F.D.I
本局総指令部情報
(Japan)
1999
7月
●5・6月の本局総司令部
この2ヵ月というもの動きのなかったこのコーナーだが、実をいうと単に通信局長である私が報告を怠っていただけである。
5月には代々木公園で「新緑の下でビールを飲む会」があり、会長MUGICOのミャンマー帰国報告が行われた。ミャンマー、そこは仏像ワンダーランド。
6月にはまたまたフランスから一時帰国したKee特派員が、仲間を集めてホームパーティを行った。以前と同じく、秘境の会以外の方々も多数。そこでの、あるイラストレーターの男の人の一言。「いいなあ、外へ出てしゃべる仕事の人たちって。僕みたいな仕事って、孤独ですよ。何日も黙って一人で仕事してるとね、なんかしゃべりたくって、本開いて朗読始めたりするんだよ」。笑ったが、なんだか分かるなあ。でもお互いないものねだり、どんな仕事も孤独なものよね、と思ったりして。他に、今回はあまりお話しなかったがモード系の人たち多し。サザビーのバックデザイナーさんとかいて、自作のバックを持ってきていた。それも私から見れば、自分の仕事ぶりを一目で見てもらえていいなあ、とうらやましかったりする。所詮、隣の芝生は青く見えがち。
久々に顔合わせしたTETSU特派員と、仕事のことについてなぞ語り合う。彼女は仕事の方向性について最近悩んでいるらしい。ときどき思う。私たち、いや、私って、どこへ向かっているんだろう? とりあえずの答えは「今から先へ」でしかないのだけれど。
7月中旬にリンムー特派員がまた今年もモンゴルへ行くということで、その意気込みを聞かせてもらおうと壮行会を行おうと思っていた。数名に声をかけたが、みんなの都合がなかなか合わず結局ふたりで会うことに。原宿の喫茶店でふたりでデート。ちょっとのつもりがいろいろ話し込んでしまい、あっという間に3、4時間たってしまった。
まずは今回の旅のいきさつ。以前、「草原の友人に会いに行く」と言っていたが、詳しいことはあまり知らなかった。聞けば、リンムーが初めてモンゴルへ行った90年初頭、草原で馬に乗るのを頼んだとき、馬を連れてきた一家に会いに行くのだという。当時はお父ちゃんが馬を引いてきて、5歳の息子が付いてきていた。でも驚くことに、5歳でも大人顔負けに馬引きの仕事をこなすのだという。すごくいい人たちでお世話になったので、帰国して、まずはモンゴル語が書けないので英語で手紙を書いた。すると、一家の長女が学校で英語を習っているので、家族に訳してくれていたらしい。以来、その娘さんを介し一家との文通が始まったとか。それで少しでもモンゴル語で……と思い、モンゴル語を習い始めたリンムー。それからは毎年モンゴルへ行く時期が近くなるたび、余裕を持って手紙を出し“●月の●日から●日ぐらい行くので、会いましょう”といっていたが、これまですれ違いばかりだったという。帰国寸前まで待っていたホテルに数時間後に来た、ってこともあったらしい。モンゴルで半日遅れるとか、当たり前そうだものなあ。でも去年だったかな? おととし? ようやく数年かけて一家と再会できたらしい。もー、お互いなんだかワンワン泣いてしまったらしい。そこで、「今度はうちに泊まりなさい」とむこうの一家が言ってくれたご好意に甘えるということである。そんなドラマがあったとは、知らなかった。
向こうはモンゴルの遊牧民、季節によってテントは移動するから住所なんてない。もちろん電話もない。手紙は学校とか私書箱宛てに届けられるものらしい。ふぇー、約束するのも大変だよねえ。
これまでは友人と同行の旅だったが、今回はリンムーひとりとか。おいおい、「息子の嫁に、とか言われて帰ってこなかったりしてー」と私が言うと、「みんなに言われる。それもまーいいかー、なんて」と陽気。しかし出発一週間前というのにエアチケットがまだ届かないとか、飛行機が空港に着くのが夜中だとか、今回はツアーじゃないのでいろいろ不安も盛りだくさんのようだ。頑張れー。
でも、なんかうらやましい。私も最近、景色やモノを見に行くよりも、その土地の「人」と出会いたいよなあ、と思い始めていたから。確かにまだまだ見たい物や行きたい土地はあるんだけど、プラスアルファを求め始めてる自分がいる。リンムーもそれは同じ感覚らしかった。最初は広大な風景を求めてて、どちらかというと人と触れ合う旅ってうっとうしかったはずなのに……という思い。
