
★モンゴル生活あれこれ(99年7月滞在より-小ネタ集--FDI/リンムー特派員)
(4/18/2000 up)【モンゴル流「失礼しました」】
モンゴルでは、人ごみなどで、相手の足にぶつかると、失礼しましたという挨拶で、相手の手を握る。初めてこれを目撃したときは、男の人同士だったんで、「おいおい、オカマかよ〜」とびっくりした。急に人ごみで手を握り合ってるんだもの……。【燃えろよ馬糞】
最初にゲルに着いたのは夕方、陽もかなり翳ってきたころだった。ストーブを焚くための“アルガリ(乾燥した馬糞)”を拾いに草原に出る。料理を作るときの焚き火も、スーテイツァイを沸かす鍋の火も、全てこのアルガリを使う。
馬糞と聞くと、かなり抵抗があるかもしれないが、実際には乾燥しているので、藁の塊のようだ。ただ、慣れたモンゴル人には簡単に集められるアルガリだが、私にはどれがアルガリだか、どれが乾燥していて使える物だかがよく見分けられず、拾ってみると牛糞だったり、馬糞でも、中がまだレアで、ちょびっと、ふんにゃりしていたり……。【日焼けに羊の脂】
乗馬で日焼けした腕が、数日の間でさらにひどくなってしまい、手首の細さが感じられなくなるほどに腫れ、やけど状態になっていた。お世話になった一家の長女・オユンナが、日焼けに効くからと、真っ白いクリーム状のものを塗ってくれた。羊の尻尾の脂とのこと。正直なところ触れないくらい痛かったが、塗ってもらうと脂で皮膚が保護、保湿されたようで、大分楽になった。【モンゴル流ゲーム-1.子ども編】
日が暮れてから、真っ暗な草原で子供達のゲーム大会が始まったのには驚いた! 2歳くらいから16〜17歳の子供達10人位で歌を歌ったり、じゃんけんのような指のゲームをしたり、しまいには「かごめかごめ」のような遊びをしたり……。みんなでワイワイと大盛り上がり。月明かりを頼りに、11時過ぎまで遊びまわっていた。【モンゴル流ゲーム-2.酒呑み編「デンベー」】
夕飯代わりにアイラグ(馬乳酒)を飲み、ポリタンクにもアイラグをいっぱい入れてもらって、ズーンモドの家へ向けて出発。帰りはゲレルの家族、同僚の運転手さんたち、私の知らないお兄さんたち、そして家の家族を乗せて、歌合戦会場と化した車は、真っ暗な草原をすっ飛ばして行った。
家に着いたのは、夜12時を回っていたにもかかわらず、それから車に乗っていた人達全員が家に入り、先程のアイラグで酒盛りが始まった。家族の妹達も起きてきてしまい、皆で、わいわいと大騒ぎ! 大人達は、酒盛りには欠かせない“デンベー”という一気呑みゲームをやっている。これは二人で行なうもので、ジャンケンのような指での勝負を、独特の歌を歌いながら行ない、5回勝った人が勝ち、負けた人はコップになみなみと注がれたアイラグを一気飲呑みしなくてはいけないのだ。
この“デンベー”はモンゴル人を熱くする。勝ちたいんだか、負けてアイラグをたくさん飲みたいんだかは、良くわからないが、とにかくやって、やって、やりまくる。この日も、草原で貰ってきたアイラグがなくなるまで“デンベー”は続いた。【国内用パスポート】
外の草原に座って、ホームスティ先の長女・オユンナとおしゃべりをして過ごす。家族の誕生日を聞いたところ、お母さんの誕生日を忘れたと言って、家の中から、パスポートを持ってきた。それを見せてもらった私がふと、「お母さんはどこの国に行った事があるの?」と聞くと、オユンナはひどく驚いた顔をして、「外国なんて行ったことないわよ」と言う。「でもパスポートを取ったんでしょ」と言うと「これは、モンゴル国内用よ。地方に行くときに必要なの」とのこと。それを聞いて、今度は私がひどく驚いた顔をしたに違いない。おそらく社会主義時代の名残なのだろう。身分証明証としての役割も兼ねて、モンゴルでは、18歳になると、みんなこのパスポートを取らなければいけないのだという。国が違うと、いろいろなことが違うのだなと、しみじみ考えさせられた出来事であった。《さらにディープな、99モンゴルうるるん話はこちら!》
まだまだ続く、モンゴル話。お世話になった家族以外にも、親戚だかなんだか大勢の人々と過ごしたリンムー。全部を載せきれないのが残念だけど、それでも読みでたっぷり。ぜひご覧下さい。
※りんむうの99.7月-モンゴルホームスティ体験より
(text by リンムー、editor by sesami)
★中国〜パキスタン(FDI/まさみ特派員)(1/25/99 up)
