにとっては皮肉である。
そんなこんなをぶつぶつ考えていた昨日読んだ、某雑誌・●●オの外国人の記事によると、アフガニスタンの周囲、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンといった旧ソ連の国々には、豊富な天然ガスや石油が埋蔵されているということが近年わかったのだという。そしてアメリカ(現在のブッシュ陣営)は、そこから資源をアラビア海に運び入れるためのパイプラインとして、アフガニスタンを重視しているのだという。そのためにはアフガニスタンの政権安定が不可欠だし、その主導権を取る立場でありたいはず、というのが記者の見解。それに、チェイニー副大統領をはじめ、現在のブッシュ政権の中枢人物はみな石油産業に関係しているとか。ううむ、ますますもってうさん臭い。私の考えもあながち妄想ではなかったのかもしれない。しかし、周辺国に天然資源が埋蔵されているなら、アフガニスタンにもあっても不思議ではない。
そんな物語でも書いてみるか……などと思ったりもする私だった。(11/30/2001 Up dated)
■一生分の流れ星(11/19)「sesamiは東京には星空も無い、と思ふ」と以前私は書いた。思い起こせばかれこれ3年前。寒さに震え、星の流れぬ空を見上げていた、しし座流星群や双子座流星が降るはずの眠れぬ夜。
いま訂正しよう。星空はあった。そして流星雨も降った。3年越しのウォッチングの成果実る。数日前から「今年はかなりすごい流星雨になる」と噂で聞いていた。でも、ここ数年の期待外れ感から、その話を怪しんでいた。だが。ここのところ早寝しがちだったが、夜更かししてしまった日曜深夜3時。あんまり期待せずに外へ出てみる。少し歩いて角を曲がると、パジャマ姿の男が背中を向け佇んでいたのでちょっと驚き引き返す。「ん、奴ももしや流星を見てたのでは……」と思い空に目をやると、視界の隅を何かがよぎったように感じた。
西の空を見てみると、すーっ、すーっと、いくつもの流れ星が立て続けに見えた。おおおぉぉお。深夜、小声で「すごいすごい」と1人つぶやきながら、しばし呆然。どんどん星は流れる。かなり明るい光を放つ大きな流れ星も次々と。あっ、あっちで流れた、今度はこっち。視界の右に左に数々とよぎる光の筋を追って、視線を夜空に泳がせる。まさしく流星雨だった。東のほうから西の彼方に、流星たちは流れ、消えていく。
しばらく口をあけて空を見上げていたが、「願い事でもしてみるか」と思い立つ。主な願いは数個だったが、それぞれ10回以上は願えたのではなかろうか。空から目が離せないでいるうちに、ずいぶん時間が経った気がした。部屋に戻ると、その時間およそ1時間。その間、一生分の流れ星を見たのでは。
最近地味な日々でちょっとばかり気分も地味になっていた私だが、なんとなく、うれしくなったりして。次は33年後、そりゃ無理だろう、と思っていたのに見られたことがうれしい。数年間見られなくてくやしかった、しし座流星。うちの周辺ではもう見ることはできまい、と思っていたのに。これで願ったことがすべて叶ったら言うことはないのだが……。
(11/19未明/2001 Up dated)