話はバイクのことにも及ぶ。その日までリンムーもライダーだったということを知らなかったが、共通項があるので話が早い。日本の田舎をバイクで旅すると、おっちゃんやおばちゃんが妙に親切だったりする。一人になりに旅に行くんだけど、でも結局人と出会っちゃうんだよね。出会って、別れて。だけどそれが一瞬のことだから、優しいのかもしれないなー、みんな。などと思ったりもする。最近そういう旅もしてないせいか、なんだかあの感覚が懐かしい……。
「日本もさ、きっと50年ぐらい前はモンゴルみたいだったんだよね。人とのつながりとかね」。「モンゴルには、日本がたどった道を行ってほしくないな」とリンムー。
うーん、今日はなんだか真面目だ。でも考えておかなければならない話だ。相手の生活に近いところに旅行者が入り込むのは、それほど容易なものではない。だから今回、カメラやテレコを持っていくべきか悩んでいるという。帰ってきてから思いだすためにそれらは役に立つけれど、相手が持っていないものを持ち込んで「うらやましがるな」っていうのは傲慢だからと。そうだよね。お金や物に対する欲が出てくるうちに、おかしくなってくものって出てきちゃうんだよね。難しいところだなあ。
お互いのバイク話から、バイクに対する親の主観の差を話すうち話は教育論へと飛ぶ。うちの親は禁じる派、リンムーの親は体験させる派。全然違う環境で育ってきた同士が、現在こうして似た感覚を共有しているっていうのもなんか面白いなあ。リンムーの仕事が“子どもの調教(保母ともいう?)”であることもあって、最近の親の話とか、なかなか興味深い。お互い子どももいないくせに日本人の教育問題やら大人の社会観やら、障害者に対する日本人の接し方と海外の比較まで、なんだか話が及んで盛り上がってしまった。
(局長である私、最近表の仕事で福祉関係の原稿を書き、ちょっとこのあたりのことは広く伝えたい気分です。そのページをリンクいたしますので関心のある方はこちらへどうぞ)
ともあれ、リンムー、お気をつけて。そして帰ってくる日を忘れないでね。帰国報告会をやろう!
●UAE先日、近々UAEに行こうとしている方からメールをいただいた。UAEはいいところでしたよ、私にとっては。私のUAE記が完成していれば少しはご参考になったかもしれないのに……。書かなければ。もう1年過ぎてしまったあぁ!
ところで、あまりUAE旅行のご参考にならない話ですが、先日リンムーと会ったときに聞いたUAEネタ。リンムーの友人である某旅行会社添乗員の某氏、サッカーの“ドーハの悲劇”のときUAEへ試合を観に行き、日本側ではなくUAE側の席で盛り上がっていたらしい。と、試合はぜんぜん見せ場でもないしミスしてもないのに、UAE側の男達が「おぉーーー」とどよめく。某氏、なんだろうと分からずいたら、また再び周囲は「おぉーーーーー」。ふっとマルチスクリーンを見ると、タンクトップに短パン姿の日本側のサポーター女性が映っていたそうだ。女性が肌を見せることなんてとんでもないというお国柄の男たち、そんな姿を見ただけでどよめいてしまうのね。私たちから見ると可愛げあるけどねー。ま、UAEの男達ってそんな感じですよ。ただし、一緒に写真とろうというときなどはなれなれしく肩をくんでくる奴多し、注意。肩ぐらいならかわいいもんですけどね、甘い顔を見せると図に乗りますので振り切る、手をはたく、に限ります。まーこれもモンゴルにカメラを持ってくかどうかって話と一緒で、見せておいて欲しがるなってのも無理な注文なんでしょうか。(私たちなんてほとんどスカートもはかなかったしノースリーブも着なかったけどねえ。色気もないのに。。)
ところでその添乗員の某氏、女であれば秘境メンバーに加えたいほどの秘境派らしい。グァテマラの遺跡のてっぺんで夜寝たとか、そこで花火があがってるのを不思議に思ってたら蛍の大群だったとか……秘境話がいろいろあるらしい。聞きたいなー。
(7/12up dated)
●予告!
今年もせいか特派員宅で「雑食の会」が開かれるようだ。鈴木その子がまだブレイクしてなかった頃、その子ネタで盛り上がっていた日からもう1年。早いのう。報告は7/20を待て。
《お帰りはこちら》
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