98年9月、中国〜パキスタン国境越えツアーに参加。標高が高いところのルートなため、高山病対策にとカシュガルのホテルでは酸素袋を用意している。無料ではなく2000円もするので買わなかったが、買った人にちょっとだけ吸わせてもらった。中国のウルムチ〜カシュガルを経て(ここのバザールで、石のように固いチーズをみやげに買った)、パミール高原を越え、パキスタンへ。中国側は警備が厳しく、国境の職員とはとても記念撮影をすることなどできなかったが、パキスタン側での入国手続きのおじさんは快く記念撮影に応じてくれた。リンムー特派員も行ったことのあるフンザも立ち寄るが、「日本式挨拶」をする男性はいなかった……残念。
渓谷の町をいくつか回るが、住む人々はお金をせびるでもなく、子どもたちは観光客が珍しくて寄ってきていたってのどかな雰囲気。
ギルギットというところのつり橋では、インダス川とカラコルム山脈、ヒマラヤ山脈などが一度に見渡せる「ユニークポイント」だとガイドさんが得意げに説明していた。アフガニスタンとの国境であるカイバルゲートでは、大胆にも警備のおじさんから実弾入りの銃を貸してもらって写真撮影(秘蔵フォトにて!)。だってすんなり貸してくれるんだもん。でもすごいよね……。国境を越えアフガンから来た難民のような人達が大勢いるし、ツアーバスで町を走っているとそこいらじゅうに銃を持っている男たちがいるし、峠を案内してもらうときも警備付きだし、本当はまだまだかなり緊張感が漂う地域なのであった。でも人々はわりと穏やかな表情を見せていた。
パキスタン北部のペシャワールという町の博物館では、多数の仏像や出土品を展示していた。ちょっと可笑しかったのは、みやげ販売コーナーで、カウンターの後ろに呼ばれたとき。ケースの裏側の下にある隠し引き出しをあけ、こっそりと小さな石仏を見せる。「アフガンの出土品だ。100ドルでどうだ」などと言ってきたが、どうせ真っ赤なニセモノであろう。仏像の国外持ち出しは1000ドル罰金がかかるので、皆さん引っかかることのないようにご注意を。
(秘蔵フォトはこちら!ごゆっくりどうぞ〜衝撃ならぬ、笑激写真も……!?
/中国・パキスタン国境越えの旅)
★モンゴル(FDI/リンムー特派員)(1/25/99up)
98年夏、またしてもモンゴルへ行ってきた。いつものように雲と草原を眺め、地元の人達としゃべり、時々馬に乗る……といった日々だったが、ちょっと興ざめなことも。椎名誠氏がモンゴルで映画の撮影をした土地に行くツアーにしたのだが、どうやら来るのは日本人ばかりらしく、日本語で「川でボート乗れます」などという看板が立てられていた。うーん……。何もなくて退屈、っていう奴はこういうところに来るんじゃないよと言いたい。ところでちょっと耳寄りなお話をひとつ。当り前といえば当り前だけど、モンゴル語が少しでもしゃべれると現地の人から受ける待遇が違う。私は多少しゃべれるぐらいだが、それでも「どこでモンゴル語を覚えたんだ!?」と、地元の人達はかなり親愛の情を示してくれる。おみやげ物屋とかでも民族衣装を試着させてくれたり、外国人値段より安くしてくれたりする。それに英語はほとんど通じないので、モンゴル語の基礎を覚えてから行くと、旅がより楽しくなるかも。
★香港(FDI/ukiko特派員)(7/17/98 up)
※香港はユーラシア大陸から離れた島であるが、中国に返還されたので一応ここに分類。
98年7月(以下すべて、現地からのメールレポート)
「最悪!香港新空港」
香港に新しく出来た新空港「香港国際空港」は最悪です。
まず、世界でもまれなクレジットカードの使えない国際空港(使用できる店もありますが)。
また、ところどころまだ工事中で入ってはいけないところが多すぎます。それと、まだまだバゲージの搬入システムができていないので、夜9時の便で香港に着いた旅客が荷物がこなくて深夜2時にようやく荷物を受け取れた、との話を聞きました。なお、新空港から香港中心まではバスで40分!疲れます。まあ、成田よりマシかもね。「香港レポート」
返還される前に一度香港へ行きましたが、こうして今来てみると、以前より中国色が強くなった感じがあります。まず英語の話せる人が極端に減りました。マクドナルドで英語で注文することができません。近くにいた広東語と英語を話せる人をつかまえて通訳してもらいました。香港の人に聞いたのですが、英語のできる優秀な人は殆ど国外へ逃げたらしい。
それから、ブランドものですが、中国に返還された後、新作が入ってこない模様。結婚指輪を買いに行きましたが、店員に「香港で今買うより日本で買うほうが安くていいものがあるわよ」と言われました。「潜入レポート!コピー商品をGet!」
「電脳中心」(パソコンショップ)へ行ってきました。Windows 98の英語版とAdobeのイラストレータとフォトショップをそれぞれGet! これはすべてちゃんと使えますが不法コピー商品。3枚のCD-ROMで約1500円! 正規で購入すれば何十万円とするソフトです。やったね!
さらにコピー商品をもとめて、フリーマーケットへ。5000円でプラダのショルダーバッグ買いました。これ、正規に買うと5万円するのよね。やったね。しかし、帰国の際、税関がこわいわー。とりあげられてしまうかもー。うーん。「うまいもの鑑定団」
わたしとダーリンは深夜おなかがすいて、商店街の片隅にあるあやしい中華料理屋へ行きました。ダーリンはワンタンメン、私はチャーハンと揚げ餃子を頼みました。これがむちゃむちゃうまい! 日本じゃ食べられないぜ! 私とダーリンは香港に住む事を決意したのです。なお、朝おかゆを食べに行きました。これもうますぎます!
↑帰国まで暇があれば、だいたいの場所と店名情報をどーぞヨロシク〜(by sesami)
★モンゴル(FDI/リンムー特派員)(6/29/98up dated)
92年からほぼ毎年、モンゴルを訪れている。そこでの主なエピソードを紹介。
尚、これからモンゴルへ行こうという方へ! ビーチサンダルとヘッドランプ(炭鉱夫がつけてるような、頭にバンドでとめるやつね)は必需品ですよ。夜トイレに行くとき、懐中電燈だと口にくわえる羽目になります(経験者は語る?)。そして、犬がお尻をなめにきてもびっくりしないように。夜は真っ暗だよー。
92年夏、当時はまだ日本〜モンゴル間の定期便が飛んでおらず、日本の旅行会社がチャーターした便で行った。当然ながら、緊急時の案内、救命胴衣の説明は英語はおろか、モンゴル語でさえもなかった。シートの下を手で探ってみたが、救命胴衣そのものも存在していなかった、と思う。
95年夏。92年に行った当時は街にしかいなかったヤミ両替屋が、95年にはついに草原にも出没。しかも騎馬両替屋。だだっぴろい草原のどこからともなく馬に乗って現われた兄ちゃん、新発行されたチンギス・ハーン札を取り出し、「チェンジマネー、ドル、チンギス・ハーン、グッド、グッド」と売り込む。モンゴル語で「ヘレフグイ(必要無い)」と答えると、兄ちゃんは「ちっ」と舌打ちをして馬でパカパカと、いずこかへ帰っていった。騎馬暴走族か? ものすごく労力が必要な両替だと思うのだが、馬も大変だ。今度はどんな輩が現われるか……。
96年。民主化した92年には、国営デパートの棚はガラガラだった。しかし96年に訪れたときは、打って変わって豊富な品揃えに。ドル払いのみやげコーナーには、ロシア製らしき女性用下着やチンギス・ハーンの絵入りの置物、あげくの果てにはモンゴル式住居ゲル(中国でパオと呼ばれてるテント)まで売っていた。一体誰が買うんだ? かなり大きいぞ。いままで何個売れたのかが知りたい……。
「モンゴル・タイム」について。
馬に乗る予約をしていた私と友人は、「明日何時に馬に乗るんだい?」とおじいちゃんに訊かれ、「朝10時」と答えた。翌日、いそいそと待つ私たち。10時、誰も来ず。12時、草原を眺めつつ、「まだかな」と待つ。その後、草原に寝転んで雲を眺め、昼寝などしてしまう。そのうち馬のことなどすっかり忘れてしまった。すると3時頃、はるか彼方から何か動くものが……30分後、馬とおじいちゃんが目の前に登場! そうか馬に乗るんだった! と思い出し、「ねーおじいちゃん、そういえば10時っていわなかった?」と言うと「そうか、じゃ、一休み」と座り込み、懐から煙草の葉と新聞紙を取り出し紙巻煙草なぞ作り始めた。仲間のじいちゃんと煙草を吸いながら世間話など始め、「馬に乗るか?」と立ち上がったのはそれから30分後。そのとき気付いたが、じいちゃんは時計をしていなかった。
時間わからないのに何時がいいかなんて訊かないでよね〜。とブツブツ言ってた私だが、モンゴルから帰った翌日、いつもと同じ時間に家を出て職場へ向かったはずなのになぜか大遅刻。そう、歩く早さをモンゴル・タイムに合わせたままだったのだ。以来、モンゴル・タイム普及協会会員と化し、現在に至っている。
友人の体験談/すぐ出る馬車
モンゴルのとあるホテルに滞在していた友人達。前の晩に手配していた車が、翌朝、迎えの時間になっても来ない。予定が詰まっていた友人は、ホテルのスタッフに車の手配を依頼。「馬車ならすぐ出る」と言うので、頼んでホテルのロビーで待つこと1時間。来ないので確認しようと、スタッフを探しに建物の裏へまわったら……。なんと木をノコギリでギコギコ切り、馬車を作っていた。嘘みたいなホントの話。
★パキスタン(FDI/リンムー特派員)(6/29/98 up dated)
97年、パキスタンの山奥のフンザというところで会ったお兄さんに、「“こんにちは”は日本語でなんて言うんだい?」と訊かれた。そこで私は、「キャイーン!」と答えた。不思議そうな顔をする彼に、振り付き(お笑いコンビの“キャイーン”がやるポーズ)で友人とともにもう一度、「キャイーン!」と教えてあげた。初対面で「キャイーン!」と言う男にもしあなたが巡り会ったら、それが彼であろう。(もしかして私たちって罪作り?)
尚、今後またそこを訪れ、彼がきちんと日本式挨拶をしているか確かめてみたい。
(まさみ特派員の中国〜パキスタン情報からここに来た方は、ここをクリックすると上に戻れます)
アザーンのこと。パキスタンの宗教はイスラム教。1日に何回か、祈りの時間を知らせる“アザーン”が街に流れる。夜中の3時にもそれがあるとは知らなかった私、寝ぼけててアザーンが「さおや〜さおだけ〜」と聞こえてしまった。そうかあ、パキスタンにも竿竹売りはいるんだあ……と再び眠りに落ちたのであった。
★中国(FDI/リンムー特派員)(6/29 up dated)
パキスタンと中国との国境越えのときのこと。いろいろ厳しいチェックがあり、ようやく許可が出て国境を越える。そのとき、国境の風景を撮りたかったので、「どうせフイルム抜かれるぐらいだろう」と思って新しいフイルムを入れ直し、隠し撮り成功。ばれなくてラッキー、と思い、あとで中国人の友人にそのことを自慢気に報告すると、彼女の顔色が変わった。もしばれていたら、スパイ容疑が晴れるまで留置場行きだったそうだ。「中国をなめちゃいけない。思っているよりずっと恐い国だ」と言われた。見つからなくてよかった……。
★ウズベキスタン(6/29 up dated)
(FDI/リンムー特派員)
各地にきれいなモスクがあるのだが、近くに寄って見てみると、モザイクタイルが壊れた隙間の柄はペンキで描かれていた。なんていい加減な修復だ……。
※これは、まさみ特派員も目撃したそうだ。
(FDI/まさみ特派員)
96年。ホテルの部屋に案内されたが、部屋は2つあるが電球はトイレにしかない。「これは、各部屋を移動するごとに電球を着け換えろってことだな」と解釈し、やってみたがつかない。仕方がないのでスタッフを呼んでみたら、換えの電球を1個持ってきてくれた。なーんだ。しかし、ラジオやテレビがあるが、どれも使えない。どうやら見栄のために置いてあるか、飾りのどちらかのようである。
★体験者納得!のパキスタン航空ネタ(6/29 up dated)
中央アジア諸国へ旅するとき、エアー料金の安さにつられ、また、ルート上の選択権の少なさでつい利用してしまうパキスタン航空。乗った人なら分かるそのスリルがたまらない。でもなぜかみんなまた利用してしまっているのだよね。何かと逸話の多いパキスタン航空のネタ特集。
◎パキスタン航空の略称、P.I.A(Pakistan International Airline)は実は、( Perhaps, I Arrive/たぶん私は着くだろう)の略だとはもっぱらの噂。
◎パイロットには軍人あがりが多く、操縦技術は確かだという噂。普通のエアラインだったら定刻どおりに着くよう飛行時間を調整するが、パキスタン航空は30分早く着くなんてこともある。なんでも、どれだけ早く着くか仲間内で競ってるとか……(FDI/リンムー特派員情報)
◎空港に着いたが、なぜか乗客たちはいつまでたっても降ろしてもらえない。何事があったのかと思っていると、どうやら管制塔の着陸指示の前に着陸してしまったらしい。それで管制塔職員が怒り、その後の指示を出さず待たされているらしかった。(FDI/まさみ特派員情報)
◎一応ヘッドフォンが配られたが、聴こえないし、差し込めない。スチュワードを呼んでそう言ったら、肘掛けをバキバキいわせながら差し込む。終わるとニッコリ微笑み親指を立て、「グッド!」と言って立ち去る。確かに差し込まれたはいいが、相変わらず音はせず……。(FDI/リンムー特派員情報)
※尚、98年はヘッドフォンすら配られてませんでした。映画はMr.Beanだったのでなんとなく分かったけど。(FDI/sesami特派員情報)
◎機内サービスでブランケットを配りに来たら、すぐ頼むこと。後で、なんて思ってるとなくなる。人数分用意してないからね。(FDI/まさみ特派員情報)
★パキスタン(FDI/sesami&まさみ特派員)
98年5月、ドゥバイ行きのトランジットで、行きと帰りにPKでカラチ空港を利用。以前もパキスタン航空を利用した時、まさみが見たといっていた“空港職員のお祈り”を目撃。女性も男性も、床に小さいじゅうたんを敷き、アラーに祈りを捧げていた。
行きは飛行機のトラブルで何時間も遅れたためか、ロビーでフルーツケーキと紅茶のサービスがあったので有難くいただく。
しかし、パキスタン人の機内持ち込み荷物の量はハンパではない。買い出し荷物なのか、ズタ袋のような袋入りの荷物を一人数個は持ち込んでくる。降りる時は荷物で通路がふさがるので、彼等よりいちはやく行動したほうがよいかも。もっとも、まだ飛行機が止まってないうちから彼等は荷物を降ろし始めるが……。他のツアーの添乗員さんは、そのあたりを心得ているようで行動がすばやかった。
★中国/雲南省(FDI/MUGICO特派員)
97年3月、夫とツアーで広州〜昆明〜麗江などへ。少数民族のペー族、ナシ族、タイ族、ジンポー族などが暮らす村々を訪ねる。麗江から大理へ行くときはバスで7時間半……。その途中のドライブインで、忘れられない昼食に遭遇。料理を盛る皿を拭くふきんは雑巾色、チャーハンを盛った器はなんと洗面器……(他の食堂でも何度か見た)。
村には電気もないところもあって、料理が草の葉のお皿にのって出てきたりする。
少数民族の民族衣装はすごくきれいだった。
移動で中国の国内線に4回乗ったが、中国雲南航空公司は数々のみやげをくれた。ナッツとかのおつまみの他、謎の果物砂糖漬お菓子「てらきゅら」。日本語で書いてあるのだが、これってどこかで何かの意味で使われてるのだろうか? 情報を乞う! 他にも会社名入りのポーチ、キーホルダー、ボストンバックなど。でも社名入りのバックはちょっとねえ……。みやげを機内で配るのは中国でも西側のほうだけらしい。
★ウズベキスタン(FDI/まさみ特派員)
96年、ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境でバスを待っていたとき。長距離バスの地元の客たちが、のんびりと料理なんか作り始めた。ウォッカなんかも飲みながら楽しそうなので、ついついツアー客の私たちも混ぜてもらう。(向こうの人達はウォッカのことを“ビタミンU”と言っていた。Uって、“ウルトラ”のこと?)
そのうちすっかり酔っ払ってしまい踊り出す。添乗員さんに「添乗員をこれまでしてて、国境で踊った人は初めて見ました」と言わしめたぞ。
バスの中では地元のおばちゃんから生のネギをもらった。「食べろ」って身振りをするので噛ってみたけど、にがかった……。
★インド(FDI/MUGICO特派員)
94年、ケニア旅行のトランジットでボンベイに寄った。現地ガイドはホテルで待ってろというが、退屈だったので他のツアー客とタクシーで市内に向かう。途中の道は、大渋滞。車はもちろん、自転車や牛、スケボーで器用に走る足が不自由な人などが道に溢れて車はなかなか進まず。すると物売りなどが車のまわりにたくさん集まってくる。道端では路上生活者が用をたしてたりして、わずかな滞在だったがインドの混沌をかいま見た。
★インド(FDI/まる特派員)
学生時代、インドを旅行したときのこと。地元の親切な男の人に出会い、下心ぬきで本当にいろいろ親身にもてなしてくれた。家族にも紹介してくれて、“インドの兄”になってくれた。彼の話によると、きょうだいの約束を交したら本当の家族同然なのだそうだ。しかし残念なことに、彼の親類から数年後連絡があり、病気で“インドの兄”は亡くなってしまったとか……。